[読み物-04]マンションを買って売った話【4】

Coffee Break ~K林さんに会いに行った話~:


新居に引っ越してからほどなく、お袋が東京に来るというので新居の紹介を兼ねて立ち寄ってもらった。その際、K林さんと会いたいという話になった。

K林さんというのは我が家に長らく居候をしていたおじさんである。15年ほど前に自身が都内に所有する敷地にアパートを建ててその中の一室に住まうことになり家を出ていった、というか追い出された(詳細はこちらも参照)。K林さんは自分が小さい頃からおじいちゃんだった人なので、もし存命なら相当な高齢になっている筈である。

追い出されて以降全く連絡が取れなくなってしまったので、自分も長いこと会っていない。数年前に父親と先祖の墓参りに行ったときにK林さんが納めた真新しい卒塔婆がたてられていたので、少なくともその時までは生きていたようだが、まだ生きているのだろうか。


そのK林さんのアパートは今回購入した新居からそれほど離れていないので近所ならちょっと顔を見に行ってみたい、と言う話なのだが、自分はそのアパートの新築当初に一度連れて行ってもらったことがあるものの、いかんせん子供の頃の話なので具体的な場所に記憶がない。一方お袋はアパートが出来る前に父と離婚しているので、アパート自体は知らないが道順は知っているということだった。


ということで行ってみることに。最寄り駅からアパートまでの道のりはお袋にガイドを任せたのだが、お袋も何十年ぶりかに歩く街なので街の様子が変わってしまって少し戸惑っていた。どうにか過去の記憶を呼び起こしてアパートへ向かう道を見つけた。

この辺だったような気がするんだけど、、、とお袋が言うあたりで周囲を見回してみると何となく見覚えのある建物が見つかった。確かにこんな建物だった気がする。


アパート内のK林さんの居室が何号室かうろ覚えだったがそれで何の問題もなかった。廊下の奥の方にガラクタが夥しく積みあがっているのが見えたのだ。昔からの性癖は全く変わっていないようだ。というか、ガラクタが積みあがっているということはまだご存命か!?

恐る恐るチャイムを鳴らす・・・返答がない、不在か。だが廊下に面した窓越しに室内の明かりが灯っているのが見える。3人で首をかしげながらもう一度押す。

部屋に表札が掲げられていなかったので
同じ収集癖のある別の住人が暮らす部屋である可能性もわずかにある。そんな人が2人もいるアパートは嫌だが。。。なので、あまりしつこくチャイムを鳴らしてもし他人の部屋だったらややこしいことになるので、ちょっとそのまま待ってみることにした。


5分ほど待ってみたが誰も出て来る気配がない。ただ、わずかに室内から物音のようなものも聞こえてくる。中に誰か居そうな気はするのだが、不審なセールスを警戒して来客があっても応答しなくなってしまったのかもしれない。だとしたらここで待っててもしょうがないので、諦めて帰ろうかという雰囲気になった時、ふと扉が開いて中から和製カーネルサンダースみたいな黒縁眼鏡の白髪の老人がぬっと顔を出した。

あ、K林さん生きてた!!
・・・が、扉越しに顔を出したK林さんは我々の事が認識できていないらしく、怪訝そうな表情でこちらを凝視している。すかさずお袋が自分の名前を名乗ってみるが、まだピンときていない様子。思い出そうとして険しい表情をしている。
十数年前に一緒に暮らしていた人の顔や名前を忘れてしまうほどの孤独だったのだろうか。。。


そこからさらに5分ほど、身の回りの人の名前などを挙げて我々が誰なのかを説明したところ、ようやく記憶が繋がって来たらしく徐々に話がかみ合ってきた。実はここにいる誰もがK林さんの生年月日を知らないので年齢も分からないのだが、目の前にいるK林さんは間違いなく90歳は越えているように見える。自分が子供の時からおじいさんなのだから、そのくらいいっててもおかしくない。

自分が記憶する姿と比べてだいぶ小さくなっているような気がする。もっとがっしりした人だったと思ったのだが。。。


色々と話してみたいことはあるが、そんな御大に長々立ち話させるわけにもいかないだろう。だが、扉の背後に見える室内の景色はまさしく汚部屋。足の踏み場もないほどにガラクタが積み上がっている。流石にそこへ入るのは気が引ける。というかどうやって玄関まで出てきたのだろう?ゴミの山をかき分けていて玄関先に出るまでに時間がかかったのかもしれない。

ともかくこの辺で落ち着いて話せる店がないか聞いてみた。すると、それなら美味しい天ぷら屋があるので行きませんか?と提案された。天ぷらなんか食べるの?という3人の不安な視線を意に介さず、想像以上の健脚ぶりでスタスタと歩き始めた。


