[読み物-03] 住まいで振り返る半生記【24】
部屋番号16 - 埼玉県川越市某所(その2)
この家に引っ越して少しした頃、祖母が亡くなった。
長患いで、かれこれ5年余りの長期にわたり入院していたが、闘病生活を送っていたわけではない。自立歩行ができないことが理由の入院であり、回復が望めるものではなかったし、本人にも回復の希望があったようには思えなかった。
最晩年まで歩けないということ以外にこれと言った疾病は抱えていないように見えたが、死因はガンと言うことであった。それはちょっと意外に感じたが、人間、どんなに健康で程よく老衰していくような人でも、亡くなるときは何らかの病名が付くらしい。心不全であったり、ガンであったり。多分、祖母もそういうものだったのだろう。
病院からの連絡を受け、父と一緒に病院に向かう。仮にも夫の親の不幸であるにもかかわらず、後妻は来ていなかった。理由は仕事。ここで仕事を優先するのは後妻にとって当たり前のことなんだな。
霊安室に通されたが、ドラマなどで見るようなうす暗い地下室ではなかった。高窓から外の明かりが降り注ぐ部屋で祖母はストレッチャーに横たわっていた。
これまで祖母も父も親戚づきあいと言うものを蔑ろにしてきた人だったので、自分はこの歳になるまで葬式と言うものを経験したことがなかった。人間の遺体を見るのもこの時が初めてである。
何となくその響きに不気味さを感じて、対面するまでは幾分緊張したが、そこに横たわっている人は、月並みな言い方だが、眠っているようにしか見えなかった。
とうとう天国に旅立っていったのか、と感傷にふける暇もなく、葬儀の調整が始まる。親族の死は父にとっても経験が少なく、段取りに戸惑っている様子だったが、その辺りは病院側も手慣れたもので、業者の手配などは病院の手引きで手際良く進んだ。
数時間後に葬儀社の人がやってきて、父との打ち合わせが始まった。
上述のとおり、我が家は親戚付き合いを疎かにしていたので、これと言って付き合いのある親族がいない。また人間関係にもドライだったせいか、生前仲良くしていた人というのもほとんどいない。父の仕事づきあいで参列してくれる人もいない。
つまり、葬式と言っても参列する人がほとんどいないのだ。その状況で一般的な葬式を執り行う必然性は全くない。懐具合の都合もあって、式は出来るだけ安く、かつコンパクトに、という要望を出したようだ。
打ち合わせのあと、祖母を霊柩車に乗せて葬儀場へと移動した。
父は弟に連絡を取って、母が亡くなったことを伝えた。弟は夕方くらいに来るそうだ。
そのあと、通夜の時間まで何かとバタバタしていたような記憶があるだけで、何をしていたのかは覚えていないが、予定通り夕刻に父の弟が到着した。彼は自分が幼少の頃に家に来たのを見かけて以来だ。ちゃんと顔を見たのは初めてかもしれない。
彼もまた家庭がうまく行っていないらしく、単身でやってきた。
通夜に参列したのはこの3人のみであった。後妻は案の定不参加。
八十数年に渡り様々な苦労を乗り越えて生きてきた人の締めくくりにしては寂しいことこの上ない。こういうのも因果と言うのだろうか。
なんで最後までこんなにみじめなことになっているのだろうかと思ったら、なんだか悔しくて涙が出てきた。お別れの寂しさゆえの涙じゃないのがまた切ない。
ところが父も父の弟も複雑な顔で祖母の亡骸を見ている。感傷にふけるでもなく、過去を振り返るでもなく。
当時は祖母がかつて宗教にのめり込んでいた、ということを知らなかったので、そんな2人の様子を見て、なんて冷たい人たちなのだろう、と怒りに近いような感情をおぼえた。
今なら、2人にとって祖母は自分らを不幸に陥れた張本人であり、かつ、離れがたき肉親であるわけで、複雑な気持ちになったことも理解できる。自分も父を亡くした時にこんなことでよいのかと自身が戸惑うほど、意外なまでにドライな気持ちで父を見送ったのだった。
男ばかり3人集まって、儀式の段取りもよく分からぬまま、葬儀屋に任せっきりで通夜は過ぎて行った。後年、岩手でお袋の両親を見送ったときには、湯灌をしたり、死装束を着せてあげたり、死に水を含ませてやったり、と言った儀式をしたが、この時そういう儀式を執り行ったのかはもう記憶にない。やったのだとは思うが、やってなかったらますます不憫に思う。
翌朝、荼毘のために葬儀場に集合。この時も集まったのは3人だけである。
霊柩車に棺を乗せる。自分は喪主ではないのだが、なぜか遺影を持って霊柩車の助手席に座る役割を仰せつかることになった。
斎場へ移動し、最後のお別れをする。旅立ちに持たせたいものがあれば入れてください、と言われるが、ここの記事にも書いたとおり、祖母の持ち物はすべて処分済なので何も入れるものがない。全部処分するからだ。この切なさはどう表現したらよいのだろうか。
それから一時間ほどで収骨の声がかかった。
長いこと寝たきりで、ずっと薬も飲み続けていたせいか、骨はほとんど残っていなかった。喉ぼとけの骨はどうにか見つけて骨壺に収める。
そこで解散し、お骨を手に実家に戻る。ここから四十九日までは家に安置して、その後お寺で法要をして納骨するのがこの地域での習わしと、寺の住職から説明を受けた。
ところがここでひと悶着。人間の骨が家にあるのは不気味だから、お骨を家に置かないでくれ、と後妻が騒いだらしい。この人には人の心がないのだろうか。。。
だが、そういう人間性は今に始まった話ではないのだ。もはや言うだけ無駄と悟って、寺に相談して法要まで預かってもらうことになった。
それから四十九日の法要を済ませて、お墓に納骨された。ここが安住の地であればよいのだが。。。
・・・とか言うと変なフラグになってしまうということなのだろうか、その後更にひと騒動あった。
祖母がお墓に入って暫くして、後妻の前の夫との間の子供が不慮の事故で亡くなった。その子供は父方に引き取られたらしいのだが、死亡後の面倒は見なかったようで、後妻が身元引受をすることになった。
その子をお墓に入れようとする際に、後妻が祖母が眠るお墓に入れる訳にはいかない、と言い出した。
既に父とは籍を抜いていて、内縁の妻、という立ち位置にいたので、別々の家の人間を同じところに入れる訳にはいかない、と言うのがその理由である。
後妻が同じ寺の別の区画を新たに購入して、そこに新たにお墓を建てて、祖母はそちらへ移されることになった。
祖母もまさかお墓を引っ越すことになるとは思いもよらなかっただろう。
つくづく、色々なことがある家だ。。。