広島・高松遠征【4】(1991/05/04)

1991/05/04

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まずは琴電3路線が分岐する琴電随一のターミナル駅である瓦町に行ってみることにした。今は志度線は線路が分断されてしまったが、当時は線路が繋がっていて高松築港まで直通していた。

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まずは駅近くの踏切から撮影した3000形と、元阪神5101形の1060形。

琴電は1988年に瀬戸大橋の乗り初めのついでに立ち寄って乗車している。その時は父が一緒にいたので、あまり腰を据えて撮影する時間が取れず、さわりだけになってしまったので、今回は少し時間を作ってあれこれ撮影してみることに。

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ホームで待っていると高松築港で折り返してきたさっきの列車が。

先頭は元京浜急行600形の1070形だ。3両目にさっきの1060形がいる。

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それから元京急230形の30形がやってきた。真ん中に貫通扉が増設されている。

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もうしばらく待っていたら、前面非貫通の30形も撮影できた。

ホームで待っている間、線路の先に車両が留置されている車庫が見えたのでちょっと見に行ってみることにした。

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そこは志度線の留置線だった。留置された車両は、元山形交通の860形と、

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3000形が停まっていた。この車両は琴電の自社オリジナル車両で当時既に還暦を迎えていた。そんな貴重な車両が今も整備されながら元気に走っている。琴電もまた「動く鉄道博物館」という異名を持っており、非常に古い車両も多く在籍している。この3000形もそんな車両のひとつであるのだが、高松はなかなか気軽に訪れることができない場所なので、こうした車両との出合は一期一会になる可能性が高い。なので今回重点的に撮影しているのだ。

ちなみに、この車両の番号は3桁なのに、形式は3000形となっている。車両番号が1桁少ない理由はよく分からないそうだ。

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再び瓦町駅へ戻ったタイミングで、走り去っていたのは元名鉄の1032形だった。いやはや、動く鉄道博物館の異名はダテじゃない(って広電の時にも言っていたが)。

同様の異名を持つ鉄道会社のひとつに高知の土佐電鉄があるが、高知まで足を伸ばすのは流石に厳しい。別の機会に譲りたい。

動く鉄道博物館の異名も、このエントリを書いている2023年時点では、そのラインナップが随分と整理されて、昭和初期生まれの車両はあらかた引退したようである。そもそも琴電も博物館を作るために各社から集めていたわけでは当然なく、増え続ける乗客を捌くために必要に駆られてそうしていただけであって、むしろ乗客減に悩まされる昨今となっては、保守の省力化を考慮して形式を揃えておこうとなるのは無理からぬことである。

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さてそろそろ先に進もう。ここから高松築港駅まで戻り、さらにJRの高松駅から岡山駅へと戻る。

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高松ではJR四国カラーになったキハ181系の特急しまんとが停まっていた。

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来る時とは色違いのマリンライナーで岡山駅に戻る。


さて今更だが、今日の行動予定である。本日は大阪市内まで移動することを目標としている。その途中で片上鉄道という私鉄を訪ねてみたい。

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岡山駅から山陰線に乗り、片上鉄道の接続駅である和気(わけ)駅で下車。

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和気で広島色と呼ばれる115系を撮影。光の加減も切り取りもばっちり。カメラの本領発揮だ。だがレアな車両にこそ、その本領を発揮したいところなのだが。。。

片上鉄道は既に廃止されて現存していない鉄道路線である。当時この路線が6月末で廃止されるという情報を耳にしていた。だが廃止される鉄道は大抵不便な場所にあるので、おいそれと行くことができない。多くの場合、廃止されていくのを指をくわえて見ていることしかできなかったのだが、今回はタイミングよく訪問が重なったので立ち寄ってみようと思ったのだ。葬式鉄、といえばそういうことになる。

ちなみに岡山県には下津井電鉄というナロー私鉄があって、こちらも間もなく廃止の情報が飛び交っていた。片上鉄道以上にレアな鉄道路線ではあるのだが、片上鉄道以上に不便なところを走っているので時間の都合上訪問できなかった。その後ほどなく廃止されてしまったので、やっぱりこの時に他の予定を見送ってでも訪問しておけばよかったかなと今になって思う。


さて片上鉄道である。切符を購入しようと片上鉄道の改札に行ってみるが、切符売り場がない。そこで窓口の駅員に尋ねると、普段はここで売っているのだが、廃止間近で切符の在庫がなくなってしまったので車内で精算してくださいと言われた。末期になるとそんな風になるのか。

で、厚かましくもいらない切符があったら分けてくれないかと聞いてみた。

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嫌な顔されるかなと思ったが、案外にこやかに、今あんまりないけど、、、と言いながら数枚の切符を分けてくれた。ありがたい。

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で、ホームに入ると暫くして列車がやってきた。これは吉ヶ原方面に行くキハ802だ。これは秋田にある系列会社の小坂鉄道(どちらも同和鉱業が経営している路線)からやってきた車両である。小坂鉄道の方は廃止後の2010年に訪問した

自分は反対方向の備前片上方面に向かう。備前片上駅から徒歩数分のところに赤穂線の西片上駅があるので、そこで乗りかえるつもりである。

吉ヶ原方面に行く列車を見送った後、更に暫く待っていたら今度は備前片上行きの列車がやってきた。

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キハ312という車両だ。自社発注とのことだがなかなかクラシカルな車両である。

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車内に入れば床は板張り、小ぢんまりとしたクロスシートが並ぶ昭和のディーゼルカーである。当時は古い車両だなという感想以外に特に思うこともなかったが、そういう車両がなくなる前に乗ることができてよかったと思う。

もうすぐなくなる路線に一度乗っておこうと考えた人たちで、車内は立ち席が出るほどの満員だ。普段からこのくらい乗っていたら廃止にならずに済むのになんて思うのは野暮か。

列車はガラガラという昔のディーゼルエンジンの音を響かせて出発。この後ちょっとしたハプニングに見舞われる。こちらのエントリにそのエピソードを書いている。当時はまだこの旅行記を書くつもりがなかったので、そちらのエントリに思い出話として挟んでしまったのだ。重複して書くのも何なので、知りたい人は上記リンク先の記事を見ていただきたい。

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列車は田園地帯を走る。田植えの直前の田んぼの真ん中を一直線に伸びる線路。何気なく撮影した写真だがいい風景だな。

それから30分くらいだったかで備前片上駅に到着。

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駅には車庫と留置線があり、そこにキハ303が停まっていた。この車両は国鉄のキハ04の生き残りである。片上鉄道には国鉄キハ07の生き残りもいるのだが、その車両は見られなかった。

ここから西片上駅まで歩いて赤穂線に乗り換え。相生駅で赤穂線から山陽線に乗り換えて兵庫駅に向かう。その区間はどんなだったか記憶がない。多分眠くて車内で寝ていたのだろう。

Posted by gen_charly