鹿児島へ【1】(2006/08/11~08/12)

この年、カミさんと入籍を果たしたことは金沢へのエントリで触れたが、結婚式は半年ほど後の6月となった。
カミさんは両親ともに健在だが自分は父しかいない(後妻はノーカン)。そのうえ親が親戚付き合いを疎かにしていたので冠婚葬祭に顔を出してくれる人もいない。一方カミさんの両親は兄弟が多いので親戚が多い。

結婚式といえば親戚が一堂に会すまたとない機会である。だが両家のバランスがそういう状態なので無配慮にその辺の式場で開催したら参列者がカミさんの親族だらけになってしまう。教会の新婦側の列にだけ参列者が座っている状態は流石に情けない。なので結婚式を計画する段階でカミさんにその辺の事情を伝えたうえで、極々身内だけ集まって海外で式を挙げないか、と持ち掛けた。

それでカミさんがみんなにちゃんと花嫁姿を見て貰いたい、というのであれば恥を晒す覚悟を決めるつもりだったが、自分の事情を忖度してくれたのか、海外で挙式やりたい!と前向きな回答が得られたので、その前提で計画を立て6月に挙式を挙げてきたという次第。


で、親戚各位へは2人は海外で挙式を挙げることを希望しており、すみませんが今回は家族のみでやります、と伝えていたのだが、挙式を済ませて程なくその親戚方面からお盆辺りに顔見せしに来ませんか、と提案があった。

カミさんのご両親は鹿児島の出身なので親戚も鹿児島の辺りにいる。つまり鹿児島へ来いと言う話だ。お盆に鹿児島へ行くとなると飛行機代が馬鹿にならない。挙式でお金を使ってしまった我々はもうすでにカツカツだったので、費用節約のために車で行くことにした。まぁ、車で行ったからこそこのエントリを立てている訳だが。

自分は九州方面に親類がいないので鹿児島は未知の世界である。行ってみたいと思っていた場所ではあるが移動にかかる時間は想像がつかない。そんな長距離運転できるのだろうか、と思ったら今回はカミさんのご両親も同行するので、お義父さんがドライバとして名乗りを上げてくれた。2交代制ならなんとかなるか。
お義父さんが若い頃は家族を載せて単身鹿児島まで運転して帰っていたそうだ。それであれば大丈夫な気もするが果たして。


折角鹿児島まで足を延ばすのだから、桜島なども観光して回りたい。結果的に桜島への訪問は叶ったが、それ以外の鹿児島観光は行わず、何故か四国方面を散策して帰ってくることになった。


一路、西へ:


2006/08/10~11

出発は8月10日の夜となった。道が混雑したら鹿児島到着がいつになるか分からないので、道が空いているうちに出ようと言う算段である。
自分の車の方が車内が広いということで、スパイクで行くことになった。

トップバッターは自分。ご両親を乗せての運転にやや緊張しつつ東名を進む。道は混雑もなく順調に流れている。大した休憩も取らず夜通し運転し、岐阜に入った辺りで夜が明けた。

流石に夜明けを迎える時間帯になると眠さも極まって来る。養老SAに寄ってドライバ交代となった。


リアに移動したら一瞬で落ちてしまった。次に目覚めた時には吹田ジャンクションの辺りだった。お義父さんはがっつり渋滞にハマりノロノロ運転を強いられていた。そんな渋滞エリアをお義父さんに運転させてしまっていることに若干の罪悪感を感じたが、結局ボンヤリ車窓を眺めているうちにそのまま再び寝入ってしまった。

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そして次に気が付いた時には宮島SAに到着していた。いつの間に広島県まで進んでいたのか。過去に1人でハンドルを握って鹿児島へ行っていたというだけあってお義父さんのスタミナが凄い。

時間は既に夕方である。と言うことは10時間くらい寝ていたのか。その間、お義父さんはひたすらハンドルを握っていたことになる。いい加減起きろよ!って喉元まで出かかっていたのではないだろうか。起こしてくれてよかったのですが。。。


宮島SAで夕食を済ませて再び自分がハンドルを握る番になった。この辺りは既に初めて運転する場所に入っている。どんな景色が見られるのかワクワクしながらハンドルを握った。まぁ、ほどなく日が暮れて景色もへったくれもなくなるのだが。。。


