広島・高松遠征【8】(1991/05/06)

1991/05/06
長野駅には寝台列車の常で恐ろしく早朝に到着。確か6時前には着いてしまった。あまり眠れていない。
とりあえずここまで運んでくれたちくまの雄姿を撮影。
それからホームに停まっていた飯山線のキハ40。運転席の窓下に「VOITURE AMITIE」とペイントされている。今日まで続くこの塗分けは、撮影の数年前くらいに始まったものだ。
広島・高松遠征【7】(1991/05/05)

それから名古屋駅に行って、前回スルーしてしまった名鉄の写真を撮りに行ってみることにした。とはいっても新名古屋(現:名鉄名古屋)は地下駅なので、正直撮影にはあまり適さない場所だ。だが名鉄の多くの列車がここを通るので、ここで撮影するのが一番数を稼げる。
もっともあと数駅進んで金山駅辺りまで行けば地上区間を走る車両が撮影できたので、そこまで足を伸ばしたほうがよかったかもしれない。だがこ ...
広島・高松遠征【6】(1991/05/05)

1991/05/05
3日目、こどもの日である。今日はゆるゆると名古屋方面へと向かって、締めくくりに寝台急行ちくまで長野へ向かうことになっている。
宿を出たら南海線に乗って難波駅に戻る。途中新今宮駅で降りて何枚か南海線の写真を撮った。前回ある程度南海線の写真は撮影済なので、今回は数本だけ撮影して先に進む。
それから大阪環状線で大阪駅に向かった。
広島・高松遠征【5】(1991/05/04)

で、兵庫駅に到着。兵庫駅といえば和田岬支線。和田岬支線は昨年訪れたばかりだが、その時に運転されていた旧型客車が一掃されてキハ35のディーゼルカーになったと聞いたので改めて訪問。
都市近郊の非電化路線では至る所で見られたキハ35だが、和田岬支線にあてがわれたキハ35は専用チューニングが施されていた。
和田岬支線は専ら工場地帯への通勤客輸送がメインの路線である、という話は ...
広島・高松遠征【4】(1991/05/04)

1991/05/04
まずは琴電3路線が分岐する琴電随一のターミナル駅である瓦町に行ってみることにした。今は志度線は線路が分断されてしまったが、当時は線路が繋がっていて高松築港まで直通していた。
まずは駅近くの踏切から撮影した3000形と、元阪神5101形の1060形。
琴電は1988年に瀬戸大橋の乗り初めのついでに立ち寄って乗車している。その時は父が一緒 ...
広島・高松遠征【3】(1991/05/03)

それからJRの駅に移動。今日はこのあと、あちこち寄り道しながら高松へと向かう。
まず、ホームに停まっていたキハ28?の急行ちどり(多分)
こちらは急行みよし(これも多分)
可部線の105系。扉が4つあるので103系から改造された車両のようだ。
よく見ると2両目は扉が3つなので、そちらはオリジナル車両というキメラ編成だった。2両で扉が7つ。今日の ...
広島・高松遠征【2】(1991/05/03)

1991/05/03
広島駅に着いたのは5時過ぎ。ついに広島まで来てしまった。とりあえず駅の窓口に行って、補充券と見つかった切符を見せて払い戻しをしてもらった。財布が膨れてホッとした。
広島駅の駅前に広島電鉄(広電)の乗り場があるが、まだ始発の時間は少し後だった。駅前をあてどなくブラブラして時間つぶし。
やがて始発電車がやってきた。元神戸市電の1100形だ ...
広島・高松遠征【1】(1991/05/02)

中学3年のGWに父に頼み込んで、広島まで撮り鉄の遠征に行ってきた。つい2週間ほど前に修学旅行に行ってきたばかりだが、こちらはこちらで修学旅行の前から計画を進めていたものだ。
行き先は広島。なぜ広島を目的地としたかは忘れてしまったが、広島電鉄の写真が撮りたかったのだと思う。
広島までは寝台特急に乗って向かうことにした。往復乗車券と寝台券、特急券の手配を済ませたあと、旅行 ...
修学旅行の思い出(1991/04/23~04/25)

中学校の修学旅行に行った時の話である。旅行先は奈良と京都。これは当時の関東地方の公立中学校の修学旅行先として割とベタな訪問先だった。
我々の中学校の場合、1日目は新幹線で京都まで行って、そこから奈良へと向かい、奈良観光のあと市内のホテルに宿泊。2日目は京都へ移動しつつ京都市内の観光をしたあとホテルに宿泊、3日目に帰宅というプランだった。
1日目の奈良観光は全体行動だが ...
’90埼玉県民の日 (1990/11/14)

1990/11/14
1990年の県民の日も例によって埼玉を一周してみることにした。前回は110カメラを持参してあまり良い写真が撮れなかったのだが、今回は祖母から借りた35mmのフィルムのコンパクトカメラを持参することにしたので、前回よりはマシな写真が撮れるはず!
・・・だったのだが。。。
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関西遠征【5】(1990/09/01)

