都内の東日本大震災【11】

4月11日 震災からひと月、余震頻発:


3.11から1か月が経った。混乱でバタバタしていたせいか、あっという間にひと月経ってしまった感じだ。

この日自分は都内の別の事務所で作業をしていた。その作業中に余震があった。この時も大きく揺れて、都内の震度は4とのことだった。ただ場所が2階だったせいか、グワングワンと回るような揺れではなくガタガタとした揺れだった。自宅で数日前に経験した余震よりもひと回り規模が小さいように感じたのだが、それで前回の地震より震度が大きいというのだから、なんだかよく分からなくなってくる。

自分が地震を感じてハッと顔を上げると、向かいに座っていたそこの事務所の女子社員と目が合った。が、あまり慌てる様子もなく、揺れてますねぇみたいな顔で見ている。地震に慣れすぎてませんか。

帰宅後、ニュースをチェックしたら、この地震の震源は福島県のいわき市付近で、いわきで震度6強を観測したと報道されていた。その後、夜にも数回震度6程度の余震が続いたらしい、いわきは福島の原発からさほど離れていないところにある町で、そんな強烈な揺れが何度も続いたものだから、いよいよ原発の圧力容器が壊れるのではないかと地域住民を不安に陥れた。

翌日の出勤タイミングでまた余震。マンションのエレベーターホールまで来た時、呼んだエレベーターが自分の階に停まるか止まらないかのタイミングで地面が揺れ始めた。ところがカミさんは気づいていないらしく、到着したエレベーターに乗り込もうとした。さすがに地震で揺れている最中にエレベーターに乗り込むのは危険だ。慌てて、地震だよと引き止めた。するとカミさんがそれに反応するよりも早くエレベーターの中にいた女性が青い顔をして降りてきた。

3人で顔を見合わせながら揺れが収まるのを待った。1分程度で揺れが収まり、エレベーターが動いていることも確認できたので、再び乗り込んで出勤となった。

この地震は千葉県の東方沖が震源で、マグニチュードは6.4とのこと。千葉県東方沖といえば1987(昭和62)年に発生した千葉県東方沖地震が記憶される。この地震のマグニチュードは6.7で、地震による死者は2名となっている。この地震が起こった時、自分は埼玉の小学校に通う小学生だった。近く予定されている持久走大会の練習で、地震発生時は学校の周りをアゴを上げながら走っていた。正直走るのは苦手だったのだが、頑張って走りきって教室に戻ると、なんか物々しい空気になっている。すかさず校内放送で、大きな地震がありましたと繰り返し放送がかかった。だが走っていたのでそのことに全く気がつかず、え、地震!?いつ??という状態だった。埼玉の震度は4だったので気がつかなかったのだろう。

一方、カミさんは当時千葉県の小学校に通う小学生だった。カミさんにあの時の地震について尋ねてみたら、地震そのものの記憶は既に無いが、自宅の瓦が落ちたり、壁にひびが入ったりしたので、親が修理を呼んだことは覚えていると話していた。


それはさておき、その時は関東地震(関東大震災)以来、数十年ぶりに関東地方を襲った大地震ということもあって、テレビはその地震報道一色になっていた。被害の規模の割にお祭り騒ぎのような様相を呈していたことが印象深かったのだが、今回の地震は、NHKで10分程度地震情報が流れただけで終わった。まぁ、特に被害も出なかったようなので、そのくらいしか報道のしようがないのかもしれないが、本震から続く一連の余震に、報道する側の感覚もマヒしてきているような気がした。

それよりも、である。東北太平洋沖地震の震源域は、岩手県から茨城県の沖合にかけての日本海溝で発生している。日本海溝は千葉県の南まで続いているが、千葉県沿岸のエリアは割れ残ったらしい。普通に考えて同じ海溝沿いに位置しているのだから、地震前の震源エリアと同程度にはひずみを貯めている可能性が高く、今回連動しなかった理由が研究されている。

一番の可能性として挙げられているのは、千葉県の沖合は太平洋プレートの他に、フィリピン海プレートも重なるように沈み込んでいる、大変複雑な地質構造となっているため、地盤が強固に固着しているなどの理由で、割れ残った可能性があるということだ。

とりもなおさず、今回の地震で都心部に大きな被害が出なかったのは、より都心に近いこのエリアが割れずに残ったからであると言える。もし千葉県の沖合までの全ての領域が破壊されていたら、恐らく都心部でも震度6以上の強い揺れに襲われていたはずだ。その場合の都心部の混乱は、今回の地震の比ではなかったかもしれない。

逆にいえば、まだこれからそうなる可能性が残されているということでもある。そんな不安な気持ちをもてあそぶように、ここ最近千葉県沖を震源とする余震が増えつつある。過去に東南海および南海の両地震が連動し、大災害になったことがあるが、それと同じようなことが起こらないとも限らない。

4月16日 つつましく花見:


幸い、自分のそんな不安をよそに、余震の回数はさらに減少していった。街中はほぼ震災前の日常を取り戻しつつあるように見える。ただ、某都知事が余計なことを言ったがばかりに、自粛ムードは根強く残っている。

