三河湾の島&熊野・高野山 - 15(2011/08/15)

— し、しろあり!? —

それはさておき、ケーブルカーは無事高野山駅に到着。
ここからバスに乗り換えですが、行き先が大門方面と奥の院方面に分かれます。
たまたま停まっていたバスは奥の院行き。

高野山を参拝するのなら表門になる大門から順に見ていくべきのような気がしましたが、バスが間もなく発車しそうな気配で、次のバスの時間を調べられず慌てて飛び乗ってしまったので、先に奥の院へ行って逆周りに大門まで見ていくコースに変更になりました。

バスは奥深い山の中を通る専用道を、右に左にハンドルを切りながら下り、ふと車窓にお寺が見えたな、と思うと高野山のエリアに入ります。沿道には寺がいくつも立ち並び、寺町のような様相を見せていました。

15分ほど乗って終点の奥の院前のバス停で下車。

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目の前に奥の院へ続く入り口があり、手水で清めてから境内に入りました。
境内に入るとすぐ広大な墓地が広がっています。

一般的に墓地は寺の裏手にひっそりと存在しているパターンが多いと思いますが、ここでは、入り口を入ってすぐの参道沿いが墓地になっていると言う珍しいパターンです。

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珍しいのはそれだけありません。
この墓地には新明和工業、福助、シャープ、日産自動車、UCCなどなど、錚々たる企業の墓(社墓)なるものが点在していることで知られています。

後に調べたところによると、主に創業者一族を祀るものと、殉職者を慰霊するものと、その他を慰霊するものに分かれているようですが、原付が見た中で「その他」カテゴリに属するものの最右翼は、社団法人日本しろあり対策協会 のものではないかと思います。

なんと墓碑には、

「しろあり やすらかにねむれ」

と彫られており、よりによってシロアリを慰霊しています。

ここまで来ると真剣なのかネタなのか分からなくなってきますが、流石に墓にカメラを向けるのが憚られて写真には撮っていません。

どんな顔をしていたらいいのか分からなくなるような不思議なお墓は実際にその目でご覧になることをお勧めします。

最初は石畳もきれいな明るい参道が続いていますが、それらの墓に目を奪われているうちに、気が付くと杉木立の中に入っていました。
杉木立の中に入ったとたん、ひんやりとした空気があたりに漂い始め、吹き出した汗も一気に引いていきます。

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それはまるで、「ここからは真面目な空間だ(というと真面目に社墓を建てた企業から怒られそうですが。。。)と告げられているような気がして、思わず背筋が伸びます。

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案内に従って両側に墓地の続く参道を進んでいくと、護摩堂のある広場を経由して奥の院に到ります。

護摩堂の脇には沢山の仏像が並べられていて、参拝客が何度も水を引っ掛けていました。

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これは、「水掛け地蔵」と呼ばれているもので、水を掛けることで願掛けをするという一風変わったお地蔵様。

願掛けをしていく人がひっきりなしにやってくるので、原付たちもその列に加わってみることに。
前の方で願掛けしている人を見ると、それぞれの地蔵に手前に置かれたひしゃくで3回くらい水を掛けてからお祈りを捧げるという流れのようです。

原付の順番が回ってきて、同じように水を掛けようとしたら、隣の方からしぶきが飛んできました。
一つ前にいる小学生がノーコントロールでひしゃくを振りかぶって辺りに水を散らしてしまったようです。

まぁ、そういうこともあるさ、とカメラだけ彼からみて後ろ側に隠れるように持ち直して、ひしゃくに水を掬ったところで、また水しぶきの洗礼。。。

流石に横にいた母親がそれに気づいて、「他の人にかけちゃだめでしょ!」と子供を諭したら、今度は静かに掛け始めました。

地蔵に水を掛けた後願掛けして、次の人にひしゃくを渡していくのですが、所々地蔵の数とひしゃくの数が合っていない所があって微妙に混雑しています。

で、そういう所では、なんとなく後ろからのプレッシャーを感じて軽くお祈りするだけに留めていたのですが、最後の方になってくると、願掛けをする余裕がだんだん無く(というか面倒くさく)なって、最後は手を合わせるだけになってしまいました。

何体目かの時に例の子供がまた乱暴に水を掛けて他の人にかかってしまったらしく、母親がまた子供を叱りつけます。
で、ついでに横にいて一緒に水を掛けていた父親にもその怒りが飛び火。

