伊豆大島上陸【7】(2014/03/08)

時折遭遇する歩け歩け大会の子供たちの脇を抜けながら10分ほど進むと道が九十九折になり、それを降りていくと左手に展望台の看板が見えてくる。

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ここから見えるのが「筆島」という岩礁。伊豆大島の古代の火山の火道に残った溶岩だと言われているものだそうだ。
太古の時代にこの海の辺りには火山があって、これが風波によってどんどん削られ続けた結果、火道部分に残っていた固い溶岩のみが削り残されたものだと言うことらしい。
左側に広がる急斜面はその削り取られた山の残骸で、いずれこれらも無くなっていく運命にあるといい、それが火山島の宿命なのだそうだ。

展望台から筆島と反対方向に目を向けると、海の方向を向いた巨大な十字架が見える。

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この辺りは「オタイネの浜」と呼ばれているそうで、オタイネとは、秀吉の朝鮮出兵の際に救出された朝鮮貴族の娘「おたあ」のことを指すそうだ。
その後おたあはキリシタンであった小西行長によって育てられ、彼女もまた洗礼によって「ジュリア」の名を受けキリシタンとなるのだが、徳川の代に発令されたキリシタン禁教令によって改宗を命ぜられるもののこれを頑なに拒否、その結果ここ大島に島流しにされてしまった。
しかし彼女はそれでも改宗を拒否し続けたため、更に新島、神津島と流されて神津島でその生涯を終えたそうだ。

おたあは大島で暮らしていた頃、この辺りに居を構えていたとされ、この十字架は彼女を偲ぶキリシタンの有志によって建てられたそうだ。
ちなみに「おたあ」「オタイネ」となったのは、一説では、大島の方言で目上の女性を指しす言葉である「○○ねぇ(姉)」が訛って「オタイネ」となったものだと言われている。

この十字架を見ているときに、正午を伝えるサイレンの音が聞こえた。早朝に船で軽い朝食を食べたきりなので、ここらで昼食を取ることにしよう。

島に来る前に、ここ波浮港にある寿司屋のべっこう寿司がうまいと言う情報を得ていたので、それを食べに行きたいのだが、肝心の店の名前を調べておくのを忘れてしまった。手元にあるガイドマップを見ると、集落内に寿司屋の表記があったので、多分そこだろうということで行ってみることにしたのだが。。。

寿司屋の名前は「大関寿司」と言うそうで、波浮港の西側のクダッチという地区にその印が付いている。

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余談だがこの「クダッチ」という変わった地名、漢字だと「下地」と書くそうだが、普通に読めないからかもっぱらカタカナで表記しているようだ。交差点の名前もカタカナで「クダッチ」と表記されている。
地図で大島の詳細図を見ていると、こうしたカタカナ地名があちこちにあって見ていて飽きない。

その信号から程近いところに大関寿司の看板を見つけた。

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事前に調べた情報では、お昼時はとても混雑するので事前の予約が必要と書かれていたのだが、いつ到着するか分からなかったのでもちろん予約はしていない。満席だったら諦めて違う所へ行こうと思いながら暖簾をくぐると、思ったよりは混んでいないようで、ちらほら空席もあってすんなりと中に通された。

席について早速お品書きを見ると、べっこう寿司は値段が2800円もする。。。
べっこう寿司はそんなに高級品なのか。。。

普段ならカミさんの了承のもと清水の舞台から飛び降りるつもりで頼むところなのだが、今回は元町のスーパーの総菜コーナーで売っているという情報も事前にチェックしていたのでここではあっさり諦めて違うものを頼むことに。
まぁスーパーの惣菜だけに、ここで食べるものとは多分色々違うのだろうと思うが、味見ができればいいので今回はそれでいいのだ。

結局、自分はにぎりを、カミさんはちらしをそれぞれ注文。
暫く待っていると運ばれてきた。

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正直なところ、味はふつう。。。
もちろん美味しいのだけど、事前に期待しすぎた分、期待外れだったと言ったほうが正しいかもしれない。

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丁度テレビから「ごちそうさん」が流れていて、ウチらは金曜日の回をまだ見ていなかったので、見ないようにしよう、とカミさんが言って目線を向けないようにしていたのだが、よりによってストーリーがなかなかシリアスで、気がつくと目が奪われてしまう。。。w

食べ終えてお茶を飲んでいたら、さっき寿司を握っていた大将がカウンターの隅のほうでタバコをふかしているのを見て興ざめしてしまった。。。

せめて裏に隠れて吸えば良いのに。
と言うわけで、なんとなくモヤモヤした気持ちを抱えながら昼食終了。

Posted by gen_charly