3・11 - 3

— 3月12日、13日 計画停電 —

翌日は週末ですが、なんとなくだるい体を積極的に動かそうという気にならず、結局終日テレビとネットにかぶりついたままで終わってしまいました。

地震のマグニチュードが日本での観測史上最高(世界で4番目の大きさの)の9.0になったこと、東北地方の沿岸部の津波の影響が甚大で救助がままならないこと、福島の原発が爆発(水蒸気爆発)を起こしたことで徐々に原発がヤバそうだ、という人が増え始めたことなど、悪い情報が続々と更新されて、どんどん憂鬱な気分になっていきました。

追い討ちをかけるように日曜日の夜になって計画停電を実施しなければならなくなったとのニュースが流れました。

計画停電のエリアに原付の自宅が含まれているのか気になり、東京電力のサイトから一覧表をダウンロードしたのですが、それを見ても原付の自宅が対象エリアに含まれているのかいないのかいまいちよく分かりません。。。
一覧表に原付の住んでいる場所の住所が出ていなかったので、結局やらない、ということなのかな、と思いましたが、共働きで外出中に停電になると冷凍庫のものが駄目になってしまうので、ちょうど家にあったビニール製のクーラーボックスに冷凍食品と保冷剤を詰め込んで、それを冷凍庫にしまっておくことにしました。
これで、保冷剤とクーラーボックスが少しは持ちこたえてくれると思います。

また、停電の影響で沿線が停電エリアに含まれる一部路線で朝から運休すると言っています。
原付の利用している路線は、とりあえず運休はしないらしいですが、何せ停電の起こる範囲がはっきりせず、場合によっては運休になる可能性もありそうです。
運休しているのに駅に行っても骨折り損だし、動いていたとしても大変な混雑になるであろうことは簡単に予想できます。しかも電車に乗っている時に大きな余震が来て、満員電車の中に閉じ込められてしまう事も考えられたので、今週一週間は自転車で通勤することにしました。

— 3月14日 ガソリン不足 —

翌日、会社に出社すると、電車が動いていないから出社できないといって3分の1位の社員が欠勤でした。
休日出勤しているのかと勘違いしそうなほど閑散としています。。。

なんだ、電車止まっていることにして休んじゃえばよかった

出社している人間のうち、東北に取引先のある営業は客先の安否確認に追われていましたが、受注部門は客先も被害が出ている関係で受注が少なく、なんとなく全体的に手持ち無沙汰な感じです。

まだ地震の恐怖覚めやらず、なんとなく仕事が手につかない人も多いようで、原付もその一人だったのですが、情報がないと不安なので、常に携帯のワンセグでNHKのニュースを流しながら仕事してました。

改めて被害状況をチェックしてみると、幸い事務所にはこれといった被害もなく、書類が散らばったくらいで済んだのですが、倉庫のほうが悲惨なことになっていました。

商品が棚から転落して散乱したので、土日に倉庫の担当者が総出で片づけをしたそうですが、一部の商品は破損して売り物にならなくなってしまいました。

そしてここにも計画停電の影響が。。。
当初東京電力の発表したリストに倉庫の住所の記載はなかったのですが、隣接する地域が午後からの計画停電のリストに載っていました。

計画停電を実施するといっておきながら、状況によっては停電しませんと朝っぱらから報道がでたり、鉄道も停電するといっておきながら結局停電しなかったりと、計画という名前の割りにまったく無計画な状況だったので、倉庫の運営会社が念のために、という事でお昼で倉庫の建物をすべて停電させると連絡してきました。

停電になると荷物を上げ下げするリフトが使えないので、締め時間を前にして出荷できない状態になってしまい、必然的にその日は出荷停止にせざるを得なくなったのですが、そんな予防策とは裏腹に現地の停電は結局なし。。。

停電もさることながら、ガソリン不足もかなり深刻な影響をもたらしていました。
東北地方は言うに及ばず、関東地方でもガソリンが入手できない状態になってしまいました。
営業車が出張先から帰ってくるのにガソリンが微妙な状態でも、入れるに入れられない状態なので、やっているところを何とか見つけて数時間並んでどうにか少しだけ入れて帰ってくる、という日々が続き、げんなりしていました。

その影響が運送会社にも出始めるのにそれほど時間はかかりませんでした。
燃料が入手困難なのと、計画停電の影響とで、集荷の時間を大幅に早めると通知してきました。

それで現場と業務がてんやわんやさせられるハメに。。。
いつもは19時くらいに最終の集荷があったのに、14時頃が最終になってしまったので、一日の受注のうち半分の荷物が当日中に出荷できない状態になってしまったのでした。

これは最終的に別の運送会社にも協力してもらうことで何とか乗り切りましたが、かなり参りました。。。

——
その日の夕方。従弟に近況を確認するため電話しました。

地震前に危篤になって入院していた従弟の父方のおじいさんが亡くなったとのこと。
沿岸部でたくさんの犠牲者が出ているし、電気も通っていないので、火葬場が手配できるか心配だったが、幸い地元の斎場が手配できたとのこと。
そこまでは良かったが、ガソリンは入手できないし、タンクの残量は心もとないし、電車も動いていないので、斎場に行くのも一苦労だったそうです。

そんな不幸な事件があった一方で、お嫁さんが臨月を迎え、そろそろ生まれそうだとのこと。
行き付けの病院は、今のところ通常分娩はやるけれども、帝王切開などの対応が必要になった時は北上の病院まで行かなくてはならないそうで、それはそれで心配の種になっているらしいです。

— 3月17日 節電 —

地震のことやら、仕事のことやらなんだかバタバタと追われるように数日があっという間に過ぎました。
テレビでは、今年の流行語大賞になるのではないかというくらい 「直ちに影響は無い」 という言葉が繰り返し報じられましたが、一方のネットなどでは漏れ出る放射線が危険な水準になっているという噂が出回るようになってきました。
他の会社で、自宅待機にしたり、海外の駐在員は大阪に避難したりという話も出るようになってくると、いよいよ不安になってきます。

週半ばになり、放射線が東京方面にも飛散して来ているという情報も出始め、自転車での通勤に不安を感じたのと、計画停電から鉄道が除外されてだいぶ落ち着いてきたのとで、木曜、金曜は電車で出勤。

地下鉄の駅に入ると、なんとなく暗い。。。
節電のためにいくつかの電気を消していると張り紙が出ていました。
そのなんとなく薄暗い光景に懐かしさを感じました。
原付が小学生の頃の地下鉄にはこの位の明るさの駅が結構あったはずです。

そういう暗い駅は大抵古い駅で、暗い駅構内がアンティークな雰囲気と相まって何ともいえない情緒を醸し出していて、それが結構好きだったのですが、そういう駅がリニューアルされると、見違えるほど明るい雰囲気になり、それは明るい色調やタイルの色合いのせいで明るくなっているのかな、と漠然と思っていたのですが、照明を落とすと新しい駅でもかつての退廃的な雰囲気が再現されることがわかり、色調のせいだけでなく、照明の数が増えたことで駅が明るくなったんだという当たり前のことに気が付いたわけです。

暗いと足元が悪くなるかといえば、そんなこともなく、イメージを気にしなければ、これで十分じゃないかな?って気がしなくもないですね。
というか、どちらかというと好きな雰囲気ですw

Posted by gen_charly