伊豆大島上陸【6】(2014/03/08)
大島牛乳を飲んで一息ついてから、ほかの出店を冷やかしていたら、「アンコさんの衣装を着て写真を撮りませんか?」と声がかかった。カミさんは、こういうのはすぐに反応するタイプなので、ぜひお願いします!とそりゃもう前のめりでw
丁度通りかかったサイクリストの一行にも声がかかり、上島竜兵さんのギャグよろしく、嫌だ嫌だと拒否していたおじさんが餌食になってしまった。
衣装を着て戻ってきたカミさんの姿は、まぁ、馬子にも衣装とでも言うんですかね。。。w
それなりにサマになっていましたよ。
ぼちぼち出発しようかと、最後に椿園のスタンプを押しにいくと、まもなくアンコ踊りが始まるというアナウンスが流れた。折角なので見学して行くことにしたのが。。。
程なくステージ上に4人のアンコさんが上がって、都はるみさんの名曲「アンコ椿は恋の花」に合わせてゆったりとした動きの踊りを踊り始めた。
「アンコ」というのはもちろん「暗刻」のことではなく、島の言葉で「姉っこ」と言う言葉が更に訛ったもので、要するに「お姉さん」という意味です。
ステージ上で踊っている踊り子の方々は、おおよそ綾小路きみまろさんぐらいにしかそう呼んでくれなさそうな妙齢のご婦人ばかり。そのうえ、妙にしかめ面で面白くなさそうに踊っている人もいて、なら辞めればいいのに、と思うのは事情を知らない部外者だからですか?。。。
折角若い女性をモチーフにした名物があるんだから、素朴な島の元気娘を近頃流行のアイドルグループにでも仕立てたら意外に受けそうな気がするのだが、どうだろうか?
結局、踊りの最後まで見ずに公園を後にした。
次の目的地は「裏砂漠」と呼ばれている場所で、一周道路を30分ほど南下すると右に入る入口が見えてくる。
この道は「月"と"砂漠ライン(“の"じゃないところがミソ)」といい、ぐいぐいと標高を稼ぎながら暫く進んでいくと唐突に・・・、
通行止め。。。
裏砂漠は立入禁止か!?と一瞬うろたえたが、更に右折する道があった。
その先は更に一回り細いコンクリート舗装の道で、所々荒れている場所もあり、フルキャブ型のサンバーにとってはやや過酷というか非常に乗り心地の悪い道で、継ぎ目を超える度に激しくヘッドバンキングさせられる羽目に。。。
ずっと登っていくと小さな広場に突き当り、そこで行き止まり。
今度は本当に行き止まり。どうやら車はここに置いてあとは歩いていくようだ。
森の中に延びる歩道には2月に降った雪がまだ残っているが、トレッキングブーツが功を奏し気にせずにそのまま歩けた。
程なく樹林帯を抜け木の殆ど生えていない砂地を歩いていくと、間もなく厚く積もった雪に行く手を阻まれてしまった。
踏み跡が見えなくなり一瞬、道を間違えたかと思ったが、とりあえず高い所から見てみようと雪の上に登ってみたら、すぐに右のほうへ延びる道を発見。
まぁ、これだけ視界が開けているところなので、ロストしたとしてもたかが知れているんだけどねw
よく見ると、火山灰の下にもう一層の雪が隠れているのが分かる。
つまり2月の始めに降った雪で積雪した場所の上に火山灰が風で飛ばされて、中旬に再び降った雪が更にその上に積もったということだろう。
同じように見える場所でも、風によってその姿を刻一刻と変えているさまがはっきりと分かる貴重な光景かも知れない。
その雪を越えていくと、尾根(というかカルデラの淵)に出て、暫く歩くと「もく星号遭難の地」という看板が立てられていた。
もく星号の愛称を持つ日本航空の旅客機が、昭和27年4月9日に濃霧と暴風雨のなか羽田を離陸するものの間もなく消息を絶ってしまう。
夜を徹した懸命な捜索によって翌日になってこの場所に墜落しているのが発見されたが、乗員乗客37人は全員死亡という大惨事となってしまった。
原因については諸説あるらしく、もく星号には与圧の機能が付いておらず乗客の酸欠を防ぐために比較的低空を飛行するのだが、その際に高度を読み違えて三原山に接触してしまったという説や、当時はパイロットも管制もアメリカ人に委託していて、指示した高度が誤りだったか、あるいはパイロットが指示とは異なる高度を飛行していたという説や、あまつさえ、パイロットが酩酊状態で搭乗して操縦困難だったと言う説まである。
当時は占領軍によって統制されていたため十分な原因調査が行われておらず、正確な原因は未だに不明らしい。
ネットで検索すると雑誌に掲載されたという事故直後の写真などがヒットし、写真の光景がここで見た風景とダブって何ともいたたまれない気持ちになった。。。
遭難の地から程なく、第一展望台に到着。
ここまでモタモタ歩いても15分ほどだ。
ここから海岸側に広がる荒涼とした風景が裏砂漠と呼ばれているエリアだ。
砂漠という名前の割には大した規模のものでもないのだが、実は国土地理院発行の地図において日本で唯一「砂漠」と表記されている場所なんだそうで。
日本では珍しい風景ゆえよく撮影などが行われているとのこと。
反対側にはカルデラが広がり、その向こうに三原山の内輪山がそびえているのが見える。
明日はあの辺りに登っているはずなのだが。。。
ちなみに少し先に櫛形山という小高いピークがあり、そこの頂上が第二展望台と言うことになっているらしいのだが、ここと見える景色はあまり変わらなさそうだったので、そこは行かずに戻ることに。
再び月と砂漠ロードを下り、一周道路に出て更に南下。
この先、波浮港の集落までひと気のない道が続きます。