そのてんぷら屋とは歩いて5分ほどのところにあるてんやだった。美味しい天ぷら屋かと言われるとちょっと微妙だが、まぁそこは目を瞑ろう。店のカウンターに4人並んで座って天丼を注文。

相変わらずチグハグな会話になってしまうこともあったが、受け答えはしっかりしていた。と言っても例えば、東京に来てからどんな風に暮らしていたのか?という質問に、天ぷらが好きなので時々バスに乗って光が丘の何とか(失念)という店や、神保町のいもやで食べてます、と答えるような感じ。いや、ずっと1人だった、とか、親族に面倒見て貰ってます、とかその辺の暮らしぶりを聞いてみたかったのだが。。。

勉強熱心な人なので、孤独をいとわず終始勉強に明け暮れていたような気もする。案外、好きなことをして時の経過を感じない暮らしをしている方が元気に暮らせるのかもしれないな、と思った。むしろあのゴミ屋敷の中で移動していたらそれだけで必然的な筋トレになっているまである。
その辺の暮らしぶりの様子はついぞ聞き出せなかったが、元気に過ごせていることは間違いなさそうで、その点は安心した。

なんか微妙な距離感が埋まらず、ワイワイと会話するというよりは天丼を食べながらとつとつと会話するような感じだったが、こういう場面ではあまり急いてもしょうがないのかもしれない。


よくよく考えたら天ぷら(天丼)を食べている。90歳(推定)が。こんな脂っこい食べ物、老人の胃袋に少なからずインパクトがありそうだが、彼の食べっぷりはサラリーマンの昼食のごとく健啖だった。流石にバスに乗って天ぷらを食いに出かけるというだけはある。よっぽど好物なのだろう。

食事が済んだらダラダラせず速やかに席を立って金を払う。それが男の生きざまだと言わんばかりにすぐに店を出た。おかげで殆ど話せなかったが、まぁそこは仕方ないか。再び5分の道のりを歩いてK林さん宅まで送る。

家の前まで送ったあと、末永くお元気でという言葉で別れた。気落ちするかもしれないので祖母が既に鬼籍に入っていることは話さなかった。何にしても生きていることが確認できたのが何よりの収穫であった。



この一件がきっかけとなって、K林さんのアパートの近所にある件のお墓に行こうと思った。リンク先の記事では自分が面倒を見なくては、なんて偉そうなことを書いたが、実際には日々多忙な毎日にかまけて行けていなかった。

新居からだとちょっと長めの散歩と言うくらいの距離感なので、休みの日に近所をブラつきつつお墓まで歩いて行ってみた。前回来た時と変わらず、古びた小さな墓石がそこにあった。見た感じお供え物などが手向けられた形跡もなく背後の卒塔婆は朽ちていた。やはりこのお墓は親族の誰も面倒を見ていないようだ。卒塔婆の朽ち果て具合からしてK林さんももう来ることが出来なくなっているようだ。

仏教の世界では亡くなった人は概ね33回忌をもって浄土へと旅立つそうだ。それまでの間死者が無事に浄土まで辿り着けるよう定期的に法要を行うわけだが、ここに入っているご先祖様は昭和初期に亡くなっているので、もう既に浄土に辿り着いている筈である。だから誰も来ないのかもしれない。
父から聞くところによるとこのご先祖様は我が家の家系からは離れた人らしく、自分があまり義理立てする間柄でもない気がするが、まぁ縁遠くとも親族である人間がたまにはお参りしに来たらご先祖様も喜ばれるだろう。

このご先祖様の子孫がいつから来ていないのかは知らないが、ご先祖様が浄土までの道のりを進む間、寂しくなって後ろを振り返ってもK林さんがたったひとりで頑張れよーと手を振っているだけだった訳だから、さぞかし心細かったに違いない。


そう言ったご苦労を労う訳ではないが、ともかくお墓を掃除してお線香を焚いて手を合わせ、家庭を築いたことを報告した。カミさんも自分の横で手を合わせる。

その日は夏の蒸し暑い日で、風もなくジトっとした湿気が肌にまとわりつく不快極まりない陽気だったのだが、静かに手を合わせていたら、ふとひんやりとした風が自分とカミさんの間をスッと通り抜けて行った。カミさんもその風に気が付いて自分の方を見る。まぁ、偶然なのだろうと思うが、やっぱりお墓参りは定期的にやらないとな、という気にさせられた。


思い出話、おわり。

Posted by gen_charly