20時くらいだったか、関門橋を渡ってついに九州へ上陸。自分にとって初めての車での九州上陸だった訳だが、周りの景色が見えず緑の看板を見てそうだと知るのみであまり実感が沸かなかった。
更に運転を続ける。福岡を抜けてぼちぼち熊本に入ろうかと言うあたりで、カミさんがお風呂に入りたいと言い出した。

考えてみたら熊本に入れば今回のドライブも佳境である。今のうちに風呂に入っておかないと、この先入るタイミングがない。鹿児島の親戚に熟成された姿で会う訳にも行かないので、熊本に入った所で一旦高速を降りてナビで日帰り温泉を探してみた。

既に21時を回っており、やっていない可能性もあったので、カミさんに画面に表示されている施設に一軒一軒電話をかけて営業時間の確認をしてもらったところ、植木温泉 藤の瀬という施設が営業中と言う回答だったのでそこへ向かった。


その施設は家族風呂があり気兼ねなく入れるのでそっちにしようと、2部屋?分の料金を支払う。湯舟は家族風呂だけあって小ぢんまりしている。せいぜい3人くらいがいい所と言う大きさ。
もちろん2人での入浴なのでそれで困るということはなかった。お湯は良く温まるいい湯だった。


お風呂を済ませたらあとは鹿児島へのラストランを果たすだけだ。ここでお義父さんが再び運転を代わってくれるというので、お願いすることにした。わざわざ高速を通るような距離でもないから、とここからは一般道を進むことに。

暫くは皆でワイワイ語らっていたが、気が付いたら再び眠りに落ちていた。気疲れしているのか今日は眠ってばかりだ。

真夜中の交通トラブル:


2006/08/12

「オイコラっ!窓開けんかーっ!!」

何時頃だろうか、突然そんな怒鳴り声が聞こえて目を覚ました。窓の外を見るとトラックドライバーと思しき兄ちゃんが、物凄い剣幕でお義父さんに詰め寄っている。何事!?

運転席でその剣幕が聞こえていないかのような顔で押し黙っているお義父さん。助手席に座っていたお義母さんは恐怖にひきつった顔をしている。お義母さんが兄ちゃんの求めに応じて窓を開けようとしたら、すかさず、

「開けんでいい!」

普段物静かな雰囲気のお義父さんが発した言葉とは思えない強い口調でお義母さんを制す。
それから運転席の窓を少しだけ開いて、

「アンタが悪いんやろが!!」

と負けずに言い返す。いや、何があったのよ。
カミさんも目を覚まして自分の横でひきつった顔でお義父さんの様子を伺っている。

暫くにらみ合いのような状態が続いた後、兄ちゃんは舌打ちしながら窓を強く小突いて車に戻って行った。俺の車じゃあ。
相手が車へ戻っていく間にお義父さんはこともなげに車を再び出発させた。


お義父さん以外は皆寝息を立てていたので、何がドライバーの兄ちゃんを猛り狂わせたのかさっぱり分からない。これはことの経緯を聞かねばなるまい。車内が落ち着きを取り戻したところで何があったのかお義父さんに訪ねる。

それによると、この車の後ろで兄ちゃんのトラックが煽って来たので、お義父さんの闘争心に火がついてスピードを早めたり遅めたりしていたら相手がキレた、と言うことらしい。ただ、いつの間にか普段の物静かなお義父さんに戻っていて、多くは語ってくれなかった。故に詳細は不明。結果的に何事もなくてよかったが、兄ちゃんが無双したらどうするつもりだったのか。お義父さんは物静かに見えて案外アグレッシブな性格を内に秘めているのだろうか。


それからもう暫く走って、午前4時頃に水俣に入った。
いつの間にか水俣まで来てしまった。九州島内のドライブに思いを馳せる間もなく着いてしまった。運転を交代しながらだと殊の外あっという間に来れるものなんだな。
両親の実家は大口という街にあり、そこまではもう一息なのだが、流石にこのままではちょっと到着が早すぎるということで、最寄りのパーキングで時間調整してから向かうことに。

JR山野線西山野駅跡:


