岩手へ【4】(2006/03/18)
一関へ:
2006/03/18
昨晩軽く飲酒をしたせいか、思いのほか朝までぐっすりだった。
今日は一関にいるじいちゃん、ばあちゃんに会いに行くことになっている。一関にはじいちゃん、ばあちゃんの他、お袋のお姉さん(以下、伯母さん)一家や、じいちゃん、ばあちゃんの親戚も多く暮らしており、恐らくそうした親戚一同に通り一遍ご挨拶することになるのだろうと思うが、細かいことは聞かされていない。
じいちゃん、ばあちゃん含めた岩手のみんなは、実は血のつながりがない。自分は前妻の子どもだからだ。だが、そのことを知るのは両親が離婚して暫く経ってからで、それまではお袋が実母だと思っていたので、今でも一関は心情的には自分の田舎である。
とは言っても、血のつながりもなく、別れた夫に引き取られた子供にこれまでどおりにに接して貰えるなどとは流石に思えない。そう思ったので1990年の訪問を最後に連絡を取ることもしなくなっていた。16年も音信不通にしておいて今更結婚のご挨拶なんて厚かましいにもほどがある。だから当初は岩手へは行かないつもりだったのだが、お袋から強く訪問を求められたのは冒頭に書いたとおり。
じいちゃん、ばあちゃんはどちらも穏やかな人で、流石に訪問していきなり咎を受けることはないと思うが、内心どんな風に考えているかは想像が及ばない。ある程度節度を弁えた対応を心がけようと思いながら、叔母さんの車に乗って一関へと向かった。
2時間ほどの移動で一関の家に到着。じいちゃんの家は昔訪ねた時と変わらぬ姿でそこにあった。一気に懐かしさがこみ上げる、と同時に緊張が高まった。
先に叔母さんが車を降りて家にいるみんなを呼びに行き、家の前での再会となった。
第一声をどのように発しようかずっと考えていたが、結局少しかしこまって、長いことご無沙汰してすみません、と言って頭を下げた。
それからじいちゃんに挨拶。じいちゃんは物静かな人で、まず怒るということをしない人だった。この時も何も語らず黙ってうなずくのみだった。
そして背後に一歩引いたところにいたばあちゃんにも挨拶。ばあちゃんは逆に自分の顔を見るなり涙を流した。小さいころばあちゃんが涙を流したところなんか見たことがなかっただけに、流石に少し戸惑ってしまった。お袋の言っていたとおり、自分との再会の日を心待ちにしてくれていたのだろうか。岩手への報告はしなくていいや、なんて思っていた今年初頭の自分に説教をしたい。
まずは自分の挨拶を済ませ、それからタイミングを見計らってカミさんも紹介した。
カミさんの人となりについては、お袋がさんざん岩手のみんなに吹聴していたらしい。初めて会う感じがしない、と口々に言われた。
じいちゃんもばあちゃんも自分が小さい頃からずっとじいちゃんばあちゃんだったが、流石に16年前の姿からはだいぶ年老いて見えた。腰が曲がったのか自分が大きく成長したのか、じいちゃんもばあちゃんも、伯母さんもこんなに小さかったっけか?と妙な感覚になった。
流石にこんな所で立ち話もなんだから、と部屋に移動し応接間に集まった。応接間は以前はあくまで応接間だったが、今はリビングになっていて、こたつを囲うようにみんなで腰を降ろした。
それから一頻り近況報告なんかをしつつ、見覚えのある懐かしい部屋の様子をきょろきょろと眺めていたら、伯母さんからちょっと出かけるか、と声がかかった。
それから一族やおら立ち上がって、ぞろぞろと伯父さんの車に乗り込み、一関観光へ繰り出すことになった。
なんか、こうしてみんながぞろぞろと一団になって行動する雰囲気も懐かしい。我が家は父は放任主義だったし、祖母は長いこと外を出歩くことが出来なかったので、家族みんなでどこかへ行くと言うイベントは、両親が離婚して以来全くなかった。
一関観光:
一関周辺には見どころが多くある。それら観光地は自分が幼い頃に何度か出かけたことがあったが、もう久しぶりすぎて記憶は殆どない。もちろん、カミさんにとっては初めて見て回る場所ばかりだ。
まずは一関随一の名所である厳美(げんび)渓へやってきた。厳美渓は市内を流れる磐井(いわい)川の中流にある渓谷で、奇岩が連なる光景で知られている。
そうした奇岩が続く渓谷ももちろん有名だが、ここにある郭公(かっこう)だんごもまた良く知られている、というか、そっちの方が有名か。
郭公だんごの面白さはぜひカミさんに体験してもらいたいと思い、売り場へと向かう。と言ってもそこには籠があるだけで、店舗は川の対岸にある。
籠に団子の代金を載せて、脇にかけてある板を木槌で叩くと、その籠が空中に渡されたワイヤーを伝って対岸の店に回収される。
そしてその折り返しで籠が戻って来ると、その籠の中に団子とお茶が収まっている。
団子はこれでもか、といわんばかりのあんこが乗っていて食べ応えがある。
このアトラクションが厳美渓の名物となっていて、テレビの観光番組などでも時々放送されるので、シーズン中などは結構な行列になるほどに有名である。
ちなみに店はこちら岸にもあって、アトラクションはいいから団子を食べたいと言う人はそこで買うことも出来る。
郭公だんごを食べ終わったら、その足でブラブラと散策。厳美渓の渓谷美をじっと眺めて堪能するようなことはしない。
ブラブラと散策して向かったのがサハラガラスパーク。
自分はここへ来るのは多分初めてだが、なんか昭和で時間が止まっているかのような香ばしさの残る建物である。買ったところで使い道もなさそうな土産物が売られていそうな雰囲気の建物だったが、店内に入ると意外にも本格的なガラス細工が所狭しと並べられていた。
なぜここへ立ち寄ろうと思ったのかよく分からないが、ここも店内をさらっと眺めてすぐに店を出た。
一方の我々もあまりこうした美術品を吟味して購入したりすることがないので、内心、何か買っていけとか言われたらどうしようかと思っていたので一安心。
一旦車に戻り、それから中尊寺へと向かった。
中尊寺はいまや世界遺産に登録され、日本を代表する観光地の一つであるが、訪問時はまだ世界遺産への登録に向けた機運らしきものもなかったので、地元の有名な一寺院と言う程度の観光地だった。
そのうえ国宝である金色堂は修復作業が行われていて、一番の見どころが見られない状態だった。なので、みんなも素晴らしいでしょ、とその良さを誇示するというよりは、一関観光のお約束なんで、と言う程度のテンション感だった。
この写真と同じアングルで自分らの2ショット写真を撮られた。なんでも、ずーっと昔から一関に初めて来た人を観光に連れ出す時は、ここへきて写真を撮るのが一族の習わしになっている、とのことだ。
そんな風習知らなかった。