岩手の地震の爪跡を訪ねて - 2(2011/05/01)
三本木PAはトイレしかないので、とりあえず出発して、次の長者原SAで朝食を済ませることに。
牛タン丼が復興支援メニューと銘打たれて割引になっていたので頼んで見ました。
混雑していて結構待たされましたが、SAのメニューにしては案外ちゃんとしていてなかなか美味かったです。
車は栗原市に入りました。
栗原市は宮城県の一番北部に位置し、おばさんの家がある一関の隣町です。
ここ数年大きな地震に立て続けに見舞われている場所で、今回の3・11では震度7を観測した場所でも有ります。
上の動画で見る限りでは道路は割りと復旧が進んでいるようで、さほど被害があるようには見えませんでした。
そこからもう少し走って、若柳金成インターで下車。
若柳金成で降りたのは、おばさんの家に余り早い時間に着いても迷惑になるだろうと思ったのと、かつて当地を走っていたくりはら田園鉄道の旧若柳駅へ再訪したいと思ったのと、 2008年6月に発生した岩手宮城内陸地震の被害の爪あとを改めて見に行ってみたいと考えたからです。
最初に大規模な山崩れを起こした荒砥沢(あらとざわ)ダムを見てから、岩手県側に回り、崩落してしまった祭畤(まつるべ)大橋を見てからおばさんの家に向かうコースで進んでみようと思います。
丁度ガソリンが底をつきかけていたので、走っているうちに見つけたGSで給油。
従弟の言っていた通り、給油制限はなく、満タンにすることが出来ました。
上にも書いたとおり、栗原市は震度7が観測された地区なのですが、道路沿いから見える建物は損傷も少なく、意外な感じです。
市街地に入ると壁が崩れている家なども見かけましたが、全壊している家は見かけられませんでした。
今回の地震は一般的な木造家屋を倒壊させやすいという1秒程度の周期の揺れが少なかったと、テレビでやっていました。この辺りで建物の倒壊が少なかったのもこれが原因かもしれません。
そして、旧若柳駅に到着。
この駅にはかつて車庫があったのですが、路線廃止後も車両がそのまま残されていて、2009年の年末に一度訪れているのですが、その後鉄道公園として整備されたと聞いたので、再訪してみたところです。
原付が訪れた日は開催日ではなかったようで、辺りに人気はなく中に入れそうな雰囲気ではなかったので、外から眺めるだけに。
かつての駅舎と車庫の間に広い道路が通されて、両者が分断されていましたが、その車庫が倒壊寸前の状態になっていました。
この公園は、鉄道に関する研究員をしていた岸由一郎さんという方が参加して作られた公園なのですが、岸さんはこの公園の会議で当地を訪れ、日帰りの予定を変更して駒の湯温泉に一泊し、翌日に発生した岩手宮城内陸地震で被災してしまい、公園の完成を見ぬまま帰らぬ人となってしまいました。
開催日には中の車両を動かしたりするそうなので、今度は開催日に来て見たいところです。
— 荒砥沢ダム —
旧若柳駅を後にし、今度は荒砥沢ダムへ。
上でリンクした記事のように、山体がかなり大規模に崩壊してしまったため、荒砥沢ダムの崩壊現場へ直接足を踏み入れることはできなさそうだったので、どうにか近いところから見ることができないかと、地図を眺めると、 一本北側を通っている道があって、現場に一番近いところを通っているようです。
まずは、そこまで行ってみようと思います。
国道457号線を延々と走っていると、途中に「栗駒山方面」と看板が出た路地があり、そこを左折。
その先はひたすら林道のようなところを進んでいきます。
一気に高度を稼ぎ、現場近くの高平牧場まで来ました。
ところが、牧場は閉鎖されているらしく、場内へ入る道は通行止め。
そこから少し進むと、道が新しく付け替えられているところに出ました。
ここの旧道が現場に一番近い所を通るのですが、こちらも通行止めでした。
仕方ないので新しい道の方へ入ってみると、斜面側の切通しが邪魔で全く見ることが出来ませんでした。
そこをさらに進んでいくと、「駒の湯方面 迂回」と看板が掲げられた交差点に出て、その先は道が途切れています。
途切れた道の先に大規模に崩れた斜面が見えたので、少し進んで見ましたが、写真を撮ろうとしたときには、濃いガスがかかってしまい、何も見えなくなってしまいました。
暫く待ってみましたが、一向にガスが晴れる気配がなく、そのまま引き返しました。
結局牧場側からは現場の様子が全く見えなかったので、駄目元でダム正面へ行ってみることに。
少し戻って県道179号に入ると、突き当りが荒砥沢ダムになります。
ところが、堤体へ続く道が手前で通行止めになっていて入ることはできませんでした。。。
ほかに道もなく、山登りするには装備が貧弱だったので、荒砥沢ダムの見学は何も得るものが無いままひとまず終了。
— 落橋した祭畤大橋と阪神大震災 —
荒砥沢ダムから、岩手県側で被害の大きかった一関市祭畤(まつるべ)地区へはほぼ北進しながらショートカットすることが出来ます。
県道179号から国道457号に出て、県道42、49号と進むと、磐井川沿いに進む国道342号に出ることが出来ます。
そこを左折し、少し行くと祭畤地区です。
国道342号から、この辺りを流れる鬼越沢に沿って石渕ダムまで続く林道の途中の山の中腹(上の地図上の赤い十字の場所)が岩手・宮城内陸地震の震源地という事もあって、宮城県側の被害もさることながら、岩手県側の磐井川周辺も大規模な山崩れが多発した地区です。
特にこの祭畤地区に設置されている地震計が記録した4022ガルという数値はギネス記録にもなっています。
地表での加速度が981ガルを超えると、重力を振り切ってしまうため、どんなに重たいものでも浮き上がってしまいます。
そう考えると4022ガルという数値がいかに驚異的な値であるかが分かります。
この地震は幸い(と言っては亡くなられた方に失礼になるかもしれませんが)、人的被害が比較的軽微だったため、どちらかと言うと印象の薄い地震ですが、マグニチュード7.2で震源の深さ8kmというのは同じ直下型地震だった兵庫県南部地震 (阪神淡路大震災) と比較的似通った規模(兵庫県南部地震はマグニチュード7.3、震源の深さ16km)のかなり巨大な地震です。
これだけ大きな地震であったにも関わらず、人的被害が少なかったのは、地震が発生時に震源からおよそ20キロ離れた一関の市街地に住んでいる親戚と連絡を取った時に、 大きい揺れにびっくりしたけど特に被害は無かったしみんな無事、といっていたことからも分かるように、市街地での建物被害よりも震源に近い山間部での地すべりや土石流などの被害が顕著だったためだということが分かります。
(ちなみに、兵庫県南部地震の震源からおよそ20kmは須磨区役所のあたりです。)
この地震で、上で触れた鬼越沢を跨ぐ祭畤大橋という橋が落橋してしまい、 耐震性能があるはずの新しい橋が崩れてしまったことで当時手抜き工事が疑われたそうですが、後の調査で秋田県側の山で発生した地すべりによるものであったことがわかったそうです。
地震の凄さを伝えるために、崩れた祭畤大橋をほぼその時の状態のまま保存しているということで、見に行ってみることにしました。