南東北の旅 - 3(2012/08/12)
6時に目覚ましをセットし、少しウダウダして6時半に起床。
東北とは言え夏場の夜は思いのほか暑く、時折通り抜ける風は涼しくて心地よいのですが、風がなくなると車内は徐々に蒸し暑くなっていき寝苦しくなって行きます。
が、さりとてエンジンを掛けっぱなしで寝るのはポリシーに反するので、2,3度目を醒ましつつも意地で寝てやりましたw
とはいえまぁまぁ良く眠れたので、行動開始。
ここから山寺までは20分ほど。
— しずかさや —
山寺駅前の駐車場に車を置かせてもらって散策開始です。
というか、こんな早朝から係員が詰めている駐車場があることに軽く驚きました。
山寺に行こうと思ったのは、絶壁の上に立つ五大堂に立って見たいというのも有ったのですが、ネットで山寺の情報を探していたときに、小学生か中学生の頃、国語の授業で奥の細道の一節を暗唱させられた時の事をふと思い出したからというのもありました。
芭蕉がこの山寺を訪れた時のものなのですが、
”山形領に立石寺という山寺あり。
慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。
一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。
日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。
岩に巌(いわお)を重ねて山とし、松栢(しょうはく)年旧(としふ)り、土石老いて苔滑らかに、岩上(がんじょう)の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。
岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景(かけい)寂寞(じゃくまく)として心澄みゆくのみおぼゆ。”
という紀行文に続けてかの有名な、
”閑かさや岩にしみ入る蝉の声”
授業ではこのくだりを暗唱させられたのですが、闇雲に覚えた割に結構印象に残っているのは、尾花沢まで進んで来た芭蕉に向かってわざわざ七里(≒28キロ)も戻ってまで立ち寄った方が良いと人々が薦めるほどの場所とはどんな場所なのだろうと、子供心に思ったからでした。
山寺の駅から山寺の方向を見るとうっそうとした急斜面、というかほぼ絶壁に点々と建物が見え隠れしています。
こんな場所に寺を開こうと思った慈覚大師の恐るべきセンスもさるものながら、あまつさえ普通に考えてどうにもならないような急斜面を更に切り開いて奥の院まで建ててしまったというのですから、そのパワーにただただ圧倒させられます。
暫く歩いていくと、山寺への登山口となる「立石寺」への入口が見えてきました。
軽く数十段程度の階段を登ると「根本中堂」があります。
お堂の前で挨拶を済ませ、奥の院まで無事に登れるようお祈りをし、順路に従って進むと、隣にあるのが「日枝神社」 。
ここでも挨拶を済ませて更に進もうとしたところ、
「これから登られるんですか?」
と背後から声をかけられました。
振り返ると、作務衣姿の寺の職員と思しきおばさんが立っていました。
で、はい、と答えると、
「じゃあ受付を開けるので付いてきて下さい。」
とのこと。
おばさんは受付までの順路の間にある社や見所を話しながら歩いていきます。
途中、ふと立ち止まり、
「これが芭蕉さんの銅像。でん六豆の社長さんが寄贈してくださったんですけどね、でん六豆って知ってる?あの豆菓子の。その社長さん。だけど顔の部分がさ、ほら、芭蕉さんの顔なんて誰も知らねべっちゃ、だからこれ、社長さんの顔になってるのよ。」
といってゲラゲラと笑いました。
そんな豆知識(でん六だけに!)を教えてもらいつつ日枝神社を通り過ぎると、「山門」 に到着。
「本当は8時からなんだけど、こうして早い時間も来る人が居るでしょ。だから早く来てるのよ。」
確かに。
知らずに来たとは言え、ここで足止めされたらがっかりするところだったので、まさに渡りに船。
ありがたい気遣いに感謝。
ちなみに入場料は一人300円。
入り口の裏はちょっとした土産物屋になっていて、その周囲に猫が何匹もうろついたり石の上で日向ぼっこしたりしているのが見えました。
じゃ、いってきまーす、と声をかけて気合いを入れて登山開始。