ほぼ日本一周ツアー【4】(2000/09/20~09/21)
そして特急で松山へ:
時間は16時ちょっと前。大三島からここまで1時間とかからず到着した。文明の利器は凄い。
今治で松山までの切符を買う。各駅停車でのんびりしていると到着が遅くなってしまうのでここは気前よく特急に乗車したい。
特急の写真は撮りそびれたが7000系は撮影した。
その次に来た特急列車に乗って松山まで1時間の旅。あっという間に松山駅に着いた。
駅の観光案内所でホテル手配を頼んだらターミナルホテル松山という駅の目の前のホテルを取ってもらうことが出来た。
ロータリーに面していてそこから伊予鉄道の路面電車が出ている。これに乗れば道後温泉へも連れて行ってもらえる。
部屋に荷物を投げだして、風呂道具だけを小袋にまとめてすぐに出発。もちろん道後温泉へと行くためだ。そして道後温泉まではもちろん伊予鉄道の路面電車に乗って行く。
道後温泉:
伊予鉄道は松山市内で鉄道線と軌道線を運行している鉄道会社である。開業は古く夏目漱石の坊ちゃんにも登場した由緒ある鉄道だ。
最近は当時の列車を再現した、坊ちゃん列車なるSL風の列車を走らせていることで知られているが、自分的には国内では珍しい鉄道同士の平面交差がある鉄道会社というイメージが強い。その平面交差の場所は時間があれば見に行きたいと思う。
路面電車に乗ってゆらゆらと揺られていると終点道後温泉に到着。そこから少し歩くと道後温泉がある。
道後温泉もまた古くからの日本を代表する名湯として知られているが、自分は初訪問なのでどんな場所なのかよくわかっていない。何となく山あいに道後温泉という温泉街があって、その中に「●●の湯」みたいな鄙びた共同浴場があるイメージなのだが。。。
案内に従って土産物屋が立ち並ぶアーケードの下を歩く。起伏もなく周囲は店舗や住宅が密集していて山がある感じは全くしない。そして温泉街である感じもあまりしない。道合ってるのかな。。。
アーケードを抜けた先に趣のある古めかしい建物があり、道後温泉と書かれた看板が掲げられている。これが道後温泉なのか。山あいの温泉街をイメージしていた自分にとって、こんな町中にあることはかなり意外な感じがした。
そもそも目の前の建物は共同浴場のそれである感じがない。なので建物を見て最初に考えたのが、共同浴場はどこか別の所に有ってここは観光案内所みたいな施設なのだろう、だった。
となれば、ここで「さあ、風呂に入るぞ!」なんて雰囲気を発散しながら暖簾をくぐった日には、周囲から怪訝な目を向けられること請け合いである。というわけで、その目指すべき共同浴場の場所を教えてもらいに来た、という体で傍らの窓口を覗いてみた。
こちらが質問を切り出す前に、窓口にいた人から入浴ですか?休憩ですか?と聞かれた。えっ、ここで入浴できるの?それよりも休憩ってなんだ??
自分の頭にクエスチョンマークがたくさん並んだ。なんて返せばよいだろうか。
「休憩、って何ですか?」
とりあえず休憩が何であるかを確認する必要があるだろう。そう返すと、窓口の人は休憩は2階の座敷で休憩することが出来ます。と答えた。
なんか分かった。ここは湯屋なのか。入浴だけではなく中で休憩したりもできるから建物がただの共同浴場のような趣とは違っていたのか。
入浴だけだと400円くらいで、休憩すると2000円くらいかかるらしい。それならとりあえず入浴でと答えて料金を支払った。
浴室の場所を案内され案内されたとおりに進んでいくと確かに男湯の入口があった。くぐった先は自分がイメージしていたとおりの共同浴場のそれだった。脱衣して浴室に入ると、中央に湯舟があってその周囲にコの字型の洗い場がある。お湯は熱め。
長時間浸かることは出来ないが、短いサイクルで出たり入ったりして徐々に体を温めた。
のぼせる前に風呂から上がったが15分くらいしか入っていなかった。まぁ熱いお風呂だからそんなもんか。
噂に違わぬ名湯であった。休憩所で休憩をしながら風流を楽しむのはもう少し歳を取ってからかな。
風呂に入っている間にすっかり日が暮れた。
夜風に当たって湯冷まししながら再び路面電車に乗ってホテルに戻った。
夕食を食べながら明日以降の計画を考える。とりあえず昨日の時点で松山に行こう、ということだけは決めていたが、この先の予定はまだ何も決めていない。
この辺りで鉄道の写真を撮ろうと思ったら高松や広島と言った辺りになるが、その辺は数年前に既に訪問済みなので鉄道に重きを置かずに他に行ってみたいところがないか思案した。
そうして候補が2カ所上がった。ひとつ目は高知、ふたつ目は松江である。高地には土佐電鉄という路面電車を運行している会社があり、そこを走る車両は路面電車の博物館という異名を持つほどバラエティに富んでいるという。
そして松江には一畑電気鉄道というローカル私鉄がある。そこを走る車両は確かかなりクラシカルな車両だった気がする。