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9時ごろ起床し、それから1時間ばかり走ってようやく最初の目的地となるお義父さんの実家に到着。延べ30時間のロングドライブであった。

しかしこの車である。昨晩のトラックの兄ちゃんはきっとナメた若造がハンドルを握っていると思っていたに違いない。
それがまさか、老人一歩手前のオヤジがハンドルを握って、ご家族がリアで就寝中の超ファミリーカー状態であるなど、これっぽっちも考えなかっただろう。恐らく窓から中を覗いた瞬間、気まずかったのではないだろうか。


それはさておき、家に上がってお義父さんの母上と先着していたご兄弟に挨拶。一頻りお祝いの言葉で迎えていただくことができた。
それからご先祖様に挨拶を済ませて居間で一頻り談笑。まぁ色々聞かれたがそつなく返答。

今回、我々の顔見せはメインイベントのひとつではあるが、本来はお盆の集いである。なので親族の迎え入れやお盆の準備でみな右往左往していた。とりあえず座っててと言われたがやることがないので程なく退屈になった。

家に上がる前、家の前の道の向こうに線路の築堤のようなものが見えた。さっき伯母さんと会話していた時に、あそこに見えるものは何ですか、と尋ねたら、あそこは山野線の線路跡ですぐ脇に駅があった、と教えて貰った。山野線?

お盆の支度の邪魔をしないように、という意味も込めてカミさん誘って少し散歩してみることにした。

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写真だと分かりづらいが、左の民家の背後に土手のようなものがある。しかし山野線なんて聞いたことがない。貨物鉄道か何かだろうか。でも駅があるって言ったしなぁ。

近づくと築堤は道路で途切れており、道路が面している部分はガード下のようなコンクリートの擁壁になっていた。伯母さんはこの辺りに駅があるようなことを言っていたが、駅への入口らしきものがない。どこに駅があるのだろうか。

とりあえず築堤に登ってみてみよう、ということで築堤の斜面を徒手空拳でよじ登ってみた。

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と、よじ登った先にホームがあった。これが駅か。ホームは片側1面で線路は単線のようだ。だとしたらやはり旅客鉄道が走っていたということだよな。旅客鉄道なら全国の路線はほぼ網羅している自信があるが、その自分が知らないのだから相当昔に廃止になったものかもしれない。

ホームの周囲に駅舎らしきものもなく、駅名標なども失われていて駅名すらわからない。これは難易度が高い。。。

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ホームから築堤の続きを見ると単線分の築堤が森の中へと続いているのが見えた。バラストなどは既に残っていないものの、築堤そのものは割としっかりその形を残している。ということは廃止はそれほど昔でもない?

ホームから見えるものはそれだけであった。自分らがよじ登って来た築堤とホームを挟んだ反対側にスロープがあるのが見えたので、そこを降りてみることにした。降りるとほどなく民家が建ち並ぶ小集落があり、

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その途中の民家の庭の片隅に朽ち果てた駅名標が立てかけられていた。西山野と書かれている。国鉄線の駅名標のデザインに準じているが木製の駅名標なのでかなり昔のものかもしれない。というか現役当時に使われていたものであれば相当貴重なものだと思うが、朽ち果て方が残念でならない。

鉄道駅に関する遺構はそれ以外には特になかったので、あとはそのまま家に戻った。ものの20分程度の散歩であった。


後日、この路線の詳細が分かった。ここはJR山野線西山野駅跡だそうだ。意外にもJRになるまで生きながらえた路線だったようだ。とはいってもJRに民営化された翌年の昭和63年には廃止となっているのでもう20年近く前だ。

全国の旅客鉄道は網羅しているなどと大口を叩いたが、国鉄からJRへ移行する前後の時期に廃止された多くの路線についてはあまり詳しくない。自分が鉄道ファンになるより前に廃止された路線というのはあまり興味を持っていなかったせいだ。なので山野線については寡聞にして知らなかった。


山野線は熊本県の水俣と鹿児島県の栗野を結んでいた路線で、途中の薩摩大口からは宮之城線が分岐していた。駅には機関区が設置されていて、大口は鉄道の街でもあったらしい。だが両路線とも昭和63年までに廃止となっている。

