はやぶさ乗り納めツアー - 6(2008/11/23)
車を止めてデッキに上がると船は既に岸壁を離れ、対岸の口之津港に向けて出港していました。
少し風が有って肌寒いですが、まぁ、少しの時間なので、このまま景色を眺めていようと思います。
まずは、デッキのテーブルを陣取って軽く昼食。
先ほど道の駅で購入してきた「このしろぶえん寿司」です。
「ぶえん」ってなんだろう?
酢飯に〆たこのしろを混ぜこんだお寿司で、塩加減が絶妙で美味しかったです。
寿司酢がちょっと甘すぎる感じもありましたが。。。
寿司をパクついていたら、口之津から鬼池行きのフェリーとすれ違いました。
このフェリーは両港を同時刻に出発するので、ここが丁度中間点と言う事になります。
そして船が口之津の港内に進入すると、もうまもなく港に到着します。
車に戻って到着を待ちたいと思います。
フェリーには最後に乗船したので、下船は一番最後になります。
程なくして船が到着したようで、前方のタラップが降りて、前の方から車が徐々に下船し始めました。
ここからは、先日路線の半分ほどを廃止した島原鉄道のキハ2000形を見に、現在の終点となる南島原駅へ向かいたいと思います。
南島原駅へは島原半島を半周するように延々と走っていきます。
途中、雲仙普賢岳が綺麗に見える場所があったので、車を止めて撮影タイム。
普賢岳は、度々噴火して被害を出すことで有名な火山です。
かつても1792年の噴火で大規模な山体崩壊を起こし、崩壊した土砂が有明海に流れ込んだ事で発生した津波が対岸の天草を襲い、多数の犠牲者を出したことで知られています(「島原大変肥後迷惑(しまばらたいへん-ひごめいわく)」と呼ばれています)。
最近では、18年前の1990年に噴火し、山頂付近からの高熱を伴った火砕流が流れ落ち、火山の取材をしていたマスコミ関係を中心に四十数名の犠牲者を出してしまったことが記憶に新しい所です。
その時の火砕流や火山灰による土石流によって、周辺は甚大な被害を被り、島原鉄道もその例外ではなく、一時運休していました。
その後見事に復旧して運行再開にこぎつけたのですが、乗客の減少と言う現実には逆らえず、結局部分廃止の憂き目にあってしまうのです。
かつては国鉄のキハ20形に準じた2000形がのんびりと走っていたのですが、後継となる2500形の増備と路線の縮小に伴って、2000形はすべて引退してしまいました。
引退した2000形は南島原駅の留置線に取り残されているということで、なくなる前に見ておこうと、南島原駅にやって来たのですが。。。
あれ?休み?
趣のある駅舎は入口の扉が硬く閉ざされていました。
もしかして廃止区間を勘違いして、南島原駅は既に廃止されてしまったのかと思って一瞬焦ったのですが、よく見ると、左脇の通用口のような入口の方は開いていました。
ホームにお邪魔してみると、
ホームに佇んでいたのは2500形。
車庫の方を一面見回してみても2000形の影が見当たりません。。。
駅員がいたので訪ねてみると、
「ちょっと前にみんな壊しちゃったよ。」
との事。。。
あぁ、一歩遅かったか。。。
仕方なく、とぼとぼと駅を後にしました。