小笠原上陸 - 11(2008/09/14)
— 廃村跡を訪ねて —
これが北港の全景。
北港はかつて北村と呼ばれ、戦前には450人を超える人々が生活していたそうです。
当時はここから東京までの直行便も設定されていたそうです。
戦争中の強制疎開で本土に疎開した後、戦争が終わってからも小笠原は23年間に渡りアメリカの占領下に置かれたため島民の帰島が許されず、日本に復帰した後も、集落に戻る人は少なく、その後廃村となってしまったそうです。
アメリカから返還されて既に40年が経ち、南の島の旺盛な植生によって、ここに集落があった名残を留めるものは殆どなくなってしまいました。
上の写真の真ん中の海に向かって突き出している構造物は当時の桟橋の残骸です。
ネットでみた写真は曇りだったり暗い写真が多かったので、陽射しのあまり当たらない場所なのかと思っていました。
それゆえ、原付は勝手に集落の運命を重ね合わせて北港にうら寂しいイメージを持っていたのですが、いざ来てみると、綺麗に晴れ渡った北港に全然さびしい雰囲気はなく、これは予想を裏切られました。
ちなみにここの終点から30分ほど遊歩道を歩くと大沢海岸に出ることが出来ます。
遊歩道の入り口に橋が架かっていたのですが、見るからに古臭いので、もしかしたらこれも村があった頃の遺構かもしれません。
という事で道すがらの観光名所を訪ねながら宿に戻りたいと思います。
まずはバイクで2分ほど戻った所にある、北村小学校跡。
敷地にはガジュマルの木々が生い茂り、ここに建物が建っていたとは想像も付きません。
建物の基礎かな?
それとも朝礼台かなんかだったのかな??
ご覧の通り、入り口の石段と、門柱、少し入った所にある謎の構造物以外、これといって痕跡を留めるものはありませんでした。
いつかまた訪ねてくることがあったら、じっくりと探索してみたい所です。
そして、小学校跡からもう少し進んだ所にある分岐を看板に従って集落とは反対側に曲がって暫く行くと東港という港があります。
無人の地域に作られた物とは思えない大層立派な港です。
観光協会で配布しているガイドマップによると昭和56年から60年の間は捕鯨基地として使われていたそうですが、現在は利用されていないようで、施設らしきものは一切有りません。
いずれにしても折角これだけの立派な港があるので、有効に活用して欲しいですね。。。
そして、東港から都道に再び合流し、3分ぐらいで砲台跡地の看板が見えてきます。
ここから5分ほど歩くそうですが、時間がなかったので今回はパスしました。
戦争の時の砲台が朽ち果てた状態でそのまま残っているそうで、再訪の際は見てみたいです。
砲台跡地からすぐの所に六本指地蔵と呼ばれるお地蔵様がいます。
こちらから見て奥のお地蔵さんの錫丈を持っている右手の指が6本あります。
でもオカルトでも何でも有りません。。。多分。。。
そして六本指地蔵のほぼ真向かいにあるのが探照灯基地跡。
こちらは道からすぐの場所にあるので立ち寄って見ることに。
上の写真が探照灯の残骸。
この写真も長時間露光とフラッシュで何とか写っていますが、入り口から覗くとほぼ真っ暗で中の様子はあまり分かりません。
不気味だったので中には入りませんでした。
懐中電灯を持ってくればよかった。。。
ここからは行きの時にあらかた見てきたので一気に宿に戻ります。