3・11 - 2
— 3月11日 15時30分、 帰宅開始 —
ほぼ同じ方向に帰る会社の同僚と一緒に帰ることにしました。
歩いて帰れない人たちは、近所の空いている店を探して時間をつぶすようです。
すでに早々に帰宅を決めた人たちが歩道にあふれ、ゾロゾロと歩き始めていました。
途中のコンビニでは早々に帰宅を諦めた人か、カップめんなどをまとめ買いしている姿も見えます。
ヘルメットをかぶり、避難袋を提げて歩いている人もいて、用意がいいなぁと思いました。
交差点で信号待ちしている時に余震が来ると信号や看板が揺れてすぐ分かるのですが、大きく揺さぶられているのを見ると、 倒れてきそうで不安になります。
一緒に帰っている同僚は、宮城の沿岸部に住んでいる親族と連絡が繋がらない、と言って不安そうにしています。
原付もこちらに書いたとおり岩手に従弟がいて心配だったので、 電話をかけ続けていたのですが、幸い何度目かのリダイヤルで繋がりました。
相手はすぐに電話に出たので、「大丈夫だった?」と聞くと 「安否が分からない人もいるけど、自分含めて両親や奥さんはとりあえず大丈夫だよ。」との回答。
従弟はこちらにも書いたとおり、 自動車の整備士をしているのですが、地震で事務所のガラスは全部割れるし、工具は上から落ちてくるしで大変だったとのこと。
あまり電話を占有すると他の人の迷惑になると思い、安否が確認できて安心したことを伝えて電話を切りました。
彼とは後日また電話をする機会があったのですが、下から突き上げる揺れの時は体が浮き上がったり、 ジャッキアップしていた車が転落したりして大変だったとも話していました。
同僚は何度か時間を置いて連絡を取り続けていましたが、結局連絡が付かないまま自宅の近くに着いたので、とりあえず解散。
まだ3月だという事もあって、コートを着ていても結構寒く、しかもだんだんと小腹が減ってきたので小休止を兼ねてコンビニに寄ってみると、殆どの食品が売り切れて棚はガラガラ。
予想はしていたことなので、大して驚きもしなかったのですが、もう少し気を利かせて多めに食べ物や飲み物を入手しておけばよかったなぁ、と思いました。
温かい飲み物が飲みたかったのですが、当然そう言ったものが残っているわけも無く。
結局、自宅まであともう少しなので我慢して歩き続けることにしました。
それから更に歩いて、やっと自宅マンションが見える所までやってきました。
もし倒壊していたらどうしようかと少し不安もあったのですが、どうやら無事なようです。
それで気分的にほっとしたせいか、足取りも少し軽くなり自宅前に到着。
建物に入る前に少し周囲を見回してみましたが、建物が傾いていたり大きなヒビが入っていたり、といったこともなく、建物自体は無事だったようですが、 入り口や通路のタイルはところどころ欠けたり割れたりしているところがありました。
ホールには地震の揺れが怖かったのか、何人かの人が青い顔をして携帯をいじったりしながら佇んでいました。
その人たちを横目に見ながらエレベーターホールに向かうと、なんとエレベーターが停止中。。。
さっきの人は高層階の人だったのかもしれません。
我が家も15階でそこそこ高層階なので、いつもだったら嫌になって、直るまでどこかの店で時間をつぶそうと思うところですが、 非日常の連続に変なテンションになっていたせいか、あまりめんどくさい感覚もなく、「じゃ、登るか」 と軽く声をかけて階段で登ることに。
とはいいつつも普段運動不足の原付にとって15階までの登りは結構しんどいものでした。。。
で、どうにか自宅玄関前にたどり着きました。
— 3月11日 19時 帰宅 —
自宅周りはタイルのはがれ等もなく見た目は至って正常。
カミさんが「家の中がどうなっているか不安だね。」と小声でささやきます。
ドキドキしながらドアを開けると、玄関から見た感じは問題なく、電気もちゃんと点きました。
それで、少しホッとして靴を脱いで部屋に上がると、 玄関入ってすぐの部屋に置いていた楽器やアンプが盛大にひっくり返っているのが見えました。
軽くショックを覚えながらリビングに入ると、こちらでは重心の高い鉢がひっくり返って粉砕されていました。
他にも立てかけておいた姿見が転落して割れていたり、棚の小物が転落していたりしていました。
高層階になればなるほど揺れが大きくなるのは仕方のないことですが、震度5強でこれだけの状況になるとは思いもしませんでした。
家の中で被災していたらと思うとゾっとします。。。
土が飛び散っている植木鉢はショッキングでしたが、それ以外の食器棚や本棚やテレビなど耐震補強をしてあった物は特に影響なく、 どうやら補強が手薄な所をやられたようです。
逆に言えば、耐震補強をしていなければもっとあちこち倒れていたわけで、 このくらいで済んだことに感謝するべきなのかもしれません。
歩いて帰ってきたので、若干疲れもありましたが、土やガラスの散らかった部屋を放置しておくわけにも行かないので、 まずは片付けを済ませることに。
それと、断続的に襲ってくる余震への不安もあったので、同時進行で避難袋も準備。
避難袋は以前からある程度準備していたのですが、いざ地震を経験して、 それ以外にも必要になりそうなものを幾つ思いついたのでそれを追加しておきます。
情報を入手したかったので、テレビをつけると、各地で記録された津波の映像が繰り返し流されていました。
強烈な勢いで押し寄せて、家々を根こそぎ浚っていく濁流を見ていると、今回の地震の異常さを改めて感じずにはいられません。
ここ数十年、日本で発生した津波を伴った地震のうち、大きな被害が出たものは、日本海中部地震と北海道南西沖地震くらいで、 大抵の場合津波警報が発令されても、津波は来ないか、来てもほとんど影響のない程度で済んでいたので、狼少年の話ではないですが、 今回の津波も警報だけで実際は大した事はないんじゃないか、と思っていましたが、今回の津波は明治三陸沖地震に匹敵する (後の報道ではそれを上回る)という非常に大規模なものでした。
「明治三陸沖地震の津波」という津波が有ったことは、情報としては知っているけれど実際に見た訳ではないし、巨大な津波という現象が、 堤防や水門などが整備された現在においては、もはや伝説の世界の話のようなものだと漠然と思っていました。
ところが、今回の地震が昼間に発生したということもあり、大津波に街が飲み込まれていく様子があちこちで記録されていて、 東京にいながらにしてその様子を目にすることが出来た訳です。