どちらもついでで行けるような場所ではなく、東京から行こうと思ったらかなりの覚悟がいるような場所だ。こんな時でもなければ行く機会もなさそうなのはどちらも一緒。
結局一頻り思案して松江へ向かうことにした。
今回の旅行は明後日には東京に到着していなければならない。つまり実質明日が最終日である。最終日を過ごす場所として松江を選んだのは、高知へ行ってしまうとそこから戻りのプランが立てにくそうな気がしたというのがひとつ。もうひとつは出雲市から出発しているサンライズ出雲という寝台電車に乗ってみたいなと思ったからである。
全国でも数を減らしつつある寝台列車。大抵はブルートレインという客車の列車だが、サンライズ出雲は寝台「電車」なのである。しかも最新鋭の電車で運行されているので乗り心地含め興味がある。
まぁチケットが押さえられなければ、そんなプランも絵に描いた餅になってしまうが、平日だから仮に個室が満室だったとしてもノビノビ座席という船の雑魚寝部屋みたいな車両も連結されているので、そっちなら多分確保できるだろう。
伊予鉄道:
2000/09/21
昨晩は久々に自転車に乗って体を動かしたので、朝まで熟睡だった。
前述のとおり今日は島根県の松江へと向かう。松江への移動を開始する前に少し伊予鉄道の写真も撮っておきたい。とりあえずまずは程よい時間にホテルをチェックアウトし、歩いて伊予鉄道の大手町に行ってみることにした。
そこに昨日少し触れた、路面電車(松山市内線)と鉄道線 (高浜線)の平面交差が見られる場所があるそうだ。
荷物は松山駅のコインロッカーにデポジットしたので身軽な体制での散策である。
ここがその場所である。2本の線路が直角に交差しているのが分かるだろうか。
鉄道車両はその構造上すぐに停まることが難しいので、踏切では通常道路側の交通を遮断して鉄道が優先で通行できるようになっている。
だが、その道路に路面電車が走っていたらどうなるか、というのがこの場所である。
鉄道車両が優先と言われても、じゃあここの場合はどちらの鉄道が優先なの?という話になる。
正解は鉄道線が優先である。軌道線(路面電車)を走る車両は基本的には自動車など道路を走る乗り物と同じ扱いを受ける(なので、道路上の軌道では路面電車も自動車用の信号の指示に従っている)。
つまりここの場合、鉄道線に列車が近づいている時に路面電車がやってきたら、路面電車の方が止まって鉄道線をやり過ごすようになっている。
同一会社の路線同士であればその優先順位も明確にできるし制御もしやすいのだが、他の場所にあった平面交差は殆どが鉄道線同士の平面交差だったためか現在ではほぼ廃れてしまっている。
路面電車が鉄道線車両の通過を待っている絵を撮りたいと思ってやってきたのだが、そうタイミングよく列車がやってこないのがこうした路線の難しい所。結局上の写真のようななんか中途半端な写真しか撮影できなかった。
その後もう一頻り歩いて伊予鉄道の松山市へと向かった。松山市は伊予鉄道の3本の鉄道線が集まるターミナル駅だ。ここから高浜線、横河原線、郡中線の3本がそれぞれ北西、南東、南西の方角へ路線を伸ばしている。
折角伊予鉄道の駅に来たのだからどれかの路線に乗ってみたいと思うのだが、行先の希望がないので、とりあえず駅に着いてすぐにやってきた電車に飛び乗った。乗ったのは郡中線の列車だったので、そのまま終点まで行ってみることにした。
終点郡中港まで20分ほどのミニトリップ。終点で写真を撮影した。
2つ上の写真もそうだが、伊予鉄道の鉄道線車両は京王線の中古車両が多く使われている。写真は両方とも800系で元京王線の2010系である。
2つ上の写真の方が本来の先頭車だが、運転台を増設した方は京王線の5100系風の前面になっている。ただし、5100系は幅広車体で裾が絞られているが、2010系は狭幅なので裾絞りがない。
なので5100系風の伊予鉄道のオリジナルということになるのだが、思った以上に精密に再現されている。なぜそこにこだわったのだろうか。
それはさておき郡中港まで来たのはいいが、前述のとおり特段のアテがあって来た訳ではないので、駅前を散策するでもなくそのまま折り返しの便で戻ってきてしまった。
松山市から更に市内線に乗ってJRの松山へ。
実は郡中港のすぐ隣にJRの伊予市があるのだが、訪問時はそのことを知らなかったので未訪に終わった。
最初に知っていればJRの方に乗って戻ったのに、惜しいことをした。
松江へ:
さて、ここから先は特急を乗り継いで一気に松江へと向かう。
まずは岡山まで特急しおかぜに乗る。岡山までは2時間半の旅路だ。
この車両はJR四国の8000系という。どことなく中国辺りで走っていそうな雰囲気のデザインだ。
実は昨日今治から松山まで乗車したのもこの車両だったので新鮮さはない。
