3・11 - 4

— 3月19日 少し息抜き —

ニュースは相変わらず気が重くなるような話題ばかりで、それなら見なければいいのに、見なければ見ないで不安になってきて、ついつい見てしまい、そうするとまたなんだか不安になってくる。。。の繰り返しで、気分が滅入ってくるので、自粛ムードの中若干後ろめたい気持ちも抱えつつ、週末の3連休は気分転換を兼ねて弟の住む金沢に遊びに行くことにしました。

弟に電話すると、金沢はガソリン不足は起こっていないそうです。
幸いにして前の週の釣りの帰りにガソリンを満タンにしていたので、ガソリンの残量はOK。

余談ですが、その釣り行のとき、なぜかサビキに立派なワタリガニがかかり、大層美味しく頂いたのですが、今思えば地震の予兆だったのかな・・ ・?
んなわけないかw

20110306_024651

金曜日の仕事が終わって、準備してから自宅を出発。

高速道路も節電対応のため街灯が消され、道行く車も殆どが物資輸送のトラックばかり。
街灯の点いていないガラガラの関越道を走るのはなかなかない新鮮な感覚です。

途中上田の辺りでガソリンが半分位になったので、念のためSAで給油しようと思ったら、ここでも10リットルの制限中。
とりあえず10リットル入れてもらってぎりぎり金沢到着。
弟の話していた通り、金沢ではガソリン不足の影響はなく、無事満タンにできました。

初日は鉄道の写真などを撮りながら山中温泉に向かったのですが、そこでそこそこ安い宿を見つけたので、勢いで泊まってしまうことにしました。

20110319_152914

そこの部屋のエアコンがしょぼくて妙に寒かったのですが、まぁ、それは別の話。

20110319_185611

翌日は弟宅で昨年生まれた甥っ子とじゃれながらのんびりと過ごしました。
その間も何度か小さな余震が来ていたようですが、金沢はまったく揺れず。
夜起こされることなく眠ることもできてだいぶ気分転換になりました。

最終日は近所のスーパーで食料の買出しをしてから帰宅。
いつも冷蔵庫に常備している納豆やヨーグルトなど、地震後に関東のスーパーから姿を消してしまったものがこちらでは普通に売られていました。
いつも常備していた水を切らしていて、東京では入手できなくなっていたので、ついでに1ケース買って帰ることに。
それと、弟から「いざという時のために持って行きな。」と、米とカップめんを貰いました。

金沢を出る直前、従弟の子供がまもなく生まれそうだ、と連絡がありました。
ちなみに翌日は弟の誕生日。

家に居たみんなが代わる代わる電話を奪って従弟へ「明日はよくない日だから、今日中か明後日に生むべき!」 と口々に激励の言葉が伝えられました。
弟がヘソを曲げたのはいうまでもありませんw

まぁ、そんな心温まるニュースもあったりしつつ、金沢を出発しました。
帰りも車は少なく、至って順調に東京まで帰ってきました。

運転中に従弟から生まれたとの報告。おめでとう!
幸い(?)弟とは誕生日が一日違いになったとのこと。

— 3月22日 水道水から放射能検出 —

暫く地震のことを考えずにいられたおかげで、気分がだいぶリフレッシュできた所で次の週。

週の頭にいきなり入ってきたのが、金町浄水場から放射性物質が検出されたというニュース。
政府が「直ちに影響は無いが、念のため乳幼児には飲ませるな。」と発表し、少しずつ水の流通が回復しつつあった首都圏は再び大混乱。
スーパーやコンビニに水を買いだめしていく人が押し寄せ、夕方には殆どの店が売り切れてしまい、乳幼児のミルクのために水が必要だけど、買いそびれた人が続出したため、区役所で乳幼児向けにミネラルウォーターを配るような事態に。。。

先日、金沢で買っておいた水がこんなにすぐに役立つとは、と少し浮き足立ちましたが、大人は水道水を飲んでもさほど影響がないということです。
普段の飲み物は適当に買ってあるので、結局今も非常用に備蓄されています。。。

— 4月2日 少しずつ日常に —

今回の災害の全貌が少しずつ明らかになりつつあり、その対策も徐々に軌道に乗り始め、少しずつ落ち着きを取り戻しつつある風でもありましたが、ちょくちょくやってくる余震には参ります。。。
被災地を襲う大きな余震に比べたら屁でもないのは頭では分かっているのですが、気分的には萎えてきます。。。

それでも余震も徐々に少なくなり、3.11から3週間が経過。
岩手の従弟も最初の数日は停電もあり、余震も怖かったので車で寝ていたということですが、もう家に戻って片付けも済んだということだし、千葉の実家も相変わらず余震が多いけど、何とか日常が戻りつつあるということです。

原付の自宅もいつまでも震災シフトで散らかしたままにしておくのもアレなので、片づけを済ませることにしました。

その週の週末、従弟の出産祝いを何か贈ることにしたのですが、現状を考えると、金銭を送るよりも物資を送ったほうがよいだろうとカミさんと話し合い、近場のトイざラスへ。
商品の陳列は元通りに戻っていましたが、天井が剥がれているところがあり、こんな場所にも地震の影響を感じました。

20110403_160500

いろいろ見て回って、結局オムツ、お手ふき、服を買って送りました。

数日後、従弟から物が到着したと連絡。
地元では地震発生当初に比べて、だいぶ物資も揃ってきたが、まだ数量制限があってまとめ買いが出来なかったので助かったとのこと。

少し話す時間があったので、その後のことを聞いてみると、昨年行った時に通った陸前高田の道の駅も唐桑半島のコメリも釣りをした港もみんな流されてしまったとのこと。
客の車の引き取りで陸前高田に行く用事があったが、大通り沿いはだいぶ瓦礫が片付いてきたものの、何かが腐敗したようなにおいが辺りを漂い、 筆舌に尽くしがたい光景だったこと。。。