それはさておき、山野線と言う路線名を聞いてそこはかとない違和感を感じた。国鉄の路線名は八高線のように始発駅と終着駅から一文字ずつ取った名称を採用することが多い(八高線は八王子と高崎を結ぶ路線)。あるいは、沿線の大きな町や旧国名などから付けるケースもある(相模線など)。

その法則に従うと、栗水(りっすい)線とか大口線と言った名前になるのが妥当であるように思うのだ。この路線には山野という駅も存在していたが中心駅でも何でもなく単なる小駅に過ぎない。なぜそんな小駅を路線名として採用したのか。その理由は案外単純だった。この路線は開業後に国鉄に買収された路線で、それ以前は山野軽便線と称しておりそれに由来しているということだそうだ。


しかし、自分の人生において鹿児島に縁が生まれるなど想像もしなかった。そのうえその親類が山野線という廃路線の沿線住民であるなんてなんか出来すぎている。岩手の田舎には家の前に大船渡線の線路が通っている。不思議な共通項である。

親戚紹介中の違和感:


思いがけない鉄分補給に満足して家に戻ると、伯母さんから長旅で疲れているだろうから少し休みなさいと促された。
道中まぁまぁ眠ってはいるのだがすっきりしているというほどでもない。だが初めて上がる家で1人眠るのも気が引ける。カミさんの顔を見たら私は寝ないから寝ておいで、と言われた。それならばということで少し仮眠を取らせてもらうことに。

奥の和室の開け放たれた窓から、真夏の鹿児島にいるとは思えない涼風が吹き込んできてほどなく眠りに落ちた。


大口(大口市は2008年に隣の菱刈町と合併して伊佐市となっているが、このエントリでは当時の自治体名で表記する)は鹿児島県の最北端に位置する自治体だ。市内の標高は200m前後と比較的高い場所にあり更に盆地となっている。

盆地と言えば夏暑く冬寒いというあまりありがたくない気候であることが多いが、大口も例外に漏れず冬場は厳しく雪も良く降るらしい。鹿児島で雪のイメージはなかった。伯母さんはそんな気候を揶揄して、大口は鹿児島の北海道なんて呼ばれているのよ、と言って笑っていた。言い得て妙である。


1時間ほど眠ったらしい。カミさんに起こされ目を覚ますとみんなが出かける準備をしていた。どうも近所に挨拶参りに出かけるらしい。
え?この辺りではご近所さんにも結婚を報告しているの?と身構えたがそうではなく、周辺に親族が多く集まっているからだとのこと。

それらの家々へ行って玄関から中の人に声をかける。暫くすると中から家人が出てくるのだが、奥様が玄関先に出てくると恭しく三つ指をついて、ようこそお越しくださいましたと頭を下げる。どこの家でもそうした光景が展開され、皆さん随分と丁寧なもんだな、と思った。

鹿児島は亭主関白気質の強い所だと聞いたことがある。それゆえこうしたしきたりが今も残っているのだろうか。おれそんな大した人間じゃないっすから、みたいな恐縮した気分になる。


それからお義母さんがその家人に自分を紹介する。

「この人が○○(カミさんの名前)のお婿さん。」

と、行く先々で自分を指して婿呼ばわりで紹介した。最初の家では言い間違えたのかと思ったが、ずっとそう言っているのであくまで自分は婿であるらしい。いや婿養子じゃないんだけどなぁ。。。いやでも、そもそも身内であるお義母さんがそこを勘違いする訳がない。変に訂正して水を差すわけにもいかないと思い、微妙な笑顔で自分も婿になり切った。なんかそういうテイにしておきたい、みたいな事情ありましたっけ?

