道南散歩【6】(2013/08/15)
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ようやく人の気配がする集落へ入り一安心。
だが、歩いてきた道がもう一回り広い道へぶつかる交差点の様子がなんか変だ。
交差点の右手側から一直線に向かってくる道は、この交差点を通過してすぐに柵で遮られて行き止まりとなっている。だが、道は柵の向こうにも続いている。そのうえ、道はそのまま目の前の池に向かって一直線に延びており、まるで港の船の陸揚げ場かなんかみたいだ。
よく見ると、池の中に東北・北海道地方でよく見かける路肩表示の柱が立ち並んでる。
視線をそのまま道が続く方向へ動かしていくと、池の対岸に道の続きが見える・・・が、その角度はもはや道のそれではない。どこかから飛んできたアスファルトが山の斜面にへばりついているようだ(そんなことは現実にはないだろうが)。
上で行き止まりになっている、と書いたこの道は、金毘羅山コースの冒頭に登場したかつての国道230号線だ。
傍らに解説の看板が出ている。噴火前はここから洞爺駅の方へ向けてひたすら下る一方の道だったが、この先の国道直下で噴火が始まって標高が70mも高くなってしまったため、二つ上の写真のようにありえない角度の上り坂になってしまったのだ。
目の前に広がる水たまりは、近くを流れていた沢の水が行き場を失ってここに溜まって出来たもので、西新山沼という名前がつけられている。
傍らに立派なピンク色の建物があり、洞爺湖町立火山展示室として開放されている。噴火時の写真などを展示しているというのでちょっと見に行ってみよう。
ちなみに、ここは元々消防署だった建物だそうだ。見た目には普通に建っているように見えるが、これでも4%ほど傾いているらしい。目で見て傾いている感じはしなかったが、中に入るとなんか違和感を感じる。目では認知できない程度の傾斜でも、三半規管には認識できるようだ。
といいつつ、自分は上の写真の看板を先に見ていたので、先入観がそう感じさせているのかと思っていたのだが、看板を見ていないカミさんが同じことを言っていたので、やっぱり人間の感覚というのはこういう微妙な違和感に案外敏感なんだと思う。
館内の展示は写真が中心で、展示数はさほど多くない。室蘭本線のゆがんだ線路の写真など、当時新聞で見た覚えがある。
休憩所の窓から国道を水没させた堰止湖を見渡すことができた。今時分はこの程度の水量だが、雪解け時期などはこの建物の1階が水没するほど増水するらしい。そのため1階は立入禁止となっている。
傍らに屋根だけが水面から頭を出す休憩所のようなものが見える。人は休憩することが出来なくなってしまったが、今は野鳥たちの休憩所になっている。
さて、ここから先の散策路は「西山コース」と名前が変わる。西山コースは立入禁止となった国道の横を併走しつつ、水没を免れた町道を遊歩道として整備したルートだ。西山火口を見渡せる展望台まで歩いていけるようになっている。
ここはフットパスコースのセンター的位置づけの場所となり、車やバスで訪れることも可能なので、家族連れなどの姿もチラホラと見られ、ここまで歩いてきた道と較べたら幾分賑やかだが、お盆休み中の観光地の有様としては寂しい限りだ。
沿道には立ち退きとなった民家でみやげ物などを売る店が何軒かある。小腹が空いてきたところなので何かおいしそうなものがあれば食べてみようと思いながら歩いていると、石焼たまごなるものを売っている店を見つけた。物珍しい響きだが、所詮焼いた卵でしょ、というクレバーなカミさんの発言により素通り。
国道のすぐ脇を並走しているにも関わらず、水没を免れた町道だが、噴火の影響がなかったわけではない。ここも例外なく火山の隆起に晒されて、火口に向かって勾配がついてレース場のバンクみたいになってしまっている。またその隆起が不規則であったため、その路面は生き物が這ったように波打っている。
来た道を振り返ると、池越しにさっきの消防署の建物が見える。池の水面から生えた「止まれ」の標識がここがかつて道だったことを静かに物語っている。
この止まれ標識の直前に噴火時に取り残された車が停まったまま残っているそうだが、この日の水位は2m近くあり、完全に水没してしまっている。