少し前に、例年よりだいぶ遅く、南関東の桜が満開を迎えた。だがこんな状況なので、ブルーシートを広げて陽気に宴会を繰り広げるような空気になることもなく、桜の名所はおしなべて閑古鳥状態だったという。まぁ、飲んでハメを外す奴ら等いないにこしたことはないので、自分的には静かに花を愛でるくらいが丁度良い気もするのだが。それはさておき。

義姉から、みんなで軽く集まってお花見でもやらないかとお誘いがあった。ずっと息の詰まるような毎日が続いているので、義姉の幼い子どもたちに桜の下で羽を伸ばしてもらおうということだ。お酒を飲んで騒ぐわけでもないし、そのくらいなら文句を言われることもないだろう。

その週末、カミさんの実家に移動中、高速を走っている時に携帯に着信があった。従弟からだ。普段あまり従弟の方から電話をかけてくることがないので、何か緊急事態でも起こっているのかと思って、高速を降りたあとすぐに折り返した。電話口に出た従弟は、そっちででっかい地震あったみたいだけど大丈夫だった?と言っている。地震?いつ??

車のテレビを点けたところ、千葉県沖が震源の余震があったようだ。運転中で揺れには全く気付かなかった。風が強くて、少しハンドルを取られながらの運転だったから、なおさら気がつきづらかったのかもしれない。気づかなかったくらいだから全く平気だったよと返答した。

そのあとすぐにカミさんの実家に電話。電話に出たお義母さんは、揺れは少し大きめだったけど、揺れている時間が短かったから特に何事もなかったと言っていた。それならよかった・・・。

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実家に先着していた義姉一家を車に乗せて、近場の公園に行った。満開を迎えてから数日経ってしまったので、すでに半分くらいは散って葉桜になっていた。でもまぁ、久々に芝生にレジャーシートを広げて、甥っ子姪っ子と戯れながら眺める桜は、かつての平穏な日々を思い出させてくれるようで、ひとしきり心が癒やされた。


岩手に行くことを決める:


その日の晩はカミさんの実家にお世話になった。花見から戻った後、従弟に再び電話して変わりないか聞いてみた。あれ以来、特に大きな変化はないけど、度重なる余震によって、部屋の扉がスムーズに開かなくなったりするなどの影響が出ているそうだ。

あと岩手のばあちゃんの家が片付いていないらしい。ばあちゃんは数年前に他界したが、じいちゃんも1人では暮らせないので、今はグループホームに入っており、家は空き家となっている。その家に残された家財が地震で散乱してしまって、手付かずのままになっているらしい。

それを聞いて脊髄反射的に、もし手が足りてないなら手伝いに行くよと言った。次の瞬間、岩手は未だ混乱の渦中なのだから、そんなところにそのくらいの用で出かけていったら迷惑にしかならないのではないかと思った。

だが従弟は、別に急いで片付けなきゃならないものでもないけど、せっかくだから岩手においでよと誘ってくれた。一関の辺りはもうかなり落ち着いてきているし、ガソリンの供給制限もないから、別に家の片付けとかじゃなくて普通に遊びにおいでとのこと。そして、一緒に沿岸部行ってみようよという。

沿岸部の被災地は軒並み津波にやられてしまっている。それはテレビの報道で目にしているが、実際に自分の目で見てみたいという思いがないわけではない。とはいえ、部外者が気軽に行けるような状況ではない。現地は未だに混乱が続いており、状況も錯綜しているので、徒手空拳で訪問してトラブルに遭遇したら迷惑をかけてしまうことになる。少なくとも、地域住民の迷惑になるようなことは厳に慎まなければならない。なのでもっと落ち着いてからの方がいいかなと思っていた。

それだけに、従弟からの提案は自分の胸を高鳴らせた。なにせ彼の仕事は沿岸部も営業範囲であり、震災以降も何度か仕事で訪問しているのだ。そんな彼がアテンドしてくれるなら、その辺りのさじ加減は十分見極めているだろう。

そんな風に思ったら、行ってみたいという思いが止められなくなった。ゴールデンウィークにそっちに行くよと即答して電話を終えた。


あとがき:


というわけで、東日本大震災の発生からひと月あまりの間に、身の回りに起こったできごとや感じたことをつらつらと書かせてもらった。幸いにして東京が壊滅に至るような地震ではなかったが、久しく大きな地震に見舞われることのなかった東京の人にとって、冷や水を浴びせられた格好となった。関東大震災の記憶が風化しつつある現代において、来るべき次の関東大震災に向けた予行演習的側面もあったように思う。

地震への備えとして様々な議論が活発になり、より実現性のある対策も打ち出されてきているが、その一方で喉元過ぎればなんとやらな人も多い。その辺はさすがに色々な人がいるなとは思うが、今回の震災を他山の石とはせず、自分ごととして考えるきっかけとなってほしいと思う。

上述のとおり自分は、GWに岩手に訪問してきた。その時の様子は項を改めてレポートさせていただくので、そちらもご一読いただけたら幸いである。無計画な自分が行き当たりばったりで訪問したので、随分とっ散らかった訪問記になってしまったが・・・。

(おわり)

Posted by gen_charly