この列車は瀬戸大橋を渡り岡山まで走る。瀬戸大橋の鉄道での通過は1988年以来なのでだいぶ久しぶりである。どんな風景だったか改めて目に焼き付けておこうと思っていたのだが、これまでの旅路で少しくたびれているのか、列車に乗って程なくウトウトしてしまい、気が付いたら岡山駅に着いていた。残念。。。
岡山から松江までは特急スーパーやくもに乗車する。乗り継ぎは20分ほどなのであまりゆっくりできないが、今日頑張って松江まで行かなければならないので仕方なし。
スーパーやくももまた2時間ちょっとの乗車となる。
車両は381系だった。この車両は振り子式と呼ばれる構造を持っていてカーブを高速で通過することが出来るような作りになっている。
その構造のせいで乗り心地が気持ち悪いと評判の車両で、乗り物酔いをしやすい自分は平気だろうかとやや不安を感じながらの乗車。
松江までの経路は伯備線という路線が大部分を占める。中国地方を縦断する路線は今まで乗ったことがなかったので、今度こそこの目に焼き付けようと意気込んで乗車したが、やっぱり乗り込んで20分もしないうちに居眠りこいてしまい、気が付いたら松江という体たらく。。。
なんか、今回の旅は長距離移動の時に寝てばかりだな。。。
ユニバーサルホテル:
まぁ何はともあれ松江に着いた。人生で初の山陰地方である。と言っても暗いのでよくわからないが。
とりあえず駅の観光案内所で本日の宿を探してもらった。
手配してもらったのは駅前のユニバーサルホテルというホテル。シングル2食付きで4000円という破格プライスでやっているホテルだった。
手持ちが潤沢でないのでこれはとても助かった。
ユニバーサルホテルは松江の駅前に2カ所建物があるが、自分が手配してもらったのは別館の方だった。主な施設は本館の方に集約されているらしく、何かあれば本館まで移動しなければならないのだが、別館の方は建物がまだ新しく小奇麗だった。
チェックインして通された部屋は最上階の15階の部屋だった。
シングルで手配してもらった筈だが、部屋に入ったら妙に広い。ベッドはダブルだし、
風呂トイレもユニット式ではなく別々。こんな部屋を1人で使わせてもらってよいのだろうか、と少し心配になった。
一応フロントに確認したらシングル料金で問題ないとのこと。何か手配上の手違いがあったのかもしれない。こちらとしては棚ボタなのでありがたい限りだが。
ちなみにこうしてゆっくり入浴できる浴室まで付いている宿だが、本館には別途大浴場があるらしい。本館はこの建物から目と鼻の先にあるので、夕食を食べに行く時に大浴場に行ってみることにした。
食事の前にまずはお風呂。大浴場は温泉ではなかったが、広い湯船で足を伸ばしてじっくりと旅の疲れを落とすことが出来た。
お風呂で体をさっぱりした後に食事処に行って夕食。
食事の内容はもはや記憶にないが、値段を考えれば上等という感じの内容だったような気がする。
当時のビジネスホテル事情でも1泊4000円台で大浴場ありの2食付き、なんてプランをやっているところは殆どなかった気がする。
また松江で宿泊する機会があったらもう一度利用してみたいな、と思わせるホテルだ。
食事を済ませたら別館の自室に戻る道すがら松江駅のみどりの窓口に寄って、帰りのサンライズ出雲の切符の手配を済ませておくことに。
サンライズ出雲はA寝台、B寝台を連結しているが開放式はなく全て個室になっている。ノビノビ座席も雑魚寝部屋のような作りだが、頭の部分だけは仕切りで隠れるようになっていて今風の設計である。
他の寝台特急は開放式2段寝台がメインで、個室寝台は数両だけ申し訳程度に用意されている感じの列車が多い。B寝台の開放式の寝台料金と、同じくB寝台の個室であるソロの寝台料金が一緒、というよく分からない値段設定になっているので大抵個室はあっという間に埋まってしまう。
今時カーテンの仕切りだけで寝るのは防犯的な面でも望ましいものではないと思うので、個室化されるのは時代の要請なのかもしれない。
それはさておき、みどりの窓口で列車の手配をしたらすんなり手配完了。やっぱり平日ならこんなもんか。
車両の設備がグレードアップしているせいか、B寝台個室シングルの料金はソロよりも少し高めになっていた。
一泊を過ごす代金として考えると、本日の寝床のホテルの値段を考えてもちょっと高い気がするが、寝台料金として考えると妥当かな、という気もする。
駅からの戻り道でコンビニに立ち寄ったら、ご当地メーカーのコーヒー牛乳が売られていたので買ってみた。
木次と書いて「きすき」と読む。島根県にある自治体だ。
パッケージに書かれているイラストは今でもこのままなのだろうか。何かしらのケチが付いてもおかしくなさそうなややきわどいイラストである。自分はこういう味のあるイラストは好きなのだが。
こうして人生初の山陰地方での夜は、相変わらず街中を散策するでもなく静かに過ぎて行った。