岩手の地震の爪跡を訪ねて - 1(2011/04/30)
— 4月16日 岩手に行くことを決める —
この日、甥っ子、姪っ子と花見をするために千葉に行ったのですが、途中で地震があり、ニュースを見た岩手の従弟から安否確認の連絡を受けてました。
その時は何の被害もなかった旨だけ伝えて電話を切ったのですが、その後の岩手の様子を聞きたくなったので、カミさんの実家に戻ったあと、一息入れてから再度連絡。
あれから変わったことがなかったか聞いてみると、あんまり変わってないけど、実家のドアがだんだん開けづらくなってきたりしていると話しました。
それと、おばあちゃんの家が散らかったままで、まだ手を付けられていないということです。
おばあちゃんは一昨年に亡くなり、おじいちゃんはグループホームに入所しているので、今は誰も住んでいないのですが、みんな自宅周りの整理で忙しくおばあちゃんの家までは手が回っていないということです。
ボランティアで被災地へ出向いている人も多く、原付もボランティアに対して興味がない訳ではないのですが、登録しに行くことに対して腰が引けるというか、人見知りで非力な自分が行っても役に立つのかな?と思って二の足を踏んでいたのですが、おばあちゃんの家の片づけの手伝いなら、原付でも多少は役に立ちそうな気がします。
とは言っても、現地は未だ平常には戻っていないので、行ったら却って迷惑になるのではないかという心配も有ったので、その辺を聞いてみたら、 従弟は「もうだいぶ落ち着いてきて、その辺は心配ないし、ガソリンとかも普通に入れられるようになってきたから、遊びに来るつもりでおいで。」と言ってくれました。
— いざ、岩手へ —
岩手行きの直接のきっかけは、おばあちゃんの家を片付けるためですが、せっかく行くのだから、従弟や親戚の人たちなど実際に地震を体験した人からじっくり話を聞いて、その体験を今後東京で災害が発生した時に役立てたいと思ったからというのもあります。
東北地方は下に挙げるとおり、2000年代に入ってから数年おきに大きな地震に見舞われています。
- 2003年5月26日 三陸南地震
- 2003年7月26日 宮城県北部地震
- 2005年8月16日 宮城県南部地震
- 2005年11月15日 三陸沖地震
- 2008年6月14日 岩手・宮城内陸地震
- 2008年7月24日 岩手県沿岸北部地震
- 2011年3月9日 三陸沖地震
- 2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震
(Wikipediaより)
その中でも、2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震は宮城北部と、岩手南部の山沿いで大きな被害を出しており、今までも岩手には何度か行っているのですが、なかなか行く機会が無かったので、今回改めて地震の爪あとを見学してみたいと思ったのもあります。
また、今回の3・11の津波の被害についても、もし見ることが出来るようなら見てみたいと思っています。
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まず、スケジューリングですが、今年のGWは4月29日から5月8日までの間に2日と6日の平日をはさむ飛び石連休。
流石に両日を有給にして全部休むのは気が引けたので、2日だけ休みを貰いました。
29日はGW初日ということで、高速が渋滞すると思われたので、敢えて一日ずらして30日の夜中から出発することにしました。
29日は岩手の親戚に渡す支援物資を買いに、コストコに行きました。
カミさんは何度か知り合いと行った事があるらしいのですが、原付は初めて。
しかし、連休初日だったせいか、駐車場から店内から殺人的な混雑。。。
何とか水と食料を手に入れましたが、店を出たらもうヘトヘトになってしまいました。
二度と行くか!と毒づきたくもなりましたが、まぁ、何とか支援物資は入手完了。
30日は部屋の片づけをしたり、夜中の運転に備えて仮眠をとったりして夜11時過ぎに出発。
現地で、大きな余震に遭遇した場合、暫く足止めを食らってしまう可能性もあり、その時に親戚になるべく迷惑をかけずに済むように、避難道具一式と毛布、ポータブルバッテリを車に積み込んでおくことにしました。
また、今回は運転中に何か気になった場所があれば撮っておきたい、と思ったので、ダッシュボードの上にカメラを置くための台をしつらえました。
カメラの底面にマジックテープを貼っておき、それで固定するという寸法です。
事前にネットで渋滞情報をチェックすると、まだ通行止めだと思っていた常磐道が開通していて、磐越道経由で郡山に抜けられることが分かりました。
東北道はまだ交通量が多そうな気がしたので、敢えて常磐道経由で行くことにしました。
いわき市周辺でも放射線のレベルが高いところがありそうな気もしましたが、地元の人はそこで生活しているわけだし、高速は開通しているし、通るといっても一、二時間程度で通過できるので、まぁエアコンを内気循環にしてマスクをしておけば大丈夫だろうという判断です。
常磐道に入ると、いくらGWの中日の夜中とは言え、年末年始か?と思うような交通量の少なさで、運転はいたって快適。
29日もこんな感じだったのなら29日のうちに出ておけばよかったと思いました。。。
緊急地震速報が入る可能性も考えて、テレビをつけておきたいところですが、つまらない番組を延々流していても眠くなってしまうので、リアにつけたモニターにテレビを映し、音声はそこから出しておくことにしました。
後ろの席なので、テレビの音声はさほど耳に届かないのですが、緊急地震速報のチャイムは多分聞こえるでしょう。
水戸から先は80キロ規制となっていましたが、実際水戸を過ぎた辺りから、徐々に路面が波打っている場所が増え始め、橋の前後などに段差ができている所が多くなってきました。
すべてアスファルトで応急処置されているのですが、トラックなどの通過によって再び段差が大きくなってきている所があって、勢いあまって突っ込むと、思いのほか衝撃を受ける箇所もあり、やはり規制どおり80キロ程度で走らないと危険です。
日立の辺りまではそれでも時折追い越していく車があったり、対向車があったりしたのですが、そこから先は前後に車の明かりが見えない状態で、 まさしく貸切状態でした。
ある意味とても贅沢で快適なクルージングともいえます。
東京近郊のそれなりの幹線高速で貸切が体験できるとは思いませんでした。
今回は何箇所か道路の様子を動画に収めてみたので、ここに貼ってみたいと思います。
交通量の少なさと、段差の酷さがわかると思います。
北茨城のあたりで、エアコンを内気循環に切り替え、念のためマスクを装着してさらに進んでいきます。
いわきに入る少し手前辺りに道のでこぼこが酷いところがありました。
直ちに影響が無い、とは言われても放射線が少なからず飛散している中を走るのは、周りに走行する車が少ないこともあって、思いのほか緊張するものでした。
そこから一時間ちょっとで郡山ジャンクションに到着。
郡山ジャンクション手前もかなり道が悪い状態になっていました。
時間は3時を回り、流石に疲れてきましたが、福島県内のPAは混雑しているだろうと予想して宮城まで進んでしまうことに。
ところが、宮城県に入り、最初のPAの蔵王PAは満車。
ビタ一文止めるスペースがなかったので、仕方なしに素通り。
とはいっても、去年のお盆のときのように、入場待ちの渋滞が出来る程ではなかったのですが、その先の菅生、泉、鶴巣の各PAは全て全滅。。。
通行する車両も例年の同時期と比べればかなり少ないですが、それでも前の常磐・磐越道の貸切状態から比べれば混雑しています。
鶴巣の次の三本木PAで空きを見つけてやっと車を停める事が出来ました。
とりあえず、そのまま朝まで仮眠。