新島・式根島・神津島上陸【35】(2014/05/06)
広く立派になった道を、ようやく回復した天気に気をよくしながら走らせてゆくと、道すがらに「三浦湾展望台」という展望台があった。
足元の湾が三浦湾だ。
岬を一つ隔てて奥に広がる湾を多幸湾といい、フェリーの発着場も同じ名前になっているのだが、発着場に隣接する漁港は三浦港と呼ばれていてなんとも紛らわしい。
天気が回復したことで天上山の姿も輪郭をはっきりと拝むことが出来る。今日登っていたら絶景を見れたのかと思うと悔しいが、まぁ言っても詮無いことなので何時の日か再訪してもう一度登れる日が来るのを待ちたいと思う。
新島の白ママ断崖と同様に天上山もその一画が大きく崩れ、砂浜に大量の土砂を供給している。2000年の地震の時に大きく崩れてしまったらしい。この山もやがて伊豆大島の筆島のようになってしまうのだろうか。
三浦湾展望台からさらに少し下ると今度は多港湾展望台がある。
三浦湾の展望台と同じようなアングルの景色だが、ここからだと足元の多港湾にある三浦港が良く見える。
手前に小さく見える岩は丸島と呼ばれている。
こうやって見ると、綺麗な弓なりの砂浜をぶった切って延びる突堤が何とも無粋だが、この港があることによって冬季の就航率アップに貢献しているので、一観光客がとやかく言うのは野暮と言うものだろう。
展望台には黒曜石が掲げられた石柱が置かれているのだが、これは天上山の背後に細く延びる佐糠山(さぬかやま)で産出されているものらしい。
何の前知識もないと、ふーん、で終わってしまうが、神津島の黒曜石にはなかなか壮大な歴史ロマンが秘められている。
3万年近い昔、石器時代と呼ばれた時代に、動物をしとめたり物を加工したりするのに黒曜石が使われていたことは学校の授業で習ったと思う。黒曜石は火山の溶岩が急速に冷やされて作られる石で、割るとガラスのように鋭い切片となるため当時は切ったり叩いたりする道具として大層重宝された。
神津島の黒曜石は他の地域で産出されるものと比べて非常に良質であるとされ、関東や東海地方の遺跡から出土する黒曜石は神津島産のものが多数を占めているそうだ。
つまり、石器時代の頃には石を採掘する技術、それを船で運ぶ技術、その石を加工して細かくする技術、そしてそれを取引する社会が成立していたと言うことになる。とりわけ海上の運搬に関しては、島と本土の間を積荷を崩さずに運ぶ技術があった訳で、当時の段階で既にちゃんとした造船の技術と船の操り方が確立されていたことになる。
このことは、日本人のルーツは何処にあるのか、という壮大なテーマに繋がってゆく。
一般には大陸からの渡来説が支持されているが、これは氷河期には海が後退して大陸と日本が地続きだったという説が根拠となっている。ところが、別の説では海が後退したとしても今の海底の深さから考えて完全に地続きになることはなかったのではないかと言う説もあるらしい。
渡来説では、大陸方面から渡来して来た人たちは地面を歩いて日本に渡ってきたので、船を操る技術は持っていなかったと考えられているのだが、その場合、現に神津島の黒曜石が本土で発掘されていることの説明がつかなくなってしまう。
そこで最近提唱されている仮説が、その頃既に渡航技術を持っていた南洋の海洋民族たちが黒潮に乗って琉球や伊豆の島伝いに日本へやってきたのではないか、という説だ。
これだと彼らが元から技術を持っていた訳で、神津島の黒曜石を大量に本土へ運搬することも可能だったのではないかということになる。
まぁ、長くなったが、この黒曜石にはそんな壮大なロマンが秘められていると言うことだ。
詳細はググる先生に聞いてみてください。
というか疲れたw
読まれているあなたもお疲れ様でした。でも旅行記はもう少し続くので最後までヨロシク!
長くなったので次にいこう。山を完全に降り切ると三浦港に出る。
今日の帰りの船はここから出港することになるのだが、出港間際は窓口も混雑するだろうと思い、今のうちにチケットを発券して貰っておくことにした。
席番は63、64だそうだ。
ジェット船、どんな乗り心地なんだろうか?
さて、ここから今度は島の北西の見所へ移動することにした。神津本道は昨日通ったし、また後でもう一度通ることになると思うので、別の道を通ってみようと考えキャンプ場の裏の道へ進んでみた。
ガイドマップにはその道沿いに「謎の立石」という名所が記載されているのだが、それについての説明は何も無く、見てからのお楽しみ、らしい。
キャンプ場を横目に進んでいくと、「つつじ公園」と言うのがあった。
折角なので立ち寄ってみることにしたのだが、公園に続く階段の真ん中あたりにクマンバチがブンブンしていて入るには入れない。
カミさんが身を固くして警戒している様子から、当方の緊張を感じ取っていただければ幸いだ。
暫く待ってみたのだが、一向にどく気配が無かったので、少し離れたところの擁壁をよじ登ってそこから写してみた。
少しシーズン的に終わりかけかな。近寄って見れないのが残念。。。
さて、謎の立石はどの辺かな?と走らせていくうち、見覚えのある景色に出た。昨日天上山に登るときに通った黒島登山道へ続く道だ。
・・・と言うことは謎の立石は通過してしまったらしい。
後でネットで検索してみたが、なぜか結果が余り表示されず訪れる人が少ないのかと思ったら、出ていた写真を良く見ると看板に「謎の石立」と出ている。
もしやと思い「謎の石立」で検索すると出ること出ることw
村役場のご担当者様、ガイドマップの表記が間違っていますよ。。。
それらの訪問者の記事を見るとやはり若干見つかりづらい場所にあるらしい。
戻ってもう一度探すにはちょっと行き過ぎてしまったので、結局行かずじまい。。。