それから東海道線に乗って大垣駅へ。
関が原を超えると岐阜県に入って中部地方となる。と同時にJRも西日本から東海のエリアに入る。この地域はこれまで新幹線で通過したことしかなく、在来線を訪ね歩くのは初めてだ。どんな車両が見られるだろうかとワクワクした。
大垣駅で遭遇したのは117系のJR東海色と、
311系だ。311系は名古屋地区でしか見られない車両である。
関西遠征【4】(1990/08/31~09/01)

この後は南海線で大阪へ戻るつもりだった。南海線も比較的手薄な路線だが、特に泉北高速鉄道の写真は撮りに行きたい。
南海線は和歌山市駅から発着しているので、そちら方向に向けて歩く。駅に到着したら特急サザンがやってくる時間が近かったので、とりあえず座席指定券を入手。
それからホームに上がってしばし撮影タイム。
行先が白飛びしてしまっているが、加太線の7100系。 ...
関西遠征【3】(1990/08/31)

1990/08/31
宿は奈良といっても新大宮駅から近いところだったようで、翌日は新大宮駅で撮影した写真から始まっていた。なぜ父が奈良のホテルを取ってくれたのかは既に記憶がない。
さて本日のコースだが、昨日の移動中に明日はあっち行ってみようかな、こっち行ってみようかな、というのはぼんやり考えていたのだが、まとめきれないまま宿に着いたのだった。これまで関東近郊に出かける ...
関西遠征【2】(1990/08/30)

そこから地下鉄中央線と大阪環状線で京橋駅へ。
京橋駅から、当時開催中だった花の万博(国際花と緑の博覧会)へのアクセス路線として、開業したばかりの鶴見緑地線を撮影しに行く。
鶴見緑地線は日本初の鉄輪式リニアモーターの路線として開業した路線である。
通常、モーターは円筒形のケースに格納されており、電流が流れると中の回転子が回転して動力を得ることができるのだが、 ...
関西遠征【1】(1990/08/30)

1990/08/30
夏休みに入って前半に一関に行ってきた話は既に書いたが、少し前から大阪方面の撮り鉄の旅に行きたいと父に相談していた。父は自分が一関に行ったことは知らない。それなら夏休みの思い出作りとして行ってこい、と許可が下りた。
出発が8/30で9/1に帰ってくる日程である。この年は9/1が土曜日で、新学期が9/3からだったのでそういう旅程が組めた。だが、全員集 ...
一関遠征【3】(1990/08/01)

1990/08/01
今日は一関最終日。夕方の新幹線で埼玉に帰る。慌ただしくてもっとゆっくりしたかったが、父が出張から戻る前には自宅にいなければならないので今日の帰宅がマストである。昼間、お袋がドライブに行こうというので、みんなで車に乗り込んで出発。
お袋が当時乗っていた車は4ナンバー仕様のスバルレックスだった。商用車登録なので後ろの席は狭いなんてものじゃなかった。そ ...
一関遠征【2】(1990/07/30~07/31)

1990/07/30
列車は早朝5時過ぎくらいに一ノ関駅に到着。初の寝台列車の旅はお世辞にも快適とはいえないものだったが、またとない体験ができたので、それでも割と満足だった。
ちなみに一ノ関駅、読みは「いちのせき」であるが、市の正式名称には「ノ」は入っていない。だがJRの駅名はなぜか「ノ」が入る。
程なく迎えに ...
一関遠征【1】(1990/07/29)

どこかに書いたと思うが、自分の両親は自分が小学3年生の時に離婚している。その際弟はお袋に、自分は父親にそれぞれ引き取られた。それは自分がお袋の実の子ではなかったからだった。そのお袋は実の子である弟をつれて岩手の実家に戻っていた。離婚した当初はそうした事情を知らなかったので、たまにお袋と話がしたいなと思うこともあったが、父から岩手とは連絡を取るなと言われていたので我慢していた。
数 ...
思い付きで飯能へ行った話 (1990年)

1990年頃
当時はちょっとした隙間時間を見つけては鉄道写真をひたすら撮りまくっていたのだが、それらをいつ出掛けたのかとか、どういう目的で出かけたのかなど、メモに取っておくという習慣がなかったのでいつ撮影したものかもはや記憶にないものが多い。
コンパクトカメラなどで日付を写し込む機能が付いているものもあったが、自分が買い与えられた入門用カメラにそんな上等なものが付いて ...
西武最後の赤電が引退 (1990/06/23)

1990/06/23
西武に多摩湖線という路線がある。この路線には351系という形式の車両が走っていた。西武といえば20年前くらいまでは黄色の電車だったが、黄色くなる前は赤と茶色の塗り分けだった。故に「赤電」と呼ばれていた。他の路線の旧型車が淘汰されて黄色の電車に切り替わっていく中で、多摩湖線の351系だけは赤電塗装のままずっと生き延びていた。
その理由もまた他の旧型 ...