道南散歩【7】(2013/08/15)

このページで通ったルートのGPSログ

第二展望台を出ると道は火口の縁に沿って下り、ほどなくかつて町道沿いにあった菓子工場(わかさいも泉工場)の廃墟が見えてくる。

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ここは火口のほぼ真横に位置し、上からは火山弾の猛攻でいくつも大きな穴が開き、下からは不規則な隆起にさらされ建物はねじれてしまっている。窓越しに見える室内の様子は手の施しようがないほどしっちゃかめっちゃかで、まさに弁慶の立ち往生といった言葉が相応しい惨状である。

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そこからさらに歩くと、放棄された民家がある。周囲には他にも放棄された民家が残るところもあるが、立入禁止であったり、藪で見えなかったりで、このように間近で見るのは初めてだ。

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近くの案内板に上空から見た当時の様子が出ていた。
写真に写る民家が、二つ上の写真の民家である。民家のすぐ横に発達した断層に母屋が引きずられ、途中でちぎれてしまっている。

避難指示が出されて取るものもとりあえずで避難を余儀なくされる。命からがら避難所にたどり着き、不安な時間を過ごす。不安だからテレビで情報収集したくなるだろう。噴火についての報道が逐一入ってくる中、自宅が噴火によって破壊されていく姿が映り込んだかもしれない。それをただ指をくわえて見ていることしかできなかったであろう、家人の心中は察するに余りある。

泥流に埋まった桜ヶ丘団地もそうだが、こんな状態では家にある家財道具や貴重品を持ち出すことすらままならない。仮に持ち出すチャンスに恵まれたとしてもそれは泥や灰にまみれて、朽ち果ててしまっているかもしれない。
噴火に限らない。地震や津波、洪水、山崩れ・・・日本に住んでいると、大抵の場所はこうした事象と隣り合わせであることを余儀なくされる。天変地異のロシアンルーレットでハズレを引くかどうかは運しだい。

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民家のすぐ脇に本来地中にあるはずのボックスカルバート(暗渠)が断層の隆起によって破綻して地上に顔を出していた。
このボックスカルバートを過ぎると、道はようやくかつてを偲ばせる街路樹が植えられた舗装路を取り戻した。

そこから5分ほど歩くとかつての幼稚園(とうやこ幼稚園)の廃墟が現れる。

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この幼稚園の敷地は、隆起の影響はあまり感じられず(それでも土地はいくらか傾斜しているらしい)、遠目にはわかさいも工場などと較べたら比較的原形を保っている風だったが、近づいてみるとそれは大きな誤りであることに気づく。

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建物はまるで爆撃を受けたかのように穴だらけであり、未だに建物の壁に突き刺さったままになっている大きな石など見える。

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建物の中を覗くと、無数に開いた天井の穴から、プラネタリウムの星の輝きよろしく光が差し込んでいる。
穴が開いたということは、火山弾をこの屋根は防げなかったということ。園児たちがいるときの噴火でなかったことがせめてもの救いである。

ここまで歩いてくると西山コースは終了である。
ここまで2000年噴火の爪痕を一つ一つ見て回ってきたが、それは偏に大自然の脅威という一言に尽くされる。
たまたま周辺の住民は全員避難が完了していたため、人的な被害をだすことなく終息を迎えることが出来たが、多くの有形・無形の資産を失う結果となった。

というか、有珠山は数十年おきに噴火を繰り返している非常に活発な火山であるにも関わらず、周辺の集落は山からわずか数キロの範囲に点在しており、一般的な感覚からすれば相当「ありえない」場所に人が住んでいる。そういう視点で見ると、犠牲者が出なかったのはただの偶然であり、これら被害が生じたのはある意味必然であったと言えなくもない。

一方で、火山の近くに住むことのメリットも当然存在する。一番わかりやすいものでは温泉などがあたると思う。火山が生み出す良質な温泉は、非常に優良な観光資源である。また火山灰に含まれる養分は植物の生育に欠かせない。

有珠山は噴火前に必ず予兆があり、地元の人々の間では「嘘をつかない山」と称されている。実際、過去の噴火の際も予兆を観測することが出来たため、事前に安全な場所に避難を済ませることで人的な被害は最小限に食い止めることができている。

ゆえに噴火で被害を受けるリスクを取ってでも、温泉や農業などのメリットを享受するという選択肢が成りたつ。
そういわれても、自然は気まぐれなので、そういうものですか、としか言えないが。。。

