3・11 - 1

— 3月9日 プロローグ —

午前中に健康診断に行ってバリウムを飲まされたので、それを出すためにトイレに篭っていると、建物が揺れ始めました。
その揺れは次第に大きくなり、久々に大きい地震だな、と感じました。

揺れがでかくなったら逃げられなくなるから、一旦ズボンを上げた方がいいかな、でもお腹は下剤で渋ってるし。。。 などと迷っているうちに揺れは次第に収まって行きました。

ニュースを見ると震源は宮城県沖、宮城県で震度5弱と出ていました。
東京の震度は4。
その時の焦りっぷりをカミさんに話して笑われたりしたのですが、この地震は2日後に発生する未曾有の大災害のプロローグ、3・ 11の前震でした。。。

— 3月11日 14時46分 —

原付が勤めている会社は事務所が6Fにあり、サーバー類を置いてあるマシンルームが9Fにあって、 数日前からセットアップしていたサーバーのセッティングで確認したいことがあったので、エレベーターで9Fに向かいました。

エレベーターに乗っている時に周りから「カシャカシャ・・・」という音が聞こえ、9Fに到着してドアが開くとその音が少し大きくなりました。
どこかの別のフロアーで工事でもしているのかな?と思いながら、サーバールームへ続く廊下を歩いていると、 9Fの別の事務所の人が加湿器を抱えながら血相を変えてすれ違って行き、背後にあった非常口のドアを開けました。

その時はまだ初期の縦揺れの時だったようで、原付は揺れにまだ気づいておらず、「加湿器なんか抱えて何してるんだろ?」 と思いながらサーバールームの前に到着。
サーバールームのドアの暗証番号を入れようとした時「ガッサン!」という音とともに体が揺れました。

誰かが何かを蹴飛ばしたか倒したかした音と、眩暈を(同時に)感じたのかなと一瞬思いましたが、次の瞬間ビル全体が 「ガサガサガサ!!」とハデな音を立てて大きく揺れ始めました。

「地震だ!!」

それまで歩いていたせいか、初期微動に気付かず、横揺れが来て初めて地震が来たことに気付いたのです。。。

今まで経験したことのない強い揺れに襲われ、どこかに掴まっていないと立っていられない感じで、 壁に手を付いたまま身動きすることもままならず収まるのをじっと待っていましたが、強弱を繰り返しながら建物は揺れ続け、 一向に収まる気配を見せません。

その長い揺れに「とうとう関東大震災が来たか。 。。」と直感的に感じました。
それから次の瞬間、数週間前にニュージーランドで起こった地震で倒壊したビルの事が頭をよぎり、 このビルももしかして倒壊してしまうのではないかと、背筋が寒くなるのを感じましたが、その時はその時だ、 と思ったら少し気が楽になりました。

それで少し冷静になれたのか、さらに次の瞬間、「こんな強い揺れだと、停電しそうだな。。。」と思いました。

サーバー自体はUPS(無停電電源装置)に繋がっていて、停電が起こったとしても30分くらい持ちこたえてくれるので、 落ち着いてシャットダウンをすればよいのですが、目の前にある入り口の電子錠が止まったら、入室できなくなってしまい、 お手上げになってしまいます。

なんだ、BCPを策定しても意外と落とし穴が有るもんだな、  などと思いながら、開錠操作を始めたのですが、揺れで手許がブレてしまってうまくパスワードが入力できません。。。

どうにかパスワードを打ち込んでドアを開けた瞬間、サーバーラックの上に載せていたモニターがもんどりを打ちながら落下し、 別の棚からNASのディスクが落下するのが見えたのですが、揺れで身動きが取れないのと、 万が一ラックが転倒して下敷きになったらひとたまりも無いのとで、結局揺れが収まるまでは黙って見ていることしかできませんでした。

しかし、なんだこの揺れの長さは。。。
焦っている時は時間がゆっくりと過ぎるという話を聞いたことがあるけれども、揺れが始まってから確実に2分は経過してる筈です。
関東大震災では2分以上揺れた、っていう話も聞いた気がするし、間違いなくこれは関東大震災の再来だな、と思いました。
このまま永遠に揺れ続けているのではないかと錯覚してしまいそうなほどです。。。

それから少ししてやっと揺れが収まってきました。
とりあえずモニターとディスクの位置を直して、事務所に戻ろうと非常階段を降り始めたのですが、 下りている最中もなんとなくまだ揺れが残っているように感じました。
それが本当に揺れていたのか、揺れていると錯覚したのかは今となっては良く分からないのですが、 大きい揺れが始まってから3分以上は経っていたので、錯覚だったのかもしれません。。。

事務所内は騒然としていて、みんな青い顔をしていました。
原付の座席の周囲は何も倒れたものもないようだし、書類も落ちておらず、ぱっと見何の被害もなさそうでしたが、良く見ると自分の机の脇に置いていた中身の入ったパソコンの段ボール箱が20cmほど動いていました。

