南東北の旅 - 14(2012/08/14)
— 2012年、夏 —
思いがけずワイルドな洞窟を堪能し、再び一同車に乗り込んで一路沿岸部へ。
来た道を暫く戻り、それから大船渡方面への分岐を進んでいくと、一つ峠を越えて麓に降ります。
程なく横から線路が近づいてきました。
これは、原付が学生の頃から一度は写真を撮りに行きたいと思いつつ結局撮りそびれてしまった岩手開発鉄道です。
今でも旅客営業を続けているなら、無理を言って駅に立ち寄ってもらう所ですが、もう既に旅客営業を終了して貨物営業だけになってしまったので、駅へも寄らずに線路だけを眺めて通過。
それから大船渡市街に入って、道なりに陸前高田へ。
道の途中から見えた湾内には既に再開した養殖のいかだがびっしりと並べられていました。
少しずつ復興の槌音が聞こえてくるようです。
しかしながら、陸前高田の市街地に入るとまず見えてくる雇用促進住宅は、相変わらず廃墟のままで復興の道のりの険しさを感じます。
噂話レベルでは、修理をしてまた使えるようにする予定があるとかないとか。
海中に沈んだ野球場もそのままです。
ちょっと不謹慎かもしれませんが、「ヨコハマ買い出し紀行」 というコミックの中の風景を思い出してしまいました。
そこから少し進むと、報道で何度も取り上げられてすっかり有名なった奇跡の一本杉が見えてきます。
良く見ると、杉の周りに沢山の人だかりが見えます。
災害の爪跡を観光に利用する事に対しては賛否両論がありますが、そういったことが議論されてるようになったことは、震災後の混乱がようやく終息の兆しを見せ始め、復興に向けた歩みの始まりのような、そんな光景のようにも見えました。
一本松自体は、色々と最善を尽くしたものの立ち枯れを防ぐことはできず、結局伐採されてしまいました。
もっとも、切り株などはモニュメントとして残す方針とのことです。
気仙大橋の仮設橋を渡り更に東浜街道を南下。
それからすぐのところに、前回骨組みだけになっていた倉庫があったのですが、いつの間にか完璧に修復されていました。
昨年5月
建物の外壁には「加和喜フーズ」書かれています。
それを横目に進んでいくと県境を越えて気仙沼市に入ります。
気仙沼の市街へ向かう県道の交差点の付近が少し混雑していましたが、市内へ入ることが出来ました。
そこから程なく、道沿いに「福幸(ふっこう)マルシェ」 と書かれた看板がありました。
看板脇に停められたマー坊が何ともいえません。
ここも、震災後に何箇所かで興った復興商店街の一つのようです。
昼を過ぎて丁度おなかも減っていたので、休憩がてら遅い昼食にすることにしました。
2階建てのプレハブが3棟並び、それぞれに店舗が収まっていますが、食事処は二箇所ほど。
と、思ったら一番奥の貸本屋を兼ねた店が食事も提供しているようで、定食も揃えていると言う事だったので、そこに入ってみることに。
引き戸を開けると中から主人と奥さんが出てきました。
メニューを聞くと、冷やし中華や焼きそばなどの麺類がすぐできるということだったので、冷やし中華をみんなで注文。
待っている間、甥っ子が壁に飾られていたおもちゃに興味を示しました。
「ひだまりアニマル」という名前の、太陽を浴びるとゆらゆらと動くおもちゃです。
福幸記念品に御協力をお願いします、との一文が添えられ、従弟によるとこれを車のダッシュボードなどに設置して協力をアピールしている人を見かけるとのことで、一つ買ってみることに。
それから程なく料理が運ばれてきました。
正直これといって特徴の無い冷やし中華ですが、苦労して再出発を始めたご主人たちのことを思うと、その味わいも格別なものでした。
ただし、添えられていた缶詰のミカンはなぜかアルコール漬けのようになっていて、まさかとは思いましたが、万が一飲酒検問などにやられては目も当てられないので、残念ながら残すことにしました。。。
それから他の店を覗いていると、妙なゆるキャラが壁に描かれている店がありました。
そこは判子屋さんで、店に入ると店員の女性が、そのキャラクターを説明してくれました。
このキャラクターは「ほやボーヤ」という語呂の良さに配慮した名前で、ホヤの頭にホタテのベルト、手に持っているのはサンマの剣と気仙沼の名産を身に纏っています。
これのスタンプが売られていたので、従弟が一つ買っていました。