伊豆大島上陸【16】(2014/03/09)
今回歩いたルートのGPSログ
三原新山の裏を抜け、内輪山の東側へ出た。カミさんの歩いている道の奥に見えるもう一つの道が「火口見学道」と呼ばれる散策路で、行く手に小さく見える展望台の辺りから火口一周コースと分岐して火口のすぐ脇まで直接行くことが出来るようになっている。
さっき火口の近くには立ち入れないとか言っておきながらちゃんと見れる道もあるじゃないか?と思われたと思うが、ネットなどの記事によるとここから見るよりもさっきの辺りで見る方がはるかに良く見えるとのことなので、他の方法がない、ということにさせてもらった。
もっとも、ウチらは立ち寄らなかったので、本当に見えないのかは確認できていないんだけど。。。
さて、この道を真っ直ぐ進んでいくと、上述の展望台を経由して三原神社の所に戻ってお鉢巡り完了、となるのだが、まだ時間もあるので、少し欲張って別のコースを通ってみることにした。
それがこれから歩く「表砂漠ルート」と呼ばれる、表砂漠を抜けて外輪山のふちに沿って三原山展望所へと戻るコースだ。
このコースを通るつもりだったので、お鉢めぐりを時計回りとしたのだ。
調べたところによると仏教の教えによるお鉢めぐりは右回り(時計回り)が正式らしく、結果的にだが正しいお鉢めぐりをすることができたわけだ。
お鉢めぐりですらカジュアルな観光客を寄せ付けない割と本格的なトレッキングロードなのに、更にその枝道となると散策し慣れている人位しか立ち入る人もいないのか、踏み跡はかなり心細くなってしまった。
しかも、踏み後がはっきりしていたのは最初のうちだけで、、、
降りていくうちに、どれが踏み跡なのかよくわからない状態に。
まぁ、視界を遮るものが何も無い斜面なので、適当に降りて行ったところでロストすることもなさそうだが。。。
踏み跡っぽい所をトレースしながら降りていったら下まで降りることができた。
このエリア一帯は「表砂漠」と呼ばれ、荒涼とした風景が広がっている。
「表」という言葉が冠されている通り、かつてはこちらが砂漠観光のメインだったのだが、86年の噴火によって様子が変わってしまったのだそうだ。
以前は観光客を乗せた馬車がこの辺りを歩き回っていたらしいのだが、噴火によって途絶えたままになっており、近年になってようやく復活に向けたプロジェクトなどが動き始めているとのことだ。
内輪山を降り切ったところに鳥居が崩れた祠があったが、由来などの案内板などがなく詳細は不明だった。
今後直すつもりなのか、あるいはもう放棄されてしまったのか、うら寂しい感じがする。
外輪山の南の端の方にも鳥居があるのが見えた。行って見てみたい気もしたが、行ったら帰りのフェリーに間に合わなくなりそうだったのでやめといた。
踏み跡のようなただの原っぱのような殺風景な場所を外輪山方向に歩いていくと、突き当たりに雨水か雪解け水が溜まった池が出来ていた。植生が乏しいせいか、どこかの高山のような景色にも見える。
この池は普段は干上がっているらしく、地元の人から「幻の池」と呼ばれているそうだ。
池のある所から出発地の三原山展望所までは外輪山の麓に沿ったコースになる。
相変わらず人の気配が全くなくてなんだか笑えてくる。
なぜわざわざこんなマニアックな道に入り込んだかと言うと、ネットの記事に掲載されていた見所で見てみたいと思った場所が2か所ほどあったからだ。
2、3分ほど外輪山の斜面を気にしながら歩いていると、やがて斜面に大きな白い岩が見えてくる。
ここが見どころの一つ目、岩の平らな面に「必殺必勝」の文字が彫られている。太平洋戦争の頃、この島に派兵された師団が一週間ほどで彫っただものらしい。
当時は朱塗りになっていたというのだが、長い年月の間にすっかり色はあせてしまっている。
太平洋戦争の末期、本土防衛のかなめの一つであるサイパン島が陥落したことで、日本軍は戦術を変更することになった。それまではアメリカ軍の上陸予想地点に陣地を張り「バンザイ突撃」と呼ばれる玉砕戦を展開してきたが、この陥落を受けてゲリラ式の持久戦に変更したのだ。
これがのちに硫黄島の戦いなどへと繋がっていくわけだが、その際の訓示がこの必殺必勝だったそうだ。
もし日本が降伏せずにアメリカ軍の侵攻を許していたら、大島でも硫黄島のような戦いが繰り広げられたのだろうか・・・。
これ、何気に結構高い場所にあり、とても手が届くような高さではない。当時は足場かなんかを組んで作業したのだろうと思うが、こんな不便な場所に基地を作っていたとも思えず、恐らく本土防衛のために飛び立つ兵士たちへのエールとしてわざわざこの場所を選んだのかもしれない。
カミさんは、これを見てDQNのいたずらだと思ったらしく、指さした後の第一声のが、「えー、こんな所にいたずらする人いるの!?」だったw
それからもうひとつ、10分ほど樹林帯を歩き、それが途切れると同時にこんなものが見えてくる。
ダム? いえいえ。
50年噴火の時に山頂火口から流れ出た溶岩がこのカルデラを徐々に満たしてゆく中、このまま噴火が収まらなければ外輪山の中でも標高の低いこの場所から流出する恐れが出てきた。
万が一流出が始まると、麓にある野増地区が甚大な被害を受けるため、これを防止しようと住民たちが一致団結して急ごしらえで作り上げた堤防で「外輪山の石堤」と呼ばれている。
高さはおよそ10mから15mほどあり、その姿はまるでちょっとしたロックフィルダムのようだが、島の人がこれを僅か3日でこしらえたという。まさに火事場のクソ力、といったところだろう。
ただ、幸か不幸か石堤が完成してほどなく噴火が収束したため、溶岩がここまで来ることはなかったそうだ。
ちょっと上まで登ってみたい誘惑に駆られたが、思ったより斜面が急で万が一怪我しては元も子もないのでやめておいた。
足元は砂場の砂と同じくらいの非常に細かいものになり、まるで砂浜を歩いているようだ。
よく見ると、砂の下に雪が隠れているのが見える。
雪の上にすでに5センチほど砂がかぶっていて、わずか20日ほどでこれだけ砂が移動したことになるのだが、つまりそれだけ風が強いということだ。
今回は幸い殆ど風もなく、実に快適な散策を楽しむことができたが、しゃがまないと飛ばされそうになるほどの強風が吹きつける日もままあるらしく、そう考えるとなかなかラッキーだったなと思う。
外輪山の斜面に取りついてひとしきり登ると、来る時に通ってきた遊歩道に合流し、ちょっと変則的なお鉢巡りが完了。やや肌寒かったもののトータルで陽気に恵まれたのがなによりだ。
ちなみにここまでおよそ3時間の道のりで、時間は10時を回ってしまった。
もちろん大島温泉ホテルの日帰り入浴午前の部はとっくに終了している。
清掃などの時間が必要なのかもしれないが、せめて午前中は11時くらいまでやっていてくれると利用者的には便利な気がするのだが。
ちなみに表砂漠コースとの分岐点はこんな感じ。左が通常の登山道、直進が表砂漠コースだ。
慣れている人でないと、ここから入っていくのはちょっと勇気がいりそうだ。
無事に帰って来られたご褒美に展望台脇の御神火茶屋で甘味でも食べようかなと考えていたのだが、奥のほうにちょっと気になる建物を発見、先にそっちを見てからにすることにした。
今回歩いた全ルートのGPSログ