石川逃避行 - 1(2011/03/19)
3・11の発生とその後続いた混乱で滅入ってしまい、少し息抜きでもしたいなぁ、などと思ったものの、世間はなんとなく自粛ムードに包まれ、そんな中遊びに出かけるのはやや不謹慎かな、という気持ちもあったのですが、結局堪えきれずに3月19日からの三連休を使って弟の住む金沢へ行くことにしました。
当時は雰囲気的にこの旅行を旅行記として掲載するのは憚られたので、3・11前後の記録の記事の中で軽く触れるのみに留めていたのですが、あれから一年以上経ち、身の回りもだいぶ落ち着いてきたようなので、自分自身が忘れてしまう前に少し振り返って書き留めておく事にした次第です。
3・11の直後から東日本全域でガソリンの供給が滞り、給油がままならない状態だったのですが、原付の車は偶然3・11の一週間前の釣り行で満タンにしたばかりでした。
弟に連絡したところ、金沢では影響が出ていないそうで、どうにか金沢まで到着できれば後はどうにかなりそうな感じです。
ということで3月18日の晩、東京を出発。
震災後、電力供給にも影響が出まくっていたせいで、高速道路も例外にもれず殆どの街路灯を消灯していて、それは何ともいえない寂しい光景でした。
もっともヘッドライトの明かりでもそれなりに道はちゃんと見えているし、金曜日の夜にも拘らず私用で通行する人はほぼなく、だいぶガラガラだったので、それでもさほどは困りませんでした。
ただ、そんな妙に寂しい道を淡々と走っていると、何ともいえない罪悪感が募ってきて、後ろめたいような気分にさせられました。
途中、給油制限のあるサービスエリアで10リットルを追加給油しましたが、金沢で高速を降りてすぐぐらいに給油ランプが点灯しました。
金沢市街に降り立つと、国道は沢山の車が行き交い、こちらは震災の影響が余り出ていないことが分かります。
弟が言っていたとおり、街道沿いのガソリンスタンドには給油制限tが無く、満タン給油して無事に復活。
今回の旅行は、弟の家で甥っ子と戯れて癒されに行くというのがメインの目的ですが、折角金沢まで足を伸ばしたのだから少し遊んでいこうと考え、石川県内の保存鉄道を何箇所か巡りつつ、初日は温泉にでも浸かって車中泊し、弟の家へは翌日に行くことにしました。
— 保存鉄道めぐり —
ということで、まず最初に向かったのが、北陸鉄道のモハ3761を保存展示している能美市立博物館へ。
ここの保存車両は屋外展示にも拘らず実に良好な状態で保存されています。
車内も入れるようになっており、こちらも非常に手入れが行き届いていました。
つづいて、今度はかつて小松を走っていたナローゲージ鉄道である尾小屋鉄道の車両が保管されているという旧尾小屋駅近くのポッポ汽車展示館へ行って見ました。
国道416号線を進み山間部に入り込んで行くに従って残雪がちらほら見られるようになってきます。
尾小屋鉄道が鉱山鉄道だったせいか、ポッポ汽車展示館のある旧尾小屋駅周辺は割と深い山あいにあり、道路こそ除雪されているものの、それ以外の場所は未だ結構深い雪に覆われていました。
チェーンを持参していなかったので、途中で必要になったら困るなぁ。。。と思いながら運転していくと、チェーン規制に阻まれることなく、どうにか着きました。
駐車場は綺麗に除雪されているのですが、その除雪した雪が車両が展示されている場所に積まれていて素直に近づけなさそうな雰囲気。。。
辺りに人気も無く、もしかして冬季休業かなと一瞬思ったのですが、小屋に扉などは無く雪さえどうにかすれば自由に入れそうだったので、雪を乗り越えて小屋に入ると、3両の車両が停められているホームに出ました。
そこにはかつて尾小屋鉄道を走っていたSLの5号と、
客車のハフ10、
キハ3がそれぞれ止まっていました。
キハ3は遠州鉄道奥山線から来たキハ1803で、尾小屋鉄道に来た時に頭の"180"を車体と同色に塗りつぶしてしまうという荒業をやってのけています。
車号はくり抜きプレートで作られているので、塗っていても遠目からでも"180"が浮いて見えてしまい実に残念な感じです。
上の写真では1803の全てが白く塗られていますが、反対側は今でも相変わらず"180"がマスキングされた状態になっているとの事。
そっち側の写真はSLの背後になってしまい綺麗に撮れませんでした。。。
上のリンク先でその塗り分けの写真を見ることができます。
そのキハ3は車内にも入ることが出来ました。