上司にサーバールームでの出来事を報告すると、入り口の電子錠は停電に影響のないタイプだということ。
開かなくなると思ったのは原付の取り越し苦労でした。。。

ちょうどその時、会社で契約している安否確認システムから地震発生のメールが携帯に着信。
見てみると震源は宮城県沖、マグニチュードは7.9、東京の震度は5強と表示されていました。

関東大震災が発生したのだと信じて疑わなかったので、宮城が震源のM7. 9の地震にしては東京の揺れ方が大きすぎるし、東京の震度は5強どころか、絶対6以上あったはずなので、地震計が壊れたかなんかして誤報を出しているのだろう。 

とその時は思いました。

自分の席に座って少ししたら、総務から避難指示が出ました。
暫くして落ち着いたら戻ってくるのだろうと思いましたが、万が一避難所に移動する事も考えて、念のためカバンとコートを持って1Fへ。

1Fに降りると、すでに近所の人たちが道路に出てきていて、騒然としていました。

心配だったカミさんの安否は1Fに降りてすぐに確認できました。
避難するにしろ、事務所に戻るにしろ、この分だと暫く自宅には帰れないだろうと思い、 そうなるときっとみんなが飲み物を買い求めるはずだと考え、近くの自販機で水と缶コーヒーを買っておくことに。

地震の詳しい情報を入手したくて、携帯のワンセグを付けてみると、お台場のどこかのビルから火の手が上がっている映像が飛び込んできました。
そして次の中継に切り替わると、畑を津波が飲み込んでいく映像が流れてきました。
テロップには宮城県名取市付近と出ています。

宮城県に津波が来ているという事は、震源は宮城県沖と送ってきた、さっきの地震情報メールは間違っていなかったようですが、 一方で宮城が震源のM7クラスの地震で、東京がこんなにも揺れたことに対しては相変わらず違和感を感じていました。

仙台出身の上司に津波が来ていることを伝えると、顔がみるみる青ざめて行き、「駄目かもな。。。」 と力なくつぶやきました。

後で聞いた話では、甥が仙台空港の近くに住んでいて、流されてしまったのではないかと思ったそうです。
幸い、甥は避難していて無事だったそうですが、身の回りのものをすべて津波に流されてしまったそうです。

そんな話をしていると、誰からともなく「揺れてない?」という声が聞こえてきました。
外にいると、一般に室内にいる時に比べて揺れが分かるものや音が出るものが少なくなるので、案外揺れに気付きにくいものですが、 その揺れは足元を強く揺さぶり、ビルの外壁に取り付けられた金属のパネルがカシャカシャと激しい音を立てていました。

その音はさっきの地震発生時にエレベータを降りる前後で聞こえた音でした。
つまり、エレベータに乗っていた時にはもう初期微動が始まっていた訳で、本震が来るのがもう少し早いか、 あるいはもう少しエレベータに乗るのが遅かったら、閉じ込められていた可能性が高かった訳で、思わず背筋がゾッとしました。

誰かが、「上からガラスが落ちてくるかもしれないから離れて!」と言って、避難していた人が、 狭い道路の真ん中付近に集まりました。

後で知ったのですが、この時の地震が茨城県沖を震源に発生した余震だったそうです。
その時もまだ電話中などで事務所内に残っていた人がいたのですが、立て続けに大きな揺れに揺さぶられて肝を冷やしたのか、 慌てて降りてきました。

このまま外にいても仕方が無いので、一旦どこかに避難しよう、と総務から指示がありました。
「どこかってどこに?」と誰かが質問し、総務は少し間を置いて、「うーん、 近くの小学校か公園かどちらかに。。。」と答えました。

うちの事務所では災害発生時の避難方法や避難場所の策定がなされていなかったようです。。。

それで、「で、どっちに行くの?」などとみんなが三々五々話していると、また余震。
その後も数分おきに小さな余震が立て続けに発生したので、結局避難所への移動は中止し、解散指示が出されました。

しかし、解散といわれても都心の鉄道はすべてストップ。目の前の通りはまだ流れていましたが、電車が動いていない以上、 いずれ飽和するのは目に見えているのでタクシーを使うのも危険すぎます。

幸い、原付の自宅は会社から歩いて2時間くらいなので、徒歩で帰宅することに。
災害が起こったら歩いて帰れるようにと、以前自主的に避難訓練と称して徒歩で帰ってみたこともあるので、帰宅ルートは頭に入っています。

で、そんな時のために事務所にスニーカーを常備していたのに、すっかり忘れて出てきてしまったことに気付いたので取りに戻ろうとしたら、 室内用のサンダルのままだったり、コートやかばんを持たずに降りてきてしまい、 取りに戻りたいけど余震が怖くて戻れないという同僚の子が何人かいたので、みんなで一緒に戻ってみることに。

