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中学校の修学旅行に行った時の話である。

旅行先は奈良と京都。これは当時の関東地方の公立中学校の修学旅行先として割とベタな訪問先だった。
我々の中学校のプランの場合、1日目は新幹線で京都まで行って、そこから奈良へと向かい、奈良観光のあと市内のホテルに宿泊。2日目は京都へ移動しつつ京都市内の観光をしたあとホテルに宿泊、3日目に帰宅、プランだった。

1日目の奈良観光 ...

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1990/11/14

1990年の県民の日も例によって埼玉を一周してみることにした。
前回は110カメラだったが、今回は35mmのコンパクトカメラを持参しているので、前回よりはマシな写真が撮れずはず!

だったのだが。。。


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それから東海道線に乗って大垣へ。

関が原を超えると岐阜県に入って中部地方となる。と同時にJRも西日本から東海のエリアに入る。この地域はこれまで新幹線で通過したことしかなく、在来線を訪ね歩くのは初めてだ。どんな車両が見られるだろうかとワクワクした。

大垣で遭遇したのは117系のJR東海色と、

311系だ。311系は名古屋地区でしか見られない車両である。

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この後は南海線で大阪へ戻るつもりだ。南海線も比較的手薄な路線だが、特に泉北高速鉄道の写真は撮りに行きたい。
南海線は和歌山市という駅から発着しているので、そちら方向に向けて歩く。
駅に到着したら、特急サザンがやってくる時間が近かったので、とりあえず座席指定券を入手。

それからホームに上がってしばし撮影タイム。
行先が白飛びしてしまっているが、加太線の710 ...

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1990/08/31

宿は奈良、と言っても新大宮から近い所だったようで、翌日は新大宮の駅で撮影した写真から始まっていた。
なぜ父が奈良のホテルを取ってくれたのかは、既に記憶がない。

さて、本日のコースだが、昨日の移動中に明日はあっち行ってみようかな、こっち行ってみようかな、というのはぼんやり考えていたのだが、まとめきれないまま宿に着いたのだった。

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そこから地下鉄中央線と大阪環状線で京橋へ。
京橋から、当時沿線で開催中だった花の万博(国際花と緑の博覧会)へのアクセス路線として開業したばかりの鶴見緑地線を撮影しに行く。

鶴見緑地線は日本初の鉄輪式リニアモーターの路線として開業した路線である。
通常、モーターは円筒形のケースに格納されており、電流が流れると、中の回転子が回転して動力を得ることが出来るのだが、モータ ...

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1990/08/30

夏休みに入って前半に一関に行ってきた話は既に書いたが、少し前から大阪方面の撮り鉄の旅に行きたくて、父に打診していた。
父は自分が一関に行っていたことは知らなかったので、だったら夏休みの思い出作りとして行ってこい、と許可を貰うことが出来た。

出発が8/30で9/1に帰ってくる日程だ。この年は9/1が土曜日で、新学期が9/3からだったので、そ ...

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1990/08/01

今日は一関最終日。夕方の新幹線で埼玉に帰る。昼間、お袋がドライブに行こうというので、みんなで車に乗り込んで出発。

お袋が当時乗っていた車は4ナンバー仕様のスバルレックスだった。商用車登録なので、後ろの席は狭いなんてものじゃなかった。それに乗せられてどこに連れて行かれるのかと思ったら、ここだよ、と言われて山の中で降ろされた。

そこは今し ...

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1990/07/30

列車は5時過ぎくらいに一ノ関に到着。初の寝台列車の旅はお世辞にも快適とは言えないものだったが、またとない体験ができたので、これでも割と満足だった。

ちなみに一ノ関、市の正しい名前には「ノ」は入っていないのだが、JRの駅名はなぜか「ノ」が入る。

程なく迎えに来てくれたお袋と合流。対面するまでまたやや緊張したが、車に乗って少し走り出したこ ...

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どこかに書いたと思うが、自分の両親は自分が小学3年生の時に離婚している。その際自分は父親に、弟はお袋に、それぞれ引き取られた。それは自分がお袋の実の子ではなかったからだった。そのお袋は実の子である弟をつれて岩手の実家に戻っていた。

離婚した当初はそうした事情を知らなかったので、たまにお袋と話がしたいな、と思うこともあったが、父から岩手とは連絡を取るなと言われていたので我慢していた ...

