九州初日の出 - 14(2013/01/04)

— 軍艦島 —

軍艦島クルーズの出港が9時なので7時前に起床。
窓の外を見ると、天気は快晴でまずは一安心。

今日は半日船に乗る事になるので、船に弱い原付としては酔い止めを飲んでおくべきかどうかが悩みどころなのですが、飲むと後で眠くなって運転に支障を来たしそうなので、飲まずにチャレンジしてみる事にしました。

何もお腹に入れないとお腹が空いてしまいますが、脂っこいものや刺激物を食べてしまうと酔いやすくなるらしいので、胃に負担がかからないように、朝食はおかかと梅のおにぎりにしました。

それから準備を済ませてホテルをチェックアウト。

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茶色のホテルが今回お世話になったアパホテル。
歩道橋を渡ると目の前が長崎駅と言う好ロケーションです。

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駐車場のすぐ脇から駅に停車する列車が見えたので、写真を写してみました。
奥の急行色の車両はキハ40系列かな?

目的地をナビに入力したら、長崎港大波止は目と鼻の先。。。
このまま停めたままにして歩いて行っても良い気がしましたが、チェックアウトしてしまっているので、一応出庫することに。
もっとも、フェリーターミナル前の駐車場も有料だったので結局どちらでも一緒だったのですが。。。

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今回原付達が予約を入れたやまさ海運のブースを見つけて昨日の昼間に申し込みをした旨を伝えたら、どうやら予約はちゃんと済んでいた様子でチケットを発券してもらえました。

ちなみに予約を入れたときのくだりで、最悪は当日飛び込みで、と書きましたが、家でネット検索したときに当日申し込みをしようとしたら、前日までの予約がないと受付できないと断られた人の記事が出ていたので、当日申し込みは出来ないかもしれません。

料金は4300円。
パンフレットを貰い、船の停泊場所へ。

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これが原付たちを軍艦島へといざなってくれる「マルベージャ」号。

前述の通り、軍艦島クルーズは他にもいくつかの業者が取り扱っていて、どの業者のツアーに申し込もうか悩んだのですが、特に、軍艦島へ行く前に高島に一旦上陸し、炭鉱の基礎を勉強した後に軍艦島へ行くツアーをやっている「軍艦島クルーズ」のプランは高島や伊王島へも上陸できることから最後まで迷ったのですが、結局は古くから軍艦島クルーズを運営して実績があり、Web予約が可能だったやまさ海運を選んだという次第。

さて、原付がなぜ軍艦島に行きたいと思っているのかまだ書いていませんでした。
長いこと憧れの地だったのでどうまとめようかしら。。。w

原付が軍艦島の存在を知ったのが今から15年位前。
当時ネット上で密かな廃墟ブームみたいなのが有って、津々浦々の廃墟に立ち入ってはレポートを上げているWEBサイトが結構あったのですが、それらを読み漁っている最中に軍艦島の存在を知りました。

軍艦島は正式には端島(はしま)といって、長崎半島の沖合いに浮かぶ面積わずか0.06平方キロメートルの島です。
かつては木も生えないただの岩礁だったそうですが、ここに石炭が見つかってしまったのでさあ大変。

島の所有者が三菱に変わり、本格的に石炭の採掘が始まると、炭鉱夫や彼らの家族、彼らをバックグラウンドで支える人たちが島に住むようになり、手狭になると排出されたズリ(石炭の残りかす)で海を埋め立てて少しずつ拡張を繰り返して行きます。

炭鉱夫の仕事というのはまさに3K(暗い、汚い、危険)でしたが、石炭は製鉄所や発電所の燃料となり、国の発展の根幹を支える重要な資源で、「黒いダイヤ」という別名がつくほどでした。
古くは強制労働などもあったということですが、戦後は国による保護によって待遇が改善し、賃金も厚遇されていたことから、この小さな島に沢山の人が集まってくる事になります。

彼らを島に収めるのに埋立だけでは追いつかなくなり、普通なら近隣の島や長崎半島などから通いで行き来することになりそうなものですが、端島の場合は炭鉱を掘る高度な技術をもった技術者に恵まれていたせいもあり、早い段階から上方向への拡張を推し進めていく事になります。

かくして、大正時代には日本初となる鉄筋コンクリート造りのアパートが建てられることになります。
それから雨後の筍の如く、狭い敷地にひしめくように次から次へと高層マンションが建ち、また学校なども高層化されて行きました。

その様を外洋から眺めたときの姿が軍艦土佐に似ていると新聞で報道された事から軍艦島の異名を持つ事になります。

最盛期には島の人口は5000人を越え、その人口密度は東京のそれをも上回り世界一を誇ったという事ですが、最盛期はそれほど長い時間ではなく、戦後の高度経済成長に歩調をあわせるように石炭から石油への方針転換があったこともあり、以降、島の栄華に陰りが見え始めます。

島で採掘される石炭はいくら掘っても枯渇の心配がないほど潤沢に存在し、その品質も非常に良いものだったそうですが、海外の安い石炭などに押されてコスト的に見合わなくなり、更に追い討ちをかけるように炭鉱内での爆発事故が発生し、坑内を水没させて放棄せざるを得なくなるなどの不運が重なり、最終的に昭和49年を持ってその歴史に幕を下ろす事になります。

