岐南ドライブ - 4(2012/05/05)
— 奥美濃グルメコーナー —
ということで、なんだか色々と悔いを残しまくってダムを後に、再び道の駅に戻ってきました。
ここで昼食を済ませる事に。
最初は温泉にも入るつもりでいたのですが、お昼を食べてから風呂も入ったら遅くなりそうだったので、結局温泉は夜までお預けになりました。
と言うことで昼食ですが、朝方に来た時にカミさんがニジマスの塩焼きを作っている屋台があるのを目ざとく発見していて、食べたいと言うので屋台に行ってみると、丁度仕込み中で焼けるのに15分くらいかかるとのこと。
仕方ないので他のものを探したら、「朴葉(ほおば)寿司」なるものが売られていたので食べてみることにしました。
朴葉寿司はちらし寿司が朴葉に包まれたもので、朴葉の香りが香ばしさを引き立てています。
ちなみに朴葉を使った料理は岐阜や長野に伝わる郷土料理で朴葉焼きや朴葉味噌なども有名です。
それを食べ終わる頃に丁度15分位経っていたので、再びニジマスの屋台に顔を出すと、丁度良く焼きあがったところだったので、一本買って見ました。
1本350円。
秩父や群馬あたりで食べようと思ったら平気で600円とかするのを考えればだいぶリーズナブルな価格です。
久々に食べる川魚は身がホクホクしていて美味しくいただけました。
道の駅には徳山民俗資料収蔵庫も併設されていて、ここでも徳山村の情報が得られそうだったのですが、入場料がかかると聞いて行かない、と言いだした同行人が約一名居たので、今回はスルーしてしまいました。
ま、行ったところでゆっくり見ることもできないと思ったから、と言うのもあったのですが。。。
今回は時間が短すぎました。
必ず時間を作って再訪する事を心に誓い、徳山を後にしました。
さて、岐阜県の南部にはかつて名鉄岐阜市内線と、そこに接続する揖斐・谷汲線と美濃町線という路面電車のような鉄道路線が走っていました。
今から10年ほど前に全て廃線となったのですが、それらの車両が今も2箇所の駅の跡地で保存されているということです。
そのうちの一つ、徳山ダムからからもっとも近い場所にあるのが旧谷汲線の終点谷汲駅です。
ナビに場所を設定して303号線をひたすら上っていくと谷汲方面への分岐のアナウンス。
そのアナウンスに従って曲がろうとした道は。。。
どうみても歩道です。ありがとうございました。
まったく、ナビの分際でお茶目なんだから♪、と悪態をついてそのまま直進するとリルートで検索された道はちゃんと走ることが出来ました。
#少し手前には車の通れる交差点があったのですが距離優先で検索したせいで、そちらは無視されたようです。
トンネルを抜けて、もうすぐ谷汲村方面への道に合流するという場所で、不意にカミさんが「あれ行きたい!」と声を上げました。
一旦通り過ぎたのですが、Uターンしてその店に入るとそこは「谷汲あられの里」という名前の、あられの工場直売をやっている店でした。
敷地内には直売所のほかにどら焼きなどの和菓子が食べられるお茶屋が併設されています。
試食が割と充実していて、色々な変り種あられも販売されていましたが、原付が興味を示したのはメインのあられではなく、どら焼き。
乳酸発酵大豆の餡やかぼちゃの餡など一風変わった餡がつつまれたどら焼きが売られていました。
いくつかチョイスして買ってみることにしました。
車に戻って後ほどおやつに食べてみましたが、乳酸発酵のどら焼きはヨーグルトのような独特の酸味があり、食べ慣れない風味でしたが、皮の甘さが意外とマッチして旨かったです。
一方かぼちゃの方はかぼちゃをそのまま練りこんだかのような濃厚さで、こちらは想像を裏切らない味でした。
— 大正生まれの古強者 —
店を出て再び車を走らせると、まもなく旧谷汲駅に到着。
駅舎に昆虫博物館が併設されていて、駐車場の敷地には唐突にヤギが繋がれていました。
ヤギは少し気だるそうな表情をしてベンチの影で休んでいます。
駅舎の改札を抜けると、その向こうにかつて当線を走っていたモ755とモ514が留置されていました。
ホームの上では、ゴールデンウィークに合わせて遊びに来たのか数人のちびっ子たちがはしゃいでいました。
揖斐・谷汲線を走っていた車両は戦前製の古豪ばかりで、平成の世に入ってからも現役で走り続けていたので、徳山村と共に無くなってしまう前に一度見ておきたかったものの一つです。
当時はまだ車で行くには運転が未熟で遠出は難しかったし、鉄道で訪ねるにしても先立つものが少なく何度も訪れることが出来ず、どうしてもコースは欲張ったものになりがちで、そうなるとコース作りで足枷になるローカル線へはなかなか足が向かず、といった具合で、訪れることが出来ないまま廃止になってしまったローカル線が結構あるのですが、こうやっていざ谷汲駅に立ってみると、やっぱり気合を入れて訪ねておけばよかったなぁ、と廃止になってしまった時の悔しい思いが甦ってきます。。。
それはともかく、モ514は5枚の窓が半円状に並んだ独特なスタイルで、大正ロマンを感じさせる丸い戸袋窓と合わせて、当時は当地を訪れるカメラマンを虜にして止まない車両でした。
残念ながら車内は公開されておらず、外観のみカメラに収めました。
一方モ755は車内も公開されていました。
車内も外観同様よく手入れがされており、クラシカルな形状の座席の仕切り板など、一見の価値があります。
運転台はこの当時の車両に多いとても窮屈なもので、当時の運転手さんの苦労が偲ばれます。
駅舎の一部には昔の写真とか鉄道施設の部品、ポスターなどが展示されている資料室があります。
駅舎に併設されていた昆虫博物館は有料とのことでこれはスルーです。。。
だって、虫ニガテだもん。。。
今回の旅路で最初の鉄分補給をしたところで、次の目的地は、樽見鉄道の水鳥(みどり)駅。
この駅名を聞いただけでピンと来た人は流石だと思います。
鉄道ネタが続くかと思わせといて、次は地震ネタ。
水鳥駅のすぐ脇にある「根尾谷断層」を見に行きたいと思います。