エンジンが床下に納まりきらなかったのか、中央部の床が一段高くなっていました。
外見はシンプルなデザインのせいか古臭さは感じませんが、車内は板張りの床やビニール地の腰掛が流石に時代を感じさせます。
人気もなく、写真を撮るだけになってしまいましたが、保存会の人たちが動態保存をされているそうで、タイミングが合えば動いているところも見てみたいものです。
— なかよし鉄道 —
続いて、尾小屋鉄道つながりで小松市街にある粟津公園という公園へ行ってみる事に。
この公園では尾小屋鉄道の車両が動態保存されているそうです。
その道すがら、「十二ヶ滝」 という看板が見えたので、見学を兼ねて小休止。
滝は道路沿いにあって、高さは殆どありませんが、水流が幾筋にも分かれて流れ落ちるさまは白糸の滝のようでもあります。
名前はその数が12本あることから付けられたそうです。
地震のことを色々勉強していると、こういう滝も断層なのかな、とかそういう目で見てしまう自分がいます。。。
更に車を走らせ、小松市内に入って北陸線を超えると程なく公園に到着。
動態保存されている列車は、「なかよし鉄道」という名前で、子供の遊具の一環のようなポジションになっています。
土日は一日二本、他に水曜にも一日一本運転されるそうで、入場は何と無料。
次の運転まで一時間ちょっと時間が有ったので、原付は車内で30分ほど仮眠を取ることにしました。
きっちり30分で、散歩に出ていたカミさんが帰ってきて起こされました。
わずかな時間でしたが、思いのほかスッキリできたので、気持ちを切り替えて原付も園内を散策してみることにしました。
園内にはセスナ機が展示されていて、これも中に入ることも出来ます。
そこでどんなものかと乗り込んでみたところ、機内は大人に取っては実に窮屈な空間で、現役時代はさぞ不評だったのではないかと思われます。
もっとも、セスナ機に乗ったことは無いので、他のもこのくらいなのかもしれませんが。
ブラブラと園内を散策しているうちに出発時刻の5分前くらいになったので、乗り場に行ってみると公園にいたちびっ子たちが既に20人ほど集まって行列を作っていました。
目を輝かせてはしゃいでいるちびっ子の列に不釣合いな大きいお友達が二人。。。
流石に場違い感を意識せざるを得ません。。。
しかしその無言のプレッシャーにめげずに並んでいると、やがて奥の車庫から小さなディーゼルカー(キハ1)がゴトゴトとホームに入線してきました。
入線して係のお姉さんがドアを開くなり、ちびっ子たちは我先に車両に乗り込んでめいめい好きな場所に陣取っていました。
原付たちはたしなみのある大人なので、ちびっ子たちが一通り乗り終わったあとで最後に乗り込み、入口ドアの近くに立つ事に。
それから程なくお姉さんがドアを閉めると、エンジンを唸らせて出発。
エンジンの唸りに合わせて窓ガラスがビリビリと振動して、ロートルぶりを発揮します。
車内では今さっきドアを閉めたお姉さんが、子供たちに向けて「みーなさーん、こーんにーちわー」と朗らかに挨拶。
というか、そのお姉さんがいる場所は原付たちの目の前。
無意識に入口付近に陣取ったのが間違いでした。。。
ていうか、満面の笑みでこっち見ないで。。。Orz
沿線にいくつかちびっ子が楽しめる仕掛けがあって、お姉さんが上手く誘導して子供たちを振り向かせます。
ディーゼルカーは公園の隅の森の中に設けられた線路を数百メートルほどゆっくりと走ると行き止まり、運転手が車内を歩いて反対側の運転席に移動すると、警笛を鳴らして戻り始めました。
来た道をまたのんびりと戻ってやがて出発した駅まで戻ってくると運転終了。
子供たちがぞろぞろと下車してはけた後で車内を撮影させてもらいました。
運転席は半室形で、その脇は特等席になっています。
ホームの端から車庫の中を覗いてみると、機関車と客車が2両停まっていました。
数百メートルとは言え、動態保存をしている鉄道にしては結構な長距離。
思った以上に満足できました。
ただ、大人だけで乗るにはちょっと恥ずかしかったのが難点ですが。。。
ここの公園にはこども交流センターという児童館のような施設も有って、中では工作などの実演などをやる部屋がいくつかありました。
案内図を見ると図書室があるということだったので、行ってみることに。
最近蔵書されたと思われる本に混ざって、原付が小さい頃に読んだことのある本や図鑑が残っていて、思わずなつかしーを連発しながら読みふけってしまいました。