「もう!お父さんからもちゃんと叱ってよ!!」

まぁ、気持ちは分からないでもないのですが。。。

で、一番最後まで来たら、なぜか柄杓が大量に集まっていました。
最初はちゃんと均等にしていたのが、誰かが柄杓を持ったまま移動してしまって、下流に集まってしまったらしいです。

— 弥勒石 —

水掛け地蔵の裏手には玉川という川が流れていて、この玉川をまたぐ橋が「御廟橋」と呼ばれています。
この橋のこちら側が現世、向こう側が彼岸という風に分かれているのだそうです。

彼岸側に足を踏み入れて間もなく、小さな社のような建物の周りに人だかりが出来ているのが見えました。

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なんだろうと思って近づいてみると、社の前の看板に「弥勒石」と書かれていました。

なんでも、この建物の中に重軽石と言う名前の、善人には軽く、悪人には重く感じるといわれる石が置かれているそうで、これを持ち上げられる人は往生極楽間違いなし、持ち上げられない人は業が深いと言うことになっているそうです。

見ていると、女性は大概持ち上げられずに居るようですが、立派な体格の男性でも案外持ち上がらないと悲鳴を上げています。
中は二段になっていて、下の段に置かれたその石を上の段に置くことが出来るかどうかの運試しをするようです。

順番が回ってきたので、まずはカミさんから。
うんうん唸りながら持ち上げようと頑張っているようですが、外から中の様子を見ていると中にある石を右に寄せたり左に寄せたりしているようにしか見えず、持ち上がる気配がありません。

そりゃ男でも持ち上がらないんだからカミさんが持ち上げられる訳はないよな。と思いながら見ていましたが、意外と諦めの悪い性質のようで、結構長時間頑張っていました。

が、結局音を上げてしまいました。

で、原付の番。
まぁ、こういうのって、実際には絶妙に重くなっていて殆どの人が持ち上げられずに、やっぱり俗世は業が深くなるものだよね、という戒めの意味になっているんだろうな、とか邪念たっぷりで余り期待せずに右手を投入。

まず、石の位置を確認してから、その石をつかんで見ると確かに絶妙な重さ。。。
で、手が滑って、少し浮き上がった石を落下させてしまい、指を潰しそうになって肝を冷やしました。。。

ぎりぎりで指を抜いてセーフだったので、再度チャレンジ。
ん?持ち上がりそう。。。持ち上がった。。。載せられた!!

あれ。出来ちゃったよ。
向かい側から覗いていた先にチャレンジしていた人が歓声を上げました。

お、もしかしてオイラちょっとしたヒーロー?
ちょっと照れ隠ししつつ、持ち上げた石を次の人のために下に下ろそうとしたら、その向かいの人が「危ないから手をどけて」 と言って、向こう側から棒でつついて石をまた下に落としてくれました。

なので、証拠写真は有りませんが、確かに持ち上げられました。
信じるか信じないかはお任せします。

どうやら持ち上げ方にコツがありそうな感じです。
あまり書くとアトラクションとしての意味がなくなるので、詳細は控えますが。。。

というか、こんな下世話なことばかり考えている人間が往生極楽になれるもんですかね?

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いい気分に浸りながら奥の院に到着。
今回の旅行で何度目になるか分からないお参りを済ませることが出来ました。
#流石に欲張りすぎか。。。

帰りは、一の橋まで続く参道から戻ることに。
こちらは終始杉木立の中を抜けていき、両側には大昔からあると思われる墓が両側に延々と続きます。
それもそのはず、それらは、豊臣秀吉、明智光秀、武田信玄、上杉謙信などなどなど、戦国武将から大名まで有名無名を問わず、およそ高名な人たちが眠る墓所となっています。

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また、太平洋戦争時の戦没者を部隊単位で慰霊している墓所も点在していました。

一つ一つ見て回っていたら日が暮れてしまいそうだったので、かいつまんで見ながら歩いていったのですが、これがまた長いこと。。。
もしかして道を間違えて山奥のほうへ進んでしまっているのではないかと不安になる頃にやっと景色が開けてきて一の橋に着きました。

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いやいや、奥の院はなかなかコアな場所でした。

Posted by gen_charly