さて、フットパスの終着地点へとたどり着いた我々、この先どうしようか考える。
選択肢は、来た道をビジターセンターまでひたすら戻るか、さっきの消防署の所まで戻ってバスで帰るか、この先に見える道を歩いてビジターセンターまで戻るか、のいずれかだ。

一度来たコースをそのまま戻るのはつまらないので、同じ疲れるなら違う景色を見ながら戻りたい。だが、この先の道はやや大回りになり、気温も上がり始めた昼下がりの行軍は体力的につらい所。カミさんも少し前から疲れたと訴えている。それなら戻ってバスに乗ればいくらか安楽だが、バスの時間をチェックしていないので、バス停で長時間のバス待ちになったらこの先の散策に影響する。

さて、どうするか、と暫く考えあぐねていたその時、向こうに見える道を路線バスが街に向けて走り去っていくのが見えた。ということはあの道はバス通り。運がよければあそこをバスで帰れるかもしれない、と考えて、一度そこまで行ってみることにした。

幼稚園からその通りまで3~400mほどだが、向かっていく最中、今度は洞爺湖方面へと登ってゆくバスが通り過ぎて行った。鉄道ですら1時間に1本くらいしか来ないような場所で、次のバスがすぐにやって来るとも思えない。。。

一縷の望みをかけて、時刻表ぐらいは見てみようとそのままバス通りまで出てみたものの、肝心のバス停が見あたらない。田舎のバスはバス停以外からでも手を挙げれば乗れたりするものだが、ここのバスがそれかは分からない。

二人肩を落としてどうするかひとしきり相談。
カミさんは、ここまできたら吹っ切れたのでもうこのまま行ってしまおう、と何だか達観してしまっている。それなら行くか、とバス通りを一路北へ。道は噴火湾と洞爺湖の間に横たわる丘を一直線に登っていく。ここからもその様子がよく見えるので気力を削がれるが、行くと決めたら行くしかない。

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さっきまでどんよりした天気だったのに、よりによって雲の切れ間から日差しが降り注ぐ。いきおい気温もぐんぐんと上昇。
これはなかなか手荒い歓迎だ。。。

噴き出す汗をぬぐいつつ、持って来た水をちびちび飲んで渇きを潤しつつ、暇つぶしにお菓子をついばみつつ、淡々と登り続け、30分くらいでようやく峠に到着。

ここまでバス停は無し。ついでに人家も人の気配もなし。人のいない所にバス停を設置する理由はないわけで。。。車は頻繁に通りかかるが、「こんなところ歩いて大変だねぇ」とでも言いたげな感じ素通りしていく。

田舎の人ってこういうとき「乗っていくかい?」って軽トラの荷台に乗せてくれるものじゃないの?
まぁ、あとは下るだけなので、だいぶ気楽な気分にはなれているが。

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そのまま進んでいくと、さっき歩いてきた第二展望台を遠望できる駐車場があった。
下り道のおかげで多少ペースも上がり、ほどなく旧国道230号への分岐に到着。ここを右にまっすぐ行くと西新山沼に行くことが出来る。

そこからは洞爺湖が一望できる見晴らしの良い道を下っていく。この辺りは戦前に洞爺湖へと観光客を運ぶために開業した、洞爺湖電気鉄道の線路があったらしい。

結局バスに遭遇することのないまま、出発地点のビジターセンターまで戻ってきてしまった。内心歩いている最中にバスに追い抜かれたらいやだなぁ、と思っていたので、バスに遭遇しなかったのはむしろいいことであるw

ここまでおよそ10キロ、4時間の道のり。まぁ、疲れた。

ちなみに、帰宅後に調べてみたところ、バス停はさっきの交差点から400mばかり南下したところにあった。しかも反対方向は西山コースのスタート地点のところである。そりゃ見回しても見つからない訳だ。。。
現地で撮影した写真の時間などから推測すると、自分たちが見たバスは10時台のバスだったようだ。次のバスは一時間半以上後だったので、結果的には徒歩で進むのが最速だったようである。
というか、折角フットパス整備しているんだから、あそこの交差点のあたりにバス停くらい設けてくれたらもっと散策しやすくなるのに。。。

今回の散策ルートの全GPSログ

Posted by gen_charly