— 4月7日 最大余震 —

そんな話をして自宅に帰った4月7日の夜。。。
原付が自室でネットを見ていると、リビングにいるカミさんから、「地震!揺れてるよ!!」という声。

自室のオフィスチェアが小刻みに震え始め、これから来るであろう地震の揺れが大きくなる雰囲気。。。
慌ててリビングに戻りテレビをつけると緊急地震速報が流れています。

それを確認するかしないかのうちに家が激しく揺れ始めました。

「これは大きい!」

大きく左右に揺さぶられる振動は、事務所で経験したものを一回り小さいくらいの規模に感じました。
後になって冷静に思い返せば、立っていようと思えば普通に立っていられるくらいの揺れだったのですが、久々に大き目の余震が来たように感じました。

揺れは長く続き、時計を見ると2分が経過していました。
NHKのニュースが震源は宮城県沖、マグニチュード7.4(※)と伝えています。
(※)後に7.1に修正

一関の辺りが6強の強い揺れになったということで、慌てて従弟に電話すると、幸いすぐに通じました。
たまたま外に出ていて友達としゃべっていた所で、無事とのことですが、揺れのせいで再び停電になってしまったとのこと。

安否が確認できて取り合えず安心したので、ニュースに耳を傾けると、東京の震度は3とのこと。
確かに、何も倒れたものもなかったのですが、震度3にしてはかなり大きな揺れに感じられました。
マンションだからですかね・・・?
これで震度3か。。。という感じです。

前の日にやっと新青森から一関間が復旧したばかりの東北新幹線がまた不通になってしまったとのこと。

— 4月11日 余震続く —

週末をまたいで月曜日。
3・11から丁度一ヶ月が経ちました。

この日は都内にある営業所に用事があって出かけていたのですが、その作業中にまた大き目の揺れが。。。
都内の震度は4ということでしたが、事務所が2Fだったせいか、先週の自宅で感じた揺れよりも小さく感じました。

原付が利用する電車は幸い動いていたのですが、定時も近く会社に戻るのもなんだったので、上司に連絡して現地から定時退社で帰ることにしました。

自宅に戻ってテレビをつけると、震源は福島県南部とのこと。
原発には影響が出なかったと発表されていましたが、今となってはその発表を信用してよいものかさっぱり分かりません。。。
その日は夜になってからも数回福島震源の余震が相次いで不安な夜でした。

翌朝、出勤しようと自宅のエレベーターホールに行き、エレベーターが到着したかしないか位のタイミングでまた地震。。。
若干大きな揺れでしたが、カミさんがそのまま到着したエレベーターに乗り込もうとしていたので「地震きてるよ!」 と声をかけると、カミさんが足を止めるより早く、エレベーターに乗っていた人が揺れに気づいて慌てて降りてきました。

暫くして収まったので、エレベーターが止まることもありませんでしたが、乗っているときでなくてよかったと胸をなでおろしました。。。
後で震源を見ると、今度は千葉県の東方沖で発生したとのこと。

なんだか、地震が少しずつ南に下りてきているようで不気味です。。。
今回の地震は岩手県沖から茨城県沖までの地盤が一気にずれて生じたものでしたが、銚子から南の房総半島の沖合いはずれずに残ってしまったため、いつ崩れてもおかしくないとの予想が出ています。
千葉県沖がずれなかったのは、千葉県沖の地下には、今回の地震の原因となった太平洋プレートのさらに下にフィリピン海プレートが沈み込んでいる複雑な構造のため、ずれ残ってしまったのではないかといわれています。

また、これだけ広大な範囲がずれてしまったので、東日本全体の地盤が不安定になってしまい、どこで地震が発生してもおかしくない状況だとも伝えられています。
実際、3・11の後、震源域内の茨城県沖や福島県沖だけでなく、長野県北部や静岡県東部、秋田県の沖合いでも規模の大きな余震が発生しているので、いつ東京の直下や東京湾辺りで地震が起きても不思議ではないとのことです。

元々、東京湾直下の地震は近い時期に起こるであろうと予測されているので、その日が現実になるのではないかと思うと空恐ろしいものです。

— 4月16日 つつましく花見 —

余震も徐々に少なくなり、いつも通りの生活に戻りつつありました。
某知事が余計なことを言ったせいで、ろくにお花見も出来ずにいたので、散ってしまう前に見ておきたいということで、週末にカミさんの実家に行くことにしました。
酒も飲まないし、騒がず花を愛でるだけなら、誰も文句言わないでしょう。。。

高速を運転中に電話が鳴りました。
相手を見ると従弟からです。

何かあったのかと思って、高速を降りてから電話すると、「そっちでっかい地震あったようだけど大丈夫だった?」 と聞かれました。
どうやら運転中に地震が発生したらしいのですが、強い風に煽られていたせいか全く気が付きませんでした。

カミさんが実家に電話すると、「揺れは少し大きかったけど時間が短かったから何ともなかったよ。」とのこと。

実家に到着後、姪っ子、甥っ子をつれて近所の公園へ行きましたが、残念なことに桜は5分散りといった所。
そんなことはお構いなしに姪っ子も甥っ子もはしゃいで楽しんでいたので、ヨシとしますか。

Posted by gen_charly