最初のうちは町道の車道部分をそのまま歩いて登っていくが、やがて道がズタズタになって通行不能となってしまう。脇に古枕木を流用して作られた遊歩道が設けられており、そちらへ誘導される。
隆起に伴って地面に断層ができ、路面のアスファルトがその変状に追従できずに割れてしまったものだ。ここに定点カメラを置いてタイムラプス撮影をすることが出来たら、地面が徐々に盛り上がってやがて断裂していく様を見ることが出来たのだろう。
遊歩道の脇のガードレールも町道時代のもののようだが、激しく波打ち一部ではパイプも抜け落ちたりして、もはやガードレールとしての機能は果たせていない。
更に進んでいくと、積もった火山灰の厚みが増してくる。路面はとうに見えなくなっている。火山弾の直撃を食らったか、無残に折れてしまった電柱に残された50キロ表記が、辛うじて埋没を免れてここに道があったことを訴えている。
遊歩道を歩き始めてから10分ほどで第一展望台に到着。かつてはこの先に向かってまっすぐ町道が伸びていたが、町道の直下でも噴火が起こり道は完全に埋もれてしまった。この辺りで道路の痕跡を見ることはもはやできない。
この火口の傍らには、かつて町道沿いに建っていたアパートがあったが、火山灰によって完全に埋まってしまったとのこと。もちろん、建物の痕跡すら残っていないので、どこにあったか探すことは困難である。
噴火の直前、地面の隆起によって町道の地下に埋設していた水道管が壊れてしまったそうだ。業者が修理をしていたところ、目と鼻の先で噴火が始まり、作業員は間一髪、身一つで避難。重機はその場に置き去りとなってしまった。
今もその場所に放置されているらしいのだが、展望台からつぶさに探してもそれを見つけることが出来なかった。
遊歩道沿いにいくつか設置された案内板には噴火直後、または2006年ごろの写真が掲載されている。当時はほとんど植生もなく禍々しい被害の爪あとが観察できたらしいのだが、噴火から十数年を経た現在では、旺盛な植生によって視界が遮られたり様子が異なったりして、掲載されている写真との紐付けがうまくできない。春先なら草木も枯れて幾分マシらしいのだが。。。
というか、案内板の説明がやや不親切に感じる。書かれている内容だけでは、現在の立ち位置からどちらの方向に案内板が紹介したいものが存在しているのか判別できない。
もはや写真とは違う景色になってしまっているところもあり、方向のアタリが付けづらいのだ。まして空撮と比較しろ、と言われても、である。
もちろん、時間をかけてじっくりと観察していればそのうち紐づけできるようになってくるかもしれないが、ほとんどの人は、そこまでつぶさに観察しないまま、「ふーん」で通り過ぎてしまうと思う。
これだけの貴重な展示物、そのような扱いで終わらせてしまうのは勿体ない気がする。。。せめて現在の遊歩道の位置くらいは写真に補足できないものだろうか。
この辺りは複数の火口が横並びに口を開けている。それら火口を回り込むように遊歩道が続き、第二展望台へと至る。
第二展望台への遊歩道の途中、あちこちで噴気が上がっている場所があった。噴火当時は全く兆候がなかったのだが、10年ほど前から突如噴気が上がりだしたのだとか。
温度は90度あるそうで、地熱地帯に踏み込んだり、踏み抜いたりしてやけどしたりしないよう、通路以外は立入禁止となっている。
すわ、噴火の前触れ?と不安になるが、今のところその兆候はないそうだ。
とはいえ地球の時間の流れから言えば一瞬と言って差し支えないほどの時間しか経っていない訳で、足元のほんのちょっと下で、未だに燃え盛るマグマが地上へ噴き出すタイミングを虎視眈々と狙っている可能性だって、無きにしも非ずだ。
第二展望台から国道側を見ると、国道直下に開いた火口の周囲に国道の速度標識や、飴のようにグニャグニャになったガードレール、路肩の排水溝などの姿を遠望することができた。
一方、火口と反対側を見ると、洞爺の街とその先に広がる噴火湾が見渡せる。麓の景色は平和そのもの。すぐ背後に火山の火口を従えて立っている感じは全くない。天気がよければ湾の更に向こうに昨日歩いた大沼の背後にそびえる駒ケ岳の姿を望むことができるらしいが、今日はごらんの通りの靄り具合だ。
ここまで来た見物客は、車で来ているのか、ここで折り返して戻っていく人が多い。だがこの先にも噴火の遺構が残る場所が点在しているため、我々は、そのまま先に進むことにする。