千住界隈ぶらり散歩 - 3(2012/03/03)

— 厄除けされた気分になる —

菊やのすぐ裏手が荒川の土手になっていて、折角なので、この土手を通って西新井橋方向へ向かうことにしました。

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荒川は、かつては今の隅田川のことを指していたのですが(だから、隅田川の縁にあるのに「荒川区」なんです)、今は岩淵から東京湾まで人工的に作った放水路を荒川と呼んでいます。

土手に立つと荒川の川幅の広さに圧倒されるのですが、これが大正時代の初期に人の手によって掘られた川というのはにわかに信じがたいものです。

そもそも、北関東地方を流れる各河川の流路は江戸時代の水運の発達や関東平野の新田開発などの理由によって大幅に改修されています。

かつては、

鬼怒川 → 現在の利根川
渡良瀬川 → 現在の江戸川
利根川 → 現在の中川
荒川 → 当時の利根川に合流
入間川 → 現在の隅田川

だったものが、瀬替えをしたことにより、

鬼怒川・渡良瀬川・利根川 → 現在の利根川(中川・江戸川は分流として残す)
荒川・入間川 → 現在の隅田川

という形に変わりました。
この工事によって、川の水量が大幅に増えた事で、水運などが大幅に便利になった反面、水害が多発するようになったそうです。
そりゃ、3本の川を一つにまとめようとしたらそうなりますよね。。。

もちろん、それは隅田川においても例外ではなく、頻繁な水害に悩まされたことから、上述の荒川放水路を建設することになったという経緯があります。

当時の知見でそうなることは予想できなかったのかもしれませんが、便利にしようと川をまとめたら水害が多発して、仕方ないからまた川を掘ったって、どんだけ泥縄なんだよ?という気がしないことも有りませんが。。。

あちこちの河川が流路改修されている今となっては、荒川が人工的に掘られた川かどうかパッと見では分かりませんが、東京においてこれだけ空が広い場所もなかなかないので、それはそれで良かったのかな、という気がしないでもありません。

それはさておき、ぶらぶらと土手を歩いて西新井橋に到り橋を渡ります。
西新井橋はこないだの雪でスリップしたのか歩道のガードレールが到る所でひしゃげていて、東京人の雪に対する認識の甘さが図らずも露呈した形になっていました。

橋を渡り、そのまままっすぐ進んでいくと、左手にアリオが見えてきます。
ここは西新井の再開発で生まれた街です。

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アリオの脇を通り過ぎると、「西新井大師道」と書かれたゲートがある路地に出ました。

ここを抜けていくと西新井大師へほんの少しだけショートカットできます。
大師道はちょっとした商店街になっているのですが、さほど盛り上がっていないのが残念なところです。

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商店街を抜け、環七を渡ると、西新井大師の門前町になります。
沿道に建つ「まめ屋」は色々な豆菓子を売る店なのですが、試食が充実していることで有名です。

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門前町は環七の交差点から百メートルちょっとしかなく、あっという間に山門に至ります。
山門のすぐ前に道を挟んで「清水屋」「中田屋」という2軒の割烹があります。
どちらの店も山門のまん前の角で草だんごを売っており、女性の売り子が各店とも3,4人並んで盛大に呼び込みを行っています。

そもそもラーメンを食べたばかりで余りお腹も空いていなかったので、食べないつもりだったのですが、山門の写真を撮っていたら試食を強く勧められたので、一口頂いてみました。

割とありふれた草もちの味でこれといって目新しさはないものの、老舗ならではの安心できる美味しさのだんごでした。
更にお茶も出してもらって、なんだか申し訳ない気持ちに。

だからといって、買わないのが我が家の家訓w
お礼を言ってそのまま山門をくぐって境内に入りました。

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境内には屋台が何軒も立ち並んでいて、縁日のようでしたが、普通の土曜日なので参拝客もそれほどおらず、若干閑古鳥が鳴いている感じです。
もっとも、原付的にはこのくらいの方が気が楽ですが。

そんな屋台に挟まれるようにひっそりとお地蔵様が祀られていました。

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地蔵の名前は「塩地蔵」といい、地蔵の足元?には塩が山となっています。
いぼ取りにご利益があるそうで、この塩を持ち帰って効果があった時には倍の量の塩を返すことになっているそうです。

前の人が自分が治したい部位に塩を塗り込んでいたのを見て、カミさんも同じように塩を塗り込んでいました。
お堂の脇の立て看板にそう書かれているのをちゃんと読まなかったので、正しい作法が分かりませんでした。。。

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それから本堂にいたり、お賽銭をしてお参りを済ませました。
賽銭箱の裏側はガラス越しに護摩堂になっていて、参拝者が何人か座っていました。

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丁度奥からお坊さんが出てきて、お護摩がまもなく始まるというので、少し見学してみることに。
最初は数人がぱらぱらと座っている程度だったのですが、始まる直前には座敷がほぼ人で埋まるくらいの参加者になっていました。

裏で太鼓が打ち鳴らされ、お堂の両脇から位の高そうなお坊さんが数人出てきてお堂の炉を囲うように並びました。
中心に居る一番位の高いお坊さんが赤の着物でそれ以外のお坊さんが緑の着物です。

太鼓を打ち鳴らすお坊さん、大きいお鈴(りん)と錫杖を鳴らすお坊さん、前へ出て聖水を参拝者へ振り掛けるお坊さんなどそれぞれ役割が分担されています。

太鼓や鈴の音のビートが徐々に早くなり、お経を読むテンションも上がって行き、そのテンションが最高潮に達したところで、中央の炉に火がくべられ、高い火柱が上がります。

一頻りテンションが高まったまま読経が続き、それからクールダウンをするように少しずつビートが緩やかなものになっていき、やがてお護摩が終了しました。

フリーライドしちゃって少し申し訳ない気もしましたが、なかなかすばらしい光景を見ることが出来てまさしく眼福でした。

そろそろ夕方になりそうなので、お散歩は今日はここまで。
流石にずっと歩き通しで疲れてきたので、帰りは電車を使うことにしました。

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西新井大師のすぐ脇に東武大師線の大師前駅があります。
東武大師線は、西新井駅から大師前まで1キロの路線です。

今ではほぼ西新井大師への参拝客の輸送機関となっておりますが、開業当時は、そのまま延伸して東武東上線の上板橋駅との間を結ぶ西板線計画の一部だったそうです。

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結局西板線は未完に終わり、現在は2両編成のワンマン列車がのんびり往復する路線となっています。

西新井までわずか一駅しかない路線のため、大師前駅には切符の券売機も改札もありません。
そのまま電車に乗り込んで終点の西新井駅にある構内改札を通ると初乗り運賃が徴収される仕組みです。

東武は結構昔から合理化を進めている路線ですが、このシステムは確かに効率的です。
原付の出身地は東武東上線の沿線でしたが、駅の改札には多客時以外駅員は立っておらず、切符にも「入鋏省略(改札時の鋏は省略の意味)」と書かれていて、切符を買っても買わなくても入場の段階では全く判らないようになっていました。

しかも、ホームで電車が発車するときも発車ベルは鳴らさずに車掌の笛だけでドアの開閉を行っていた(というか今でもそうですが)くらいなので、徹底していましたね。

まぁ、そんな路線に乗って西新井で伊勢崎線に乗り換えて自宅に戻ってきました。

(おわり)

Posted by gen_charly