棟繋ぎの隣の事務所から戻ったのですが、中に入ると書類が散乱していたり、机の位置がずれていたりと結構悲惨な有様。
原付が常駐する方の事務所は書類の落下もなく、大したことがなさそうだったのに、隣同士でこの状況の違いはなんだろう?。

同僚の話では、こちらの棟の方が揺れが激しかったそうで、これだけ状況が違えば、確かにその言葉の通り、 感じた揺れはだいぶ違ったのだろうと思いました。

みんなそれぞれ忘れ物を取り終えて、集合したときにまた余震。。。
先に事務所に戻っていた社長が「すぐに避難、全員外に出て!」と声を上げたので、 全員外に出たことを確認して原付も退避。

いつか起こると言われていたとはいえ、それがなぜ今起こっているんだろう、という現実感の無さもさることながら、 現場に居ない人間の目には10mを超える波が家や車をあっさりと流していく映像はSF映画か何かのようにも見えてしまい、 それを頭の中でどう解釈していけばよいのかなんだか良く分からなくなってきます。。。

それはさておき、津波のニュースに混じって、今回の地震のマグニチュードが修正され8.8になったという報道がありました。

8.8といえば、大きな被害を出したスマトラ島沖地震に匹敵する規模で、 起こる起こるといわれていた宮城県沖地震がついに起こってしまったと思ったら、 実はそれを遥かに上回る規模の巨大地震が起こってしまったわけです。

そのニュースも驚愕に値するものでしたが、一方で、 上の方で書いた宮城震源のM7クラスの地震で東京が震度5強もの強い揺れに襲われたことについてのナゾが解消しました。

今回の巨大地震はのちに、同じ場所で1000年に一度程度の周期で発生している地震と似たメカニズムのものであると報道されました。

近年になってその地震の被害の状況などが解明されてきて、研究者が自治体などに、今までの対策とは別に、 この規模の地震に対する対策もしなければならないということを提言しようとしていた矢先の地震だったそうです。

さらに、この地震の影響で福島の原発がトラブルを起こし、福島県の一部地域が制限区域に設定されたことを伝えるニュースも流れ、 いやがおうにも不安な気持ちに拍車をかけてきます。。。

それを横耳で聞きながら(時折目を奪われながら)、避難道具の準備と片付けを済ませ、ついでに二次災害を防止するために、 固定されていない小物などを下に降ろす作業を30分ほど行ってどうにかひと段落。

コーヒーを飲もうと思ってやかんをコンロにかけたら、コンロが点火しないことに気づきました。

しまった、電気、水道は生きてたけど、ガスは駄目だったか。。。と一瞬思ったのですが、 もしかしたら地震でマイコンメーターが自動停止しているだけかもしれないということに気付いて、 外のメーターを確認すると案の定自動遮断された状態になっていました。

復帰スイッチを押すとこちらもちゃんと復旧してくれました。
コーヒーを飲みながら小一時間ほどテレビにかぶりつき。。。

我が家は電気も水もガスも使えて、こうしてテレビを見ながらコタツで一息つけるくらいの程度で済んでいますが、 東北は未だに悲惨極まりない状況になっているのだろうと考えると、こんなにぬくぬくとしてていいのかな、と後ろめたい気持ちになってきます。

千葉のカミさんの実家と連絡が取れていなかったのですが、ふと携帯を見るといつの間にか無事を知らせるメールが入っていました。

無事だけど停電しているとのこと。
無事が確認できたのは安心しましたが、そんなに遠い所でもない千葉で停電しているとは思いませんでした。

それから、友達関係に安否確認のメールを送っておくことに。
暫くすると、みんなから少しずつ返事が返ってきて、とりあえず全員無事の様子。

会社で解散命令が出たとき、上司が電車が止まってるし帰れないなぁ、と漏らしていた事を思い出し、まさか歩いて帰っているとも思えないけど、 どうなったか気になったのでメールを送ってみると、しばらくして、結局電車が動かず、帰れなかった人同士で事務所で酒盛りしている、 となんだか上機嫌なメールが帰って来ました。

なんだ、心配して損したw

地震発生当初は事務所が倒壊しそうだと、みんな不安になっていましたが、何人か集まると、みんなで渡れば怖くない的な気持ちになるのか、 不思議なものですね。。。

一服しようとベランダに出ると、目の前の今まで一度も渋滞したことのない道に車が連なって大渋滞していました。

首都高速が通行止めになって、一般道に車があふれたせいで、そこいら中の道がこんな状態になっているらしいです。
タクシーで帰宅しなくて正解でした。。。

いつ大きな余震が来て避難が必要になるか分からないので、その日の夜は私服のまま、コート類を椅子にかけてすぐに持ち出せるようにした上で、 リビングのコタツで就寝。

寝ている間も何度か余震で起こされ、大して寝た気にならぬまま夜明けを迎えました。。。

Posted by gen_charly