そんな感じで近所数軒の家で挨拶を済ませて家に戻ってきた。
一息ついてようやくお義母さんにさっきの発言の真意を聞くことが出来た。この辺りでは婿と言っても奥さんの家庭に入るいわゆる婿養子のニュアンスはないそうで、単に娘の夫を指した言葉にすぎないそうだ。そういう文化の違いもあるのだな。

奈加夢羅のそうめん流し:


家に戻ると丁度昼時。食事に連れて行ってもらえることになった。店の名は奈加夢羅(なかむら)と言い、この辺りの人たちが来客があった時に連れて行く店の定番だそうだ。

もっぱら炭焼き料理などを出す店であるらしいのだが、流しそうめんも有名とのこと。

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店は雑木林の片隅に建てられていて、すぐ脇には小川がせせらいでいる。

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客席はその小川の上に張り出すように拵えられたデッキになっていて、床がキャットウォークのような金属板になっているので足下に川のせせらぎがシースルーで見えている。鴨川の納涼床みたいなものか。涼を誘うなんとも風流な仕掛けだ。

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テーブルは円卓のようになっていて丸くみんなで腰掛ける。それはよいとして流しそうめんはどこでやるのだろうか?
・・・と思っていたら、テーブルの真ん中に円形に張り巡らされた溝に水が張られ、それがぐるぐると回転し始めた。まさか。

続けてそうめんが運ばれてきた。それをみんなが徐にそのぐるぐる回っている水路に落とし始めた。

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なるほど、そう言う仕組みか。
一般に流しそうめんというと半分に割った竹を斜めに置いて、水を流しながら上流からそうめんを落とすものをイメージすると思うが、あれは取りそびれると下まで落ちてしまうので、後でざるに集められたそうめんを食べなければならなくなる。
だが、こうして円形にぐるぐる回っていればその心配もない。よく考えられているが、これご家庭でやるやつだよな。

後に調べてみたら鹿児島で流しそうめんと言えばこのスタイルらしい。基本どの店でもこの方式の流しそうめんが楽しめるそうだ。

ちなみにここまで「流しそうめん」と表記したが、正しくは「そうめん流し」だそうだ。何の気なしに流しそうめんと発言したら、そうめん流しね、と訂正された。意外なところに強いこだわりがある。。。

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七輪の上に載っているのは鶏の炭火焼である。宮崎の名物だがこの辺りは宮崎からも遠くないので、食べる文化が伝わっているそうだ。


そして、鳥刺しなるものも頼んでくれて、ほどなくそれもテーブルに並んだ。

「鳥の刺身って食べたことある?」

もちろんないです。生で食べられるんですか?と思ったら、新鮮な鳥であれば慎重に捌くことで生食が出来るのだそうだ。南九州では定番の料理であり、にんにく醤油に付けて食べる。鳥ならではのしっかりとした歯ごたえと共に、お魚のお刺身のようなトロっとした食感が楽しめる。意外にも癖になりそうな味だった。

ニンニク醤油の醤油には甘いものが使われていた。これも南九州では一般的な醤油だそうだ。甘いと言ってもしょっぱさのランクを表したものではなくガチで甘い。

実は自分が子供の頃、我が家で出される食べ物は基本なんでも甘く味付けされていた。トマトは砂糖をかけて食べるし、ご飯は桜でんぶと砂糖とか、きなこと砂糖とかで食べる。納豆ですら醤油と砂糖だった。それが変わった食べ方だと知ったのは大きくなってからだった。その納豆に混ぜた砂糖醤油の味を思い出した。

・・・何の参考にもならんな。分かりやすい例えでいうと団子のみたらしあんだろうか。そういうレベルの甘さである。


昼食を済ませたら再び家に戻って、あとは夕方まで時折やって来るご近所さんの相手をして過ごした。
夕食の支度をしてもらっている間、お義父さんのお母様(煩わしいので以下、おばあさん)の話し相手になったのだが、

「山野まで汽車に乗って(学校の?)先生がやってきた時、こんな猿が出るような田舎によくお越しになったと言ったものだ(意訳)」

これを繰り返し聞かされた。多分10回くらいw
どうも昼間に山野線の線路跡を見に行ったことがおばあさんにも伝わったせいらしい。

おばあさんはもう90歳を過ぎた御大である。年齢相応の認知の衰えはあるようだが仕草がおちゃめなおばあさんだった。


夕食後続々とお義父さん側のご兄弟が集結した。その中の1人がエステティシャンであるそうで、カミさんにも特別に無料施術して貰えることになった。オイルで念入りにマッサージされた後にパック。素人が端で見てもビフォーアフターで全然肌のキメが違うつや肌になっていた。もちろんカミさんもご満悦。

そして程よき所で就寝となった。

Posted by gen_charly