島の最後はあっけないもので、閉山からわずか3ヶ月で、これだけの人数を抱え込んでいた島が無人になります。

以来、島はろくに手入れされる事も無いまま荒れるに任せた状態が続き、現在に至ります。

このまさしく廃墟と呼ぶに相応しい時期に原付は島の存在を知ることになります。
当時、島は三菱の私有地で立入が禁じられている中、釣り客を渡す渡し舟などで島へと渡った多くの物好きたちが探索した記録をレポートしていたわけですが、その写真に切り取られた光景はまさしくHEYANEKOさんの言葉を借りるとタイムマシンの廃墟という言葉が相応しく、出来ることなら原付もいつの日か上陸してこの目で見たいと思っていました。

が、立ち入れるかどうか以前に東京から長崎は遠すぎる!
なかなか行く機会に恵まれないまま数年が過ぎ、2006年のある日福岡出張を命じられたのがきっかけで、休みの日を使って長崎に来る機会を得ました。

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(2006年1月の端島)

2001年に端島が三菱マテリアル社から高島町へ譲渡され、その後長崎市に合併されて長崎市の所有となるのですが、島内立入は危険と判断し立入禁止を継続します。

そんな訳で、やっとここまでやってきた原付にできることは長崎半島の傍らからデジカメの3倍ズームのレンズ越しに島を眺める事だけでした。

リスクを犯してまで島に上陸しようと思うほどの熱きパッションは持ち合わせていなかったので、もう上陸するチャンスを得ることは出来ないのだろうと半ば諦めていたのですが、その数年後に俄然盛り上がりを見せ始めた世界遺産ブームなどで端島にもスポットライトが当てられたことで転機が訪れます。

長崎市も観光資源として活かそうと島を整備し、2009年についに公開される運びとなりました。
当初は半信半疑で余り期待せずに整備をしたようですが、蓋を開ければこれが連日の大盛況。
公開から現在までに既に30万人以上の人が上陸を果たしています。

で、公開の知らせを受けて以来、原付も行くチャンスを虎視眈々と狙っていたわけですが、ついにこの日が来たわけです。

公開したと言っても立ち入れるのは島のほんの一部のみ。
原付が興味を持っている、住居などの建物のあるエリアは建物の劣化による崩落や落下物などの危険性から、近付くことすら出来ません。

そういう意味では面白さも半減なのが残念なところですが、下手に建物に近付いて怪我や死亡事故などが起こればそれこそ立ち入り禁止だけでは済まされず、建物の全撤去といった事態に至る可能性もあるわけで、一部分とはいえこうして安全に上陸できるようになったことに感謝しなければならないのかもしれません。

・・・いや、長かった。。。

まぁ、そんな訳で端島上陸を果たすため、マルベージャ号に乗船。
ちなみにここからも長くなります。。。w

— マルベージャ号、出港 —

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例によってデッキに陣取り出港を待つことにしたのですが、着席したのはデッキの進行方向右側の席。
この船は常に端島を右側に見ながら進んでいくからです。

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天気は良いものの空気が冷たく、完全防寒のいでたちでもしんしんと冷えてきます。
それでも酔い止めなしで耐えなければならないので我慢我慢。

今回はデジカメで写真を撮って、カミさんの携帯で動画を撮影、さらに原付の携帯はGPSロギング、という布陣で島に臨む事にしました。

船は程なく出港し、港内を快調に走り始めました。
室内ではスタッフの人が一通りの注意事項の説明をしているようなのですが、デッキの外にいるとエンジン音で若干聞き取りづらいのが難点。

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船は両岸に工場の建ち並ぶ長崎港の中を進みます。
これら工場は三菱造船の造船所とのことで、国内外の巨大な豪華客船の建造も出来る設備を持っているそうです。

その背後には長崎市内を一望できる夜景スポットとして有名な稲佐山の展望台も見えます。

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それからほどなく、女神大橋の下をくぐり、港外へ進んで行きます。
港外に出てすぐ進行方向右手前方向の半島の先端に聖母の像が海を向いて建っているのが見えました。

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あれはなんだろうと思って調べてみたら神ノ島教会という教会だそうで、船舶の安全を祈願して建てられたものだそうです。

それから再び右手方向に今度は伊王島が見えてきます。

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かつては端島同様炭鉱の島として栄えた所で、島民におけるカトリック教徒の割合が日本一高い島だったそうです。
現在は温泉が湧き、リゾート&スパでアピールしている島として知られます。

本土と伊王島の間には、2011年に開通した伊王島大橋がかかり、船はその下を潜り抜けて行きます。

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伊王島の脇を抜けると、今度は視界の先に高島の姿が見えてきます。
高島もまた炭鉱で栄えた島で、かつては端島と共に高島町として独立した自治体でしたが、現在は長崎市の一部になっています。

他の島同様最盛期には多くの人が働く島でしたが、ここも炭鉱の閉山と共に人口が減少し、過疎化に悩んでいるそうです。
現在ではトマトの栽培、ヒラメの養殖などに活路を見出そうとしているとの事。

これら2島と異なって端島のみが閉山と共に無人化してしまったのは、島全体が三菱の所有だったためです。
もっとも、ライフラインは本土頼みにならざるをえないし、他の産業もないのでそうでなかったとしても住み続けるのは難しかったと思われます。

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高島の一画には割と近代的な炭鉱労働者のアパートが建てられているのですが、これもいつの日か端島の様になってしまうのでしょうか。。。

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高島を通過して暫くすると視界の向こうにひたすらグレー一色の異様な島影が見えてきます。
10年以上あこがれ続けた軍艦島がいま目前に!

Posted by gen_charly