岩手の地震の爪跡を訪ねて - 10(2011/05/03)
道は先にも通じているのですが、全ての車がここで右折していくところを見るとこの先は抜けられないようです。
そこで、敢えて直進して、すぐ先のアパートの脇に車を寄せて再び車を降りてみることにしました。
通行する車が殆どないので、ここならさほど通行の邪魔をせずに済みそうです。
よく見ると、そのアパートの駐車場にタクシーが止まって誰かを待っているようでした。
土手に上ると流出した姉歯橋の橋脚を間近に見ることが出来ます。
橋脚の対岸側にも橋の残骸が見えます。
川沿いに下流方向を見渡すと、そこにある筈の国道45号の橋も流されて橋脚だけになっているのが見えて、さっき橋を渡れずに直進させられた理由が分かりました。
上流方向はさっき通ってきたとおり、結構上流の方まで橋が無いので、ひょっとしてこちら側から市街地側に向かうことは出来ないのかも知れません。
ここまで拍子抜けするほどスムースに来れてしまったのも、対岸に渡ることができないから、通行する車が少ないせいかも知れないと思いました。
その考えを裏付けるように、対岸を通る国道340号は車が数珠繋ぎに渋滞しているのが見えました。
「あの渋滞じゃぁ、あっち側に行くのは無理かもね。。。」
従弟が少し残念そうにつぶやきました。
海側に目を向けると、本来、高田松原といって立派な松林が見えていた筈のところに、 一本だけひょろりと松が生えているのが見えました。
これは、ニュースでもやっていた、津波で唯一流されなかった「希望の松」と呼ばれる松の木です。
ここ数日で葉の色が悪くなったり急速に衰えてきているらしいのですが、なんとか持ちこたえて欲しいものです。
ズーム無しで同じ方向を写した物です。
原寸写真でないと見づらいと思いますが、国道45号の気仙大橋の橋脚や、気仙中学校を見ることが出来ます。
また、手前の水面に浮かぶ黒い塊は、流された気仙大橋の残骸らしきものです。
土手の向こうからカメラを提げた3人組がこちらに向かって歩いてきて、2人とすれ違った後、アパートに止まっていたタクシーに乗り込んで走り去って行きました。
通行する車が無いとは言いつつ、万が一他の車が来たら抜けられないくらいにしか寄せられなかったので、車を停めた場所から離れられずにいたのですが、タクシーがいなくなった所にうちらの車を停めさせてもらったので、少し歩いてみることにしました。
気仙小学校方面。
骨組みだけの痛々しい姿になった体育館が見えます。
流されてしまった家々をその家々の目線と同じ高さで眺めると、テレビなどで見ているのとはまるで異なる、迫力というかリアルさが伝わってきます。
通り向こうの気仙公民館。
ひしゃげて打ち捨てられている車。
瓦礫の中に横たわる人形。
そこにある家々の残骸が、元々そこにあったものなのか、あるいはどこかから流れ着いたものなのか、かつての姿を知らない人間にはそれを知る由もありません。
でも、そこかしこに残る生活感の痕跡がそこに営みが確実にあったことを静かに物語っていました。
連休中なので、ボランティアの人たちも混じって大掛かりに復旧作業をしているかなと思っていたのですが、車は比較的走っているものの、予想に反してさっきの3人組以外にすれ違う人も無く、まさしくゴーストタウンのような雰囲気を醸し出していました。
それが、寂しさに輪をかけるようで、一層切ない気持ちにさせられます。
土台だけになってしまった家から、車を停めたアパート方向を見る。
そうして30分ほど、泥に埋もれてどこまでが敷地でどこまでが道路なのかもよく分からない所を散策して、アパートのところまで戻ってきました。
再び対岸の国道に目を向けると、渋滞が解消されたのか、車が流れているのが見えました。
それを見て、どちらからともなく、「今空いているようだからちょっとあっち行ってみよう!」と言って、向こう側に渡ってみることにしました。