南東北の旅 - 1(2012/08/11)

2012年の夏休みは、昨年亡くなったおじいちゃんの初盆と言うことで、お墓参りに行くことにしていました。

折角東北に行くのだから、以前見て回った沿岸部のその後をまた見てみたいと考え、その道連れに従弟に一緒に行って貰おうと思って連絡を取ったところ、従弟は8月13日と14日が空いているとのことだったので、11日と12日はカミさんと二人で観光してまわり、13日から従弟と合流することにしました。

まず11日の晩に一関に着くことをおばさんに連絡し、それから何処を見ていこうか考えているうち、山形の山寺のことがふと浮かんだので、カミさんに情報を送るとカミさんも興味を持った模様。
さらにカミさんが常日頃バイブルにしている、たかぎなおこさんのローカルごはん旅 という本に山形近郊のB級?グルメがいくつか掲載されていて、そこに行きたいというので、それらもいくつか訪ねてみることにしました。

10日、仕事を済ませて自宅に帰ってから、高速道路の渋滞情報をチェックしてみると、東北道は予想通り栃木県付近と宮城県付近で大渋滞していると表示が出ていました。
その割に常磐道は全く渋滞表示が出ていなかったので、今回もいつも通り常磐道経由で北上することに。

で、その渋滞情報を見ているうちにふと、須賀川にある藤沼湖という湖のことが浮かんだので、場所を調べてみると渋滞を避けつつ山形方面へ抜けるのにちょうど良いコース上にあったので、まずはそこへ立ち寄り、それから一般道で山形方面へ進んでみることにしました。

さらに、折角日本海側(といっても海には出ませんが。。。)を通るコースなので、一関へも秋田県側からアプローチして、県境にある須川温泉に立ち寄りつつ、可能なら荒砥沢ダムや祭畤大橋を通って一関入りをするという何とも欲張りなコースを立てました。

それから準備を済ませたりしたら出発が遅れてしまい、結局家を出たのが日付も変わった1時近く。
常磐道は相変わらず渋滞は全くなく、というかガラガラで、磐越道までスムーズに進むことが出来ました。

当初は郡山ジャンクションから東北道を南下し、安積PAまで行って休息を取るつもりだったのですが、出発の遅れが影響して磐越道の中盤辺りですでに5時を周ってしまい、流石に眠気が辛くなってきたので、結局阿武隈高原SAで仮眠をとることにしました。

— ダムが決壊するということ —

それから数時間仮眠を取って8時半に起床。
少し進んだら高速を降りることになるので、朝食はSAで買ったパンで軽く済ませて出発。

走り出しは順調でしたが、まもなく郡山ジャンクション、というところでジャンクション手前から2キロほどの渋滞。
こればかりはどうしようもないので、暫く我慢。
ただ、ジャンクションから東京方面へ進む車は少なく、ジャンクションを過ぎるとすぐに解消されました。

そこからは快調に進み郡山南インターで下車。
インターから一般道を暫く走ると最初の目的地、藤沼湖に到着します。

この藤沼湖、3・11の揺れでダムが決壊してしまい、下流域に発生した鉄砲水で死者7名、行方不明1名を出す大惨事となった現場です。

ダムの崩壊と言えば、1999年の台湾大地震(集集大地震)の際の石岡ダムの決壊が記憶に新しいところですが、日本でダムが決壊したと言う話は今まで聞いたことがなく、この情報を入手した時からダムが決壊するというのはどういうことなのかこの目で見てみたいと思っていました。

沢山の死者が出ているのにも関わらず、津波の被害が甚大すぎたせいか、ニュースでは余り取り上げられておらず、情報が少ない中での散策となりそうです。

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藤沼湖へ正面から入っていく道は、少し進んだ先で通行止めでした。
仕方ないので、一つ裏の山道に入り込んでみると、こちらも途中にゲートが立てられていてそれ以上進めず。

さっきゲートに塞がれていた、正面からの道は湖を周遊して国道116号側へ抜けられるようになっているので、最後の手段として116号側から回ってみると、こちらは湖畔にある水と緑のふれあいランドへのアクセスがあるせいかすんなりと入ることができ、ようやく藤沼湖の湖岸に出ることができました。

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車から降りると何処からともなくアブが集まってきてうっとおしかったので、虫除けスプレーで武装。
湖岸に広がる広場を抜けると、そこには目を疑うような光景が広がっていました。

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湖岸へ抜ける遊歩道は突如消失し、湖のほとりを通る遊歩道はズタズタ。

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水を失い土が露出した湖底には既に沢山の雑草が伸び、そこにかつて湖があった場所とは到底思えないような状態になっています。

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対岸に目をやると、さっき通行止めになって進めなかった側の堤体が見えますが、そこも派手に崩壊している様子が伺えます。
ただ、鉄砲水を発生させた決壊箇所はそこではなく上の写真の左手側で、ここからは山の尾根に邪魔されて見通すことが出来ませんでした。

このダムは昭和24年に完成して以来、農業用のため池として使われていたものですが、進行する老朽化に抗うように数度に渡り補修が繰り返されていたものの、今回の地震によって決壊という最悪の結末を迎えてしまいます。

地元からは老朽化による決壊への危惧から早期修繕の要望が出されていたそうです。

ダムとしては小規模なこのダムですら決壊によってこれだけの惨事を招いたわけですから、津々浦々にある数多のダムで同じことが起きたらと思うとぞっとします。。。

余りにも無残な景色ですが、ダムの堤体が無ければ昔からあるちょっとした自然豊かな湿地のようにも見えてきます。
瞬く間に自然の姿に帰らんとする光景を眺めていると、多様な技術で自然をウマい事制御しているような気になっていても、自然の圧倒的なパワーの前ではそれはあくまで錯覚で、人間の出来ることなどたかが知れているのかも知れないなと、何とも言えない無力感に苛まれました。

圧倒されつつも何枚か写真を撮って車に戻りました。

Posted by gen_charly