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昨年、奥多摩をドライブしている時に見つけたロープウェイの廃墟に再訪してきたときの記録である。

場所は奥多摩湖の最奥部。青梅街道から分岐する国道139号線に入ってすぐの所にある橋を渡ると、続けて奥多摩周遊道路(旧:奥多摩有料道路)への分岐がある。これを曲がって奥多摩周遊道路に入るとすぐ料金所の跡地とちょっとしたパーキングがあるのだが、この物件はその料金所脇の斜面の上に存在している。 ...

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1990年頃

当時はちょっとした暇時間を見つけては、鉄道写真をひたすら撮りまくっていたのだが、それらをいつ出掛けたのか、とか、どういう目的で出かけたのか、などメモに取っておくという習慣がなかったので、何時撮影したものかもはや記憶にないものが多い。

コンパクトカメラなどで日付を写し込む機能が付いているものもあったが、自分が買い与えられた入門用カメラにそんな上等なものが付 ...

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1990/06/23

西武に多摩湖線という路線がある。この路線には351系という形式の車両が走っていた。
西武と言えば20年前くらいまでは黄色の電車だったが、黄色くなる前は赤と茶色の塗分けだった。故に「赤電」と呼ばれていた。
他の路線の旧型車が淘汰されていく中、多摩湖線の351系だけは赤電塗装のままずっと生き延びていた。

その理由もまた、他の旧型車両が ...

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1990/03/31

数年前に自分を鉄道趣味の世界へと引きずり込んだ同級生のM君。意外にも撮り鉄の旅に一緒に出掛けたことは少なかった。

この時は小田急の10000形(HiSE)がデビューして数年経つが、未だに撮影できていないので撮影しに行きたい、という思惑が一致して出かけてきた。


また例によって、ろくでもないカ ...

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サンライズ出雲初乗車:

それから徒歩で松江駅まで戻ったら出発の1時間くらい前になった。駅近くの飲食店で夕食を済ませてからホームに上がると既に列車は到着していた。

自分の手配した部屋に入る。

やっと一息。

さてサンライズ出雲である。この列車は前にも触れたが珍しく電車寝台となっている。電車寝台と言えばかつて581/583系というのがあったが設計を欲張りすぎたせい ...

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一畑電気鉄道:

2000/09/22

今回のあてどないぶらり旅もいよいよ佳境、本日が最終日である。
夜ここを出発するサンライズ出雲に乗って東京へ凱旋するのでそれまでが自由時間。

朝起きて窓を開けたらなんか微妙な天気。これはちょっと降られるかもしれない。
まぁそうはいっても、チェックアウトの時間には部屋を追い出されてしまう。そうぐずぐずとはしていられない。 ...

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松江へ:

さて、ここから先は特急を乗り継いで一気に松江へと向かう。

まずは岡山駅まで特急しおかぜに乗る。岡山駅までは2時間半の旅路だ。

この車両はJR四国の8000系という。どことなく中国辺りで走っていそうな雰囲気のデザインだ。実は昨日今治駅から松山駅まで乗車したのもこの車両だったので新鮮さはない。

この列車は瀬戸大橋を渡り岡山駅まで走る。瀬戸大橋の鉄道での ...

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道後温泉:

伊予鉄道は松山市内で鉄道線と軌道線を運行している鉄道会社である。開業は古く夏目漱石の坊ちゃんにも登場した由緒ある鉄道だ。

最近は当時の列車を再現した坊ちゃん列車なるSL風の列車を走らせていることで知られているが、自分的には国内では珍しい鉄道同士の平面交差がある鉄道会社というイメージが強い。その平面交差の場所は時間があれば見に行きたいと思う。

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多々羅大橋を渡り大三島へ:

更に黙々と進んでいくと視界に巨大な斜張橋が見えてきた。あれがお隣の大三島へと渡る多々羅大橋だ。
生口島に上陸して2時間あまり、ようやく島を半周した訳だ。

もはや生口島に思い残すことはない(訳じゃないけどこの時の気分はそうだった)。
島の通り抜けに成功したウイニングロードは橋へのアプローチ道路だ。最後の最後まで頑張らされるわけね。。。

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生口島:

そうして橋を渡り切り生口島に上陸。島旅8番目の島となった。
当時のしまなみ海道は生口島内の道路の整備が完了しておらず自動車は一旦一般道に降りる必要があった。もちろん自転車用の通路も橋を渡った先で自動的にアプローチ道路へ誘導されグネグネとした道を下っていく。下り坂なのでブレーキの操作だけで降りて行ける。この瞬間のために坂道を登るんだよなぁ、と爽快感を味わっていたがあっという間に ...