お伊勢参りと三河湾の離島めぐり【2】(2015/04/25)
2015/04/25
実家を経由すると遠回りになるので、実家行きは後日にしたい旨、父に相談したが、ならぬ、とのことだったので、しぶしぶ?実家に立ち寄って、犬の散歩を済ませてから、夕方ごろに出発。
出発してすぐ、今晩の風呂をどうしようかという話になった。時々行っている玉川温泉は良いお湯ではあるんだけど、もう何度も行ったのでたまには違う所に入ってみたい気もする。そういえば坂戸にも温泉施設があったよな、と思って調べようとしたら、カミさんが「この際、銭湯でもいいんじゃない?」と言いだした。
いいけどあの辺に銭湯なんかあったかなぁ?と考えていると、引き続き手元のスマホを操っていたカミさんが、坂戸の日の出町って所にあるらしいよ、と教えてくれた。
日の出町は自分が幼稚園から小学生の頃にかけて住んでいた街だ。言われてから、当時、近所の銭湯に何度か行ったことを思い出したが、その銭湯だろうか?記憶に残る風景は浴室の中だけで、カミさんが見せてくれた地図を見てもピンとこなかった。
これは自分が昔行った銭湯かどうか確かめねば。
ネット情報では駐車場が3台あるらしいが、そのあたりは道が激狭で通りたくなかったので、イトーヨーカドーの駐車場に車を置いてそこから歩いていくことに。
昔の記憶をたどりながら路地を歩いていくと、古い家屋が多く残るその地域の中でもひときわ古めかしい建物が見えてきた。
入口に手書き風の文字で「越の湯」と出ている。間違いなく自分が幼かった頃からある建物だと思うが、外観を見ても記憶が蘇らない。やっぱり違う場所なのだろうか。
と言うことで、暖簾をくぐってみると。。。
異様に古めかしい下駄箱がお出迎え。カギはないが、まぁ、盗まれて困る靴でもないので、適当なボックスにしまって入口の引き戸を開けると、番台にだらしなく腰かけたおじさんからいらっしゃい、と声をかけられる。
2人分の代金を払い、脱衣場へ。
「時間ですよ」という昔のドラマのセットみたいな昭和感丸出しの脱衣所は見たことがあるような気もするし、ドラマで見ただけのような気もする。先客もいない。貸し切りである。
こんな銭湯が未だに残っていることに驚きを禁じ得ない(※2019年に湯釜の破損があり、廃業されたとのこと)。
番台のおじさんが、やおら立ち上がって浴室へ入ると、洗い場のお湯を片っ端から出し始めた。
「時間が経って温くなっちゃったからね。。。」
そうなんですか、と相槌を打ったのち、かつてこの辺りでここ以外に銭湯があったかどうか聞いてみた。
「昭和26年からやってますが、この辺りで銭湯はここだけですよ。」
やっぱり、昔何度か入りに来た銭湯はここのようだ。こんなところ、来たことあったかな?
そのことを話すと、
「この辺りも区画整理で、古い家が何軒か新しいマンションになっちゃいましたね。」
古い家といえば、自分が小学生だったころ、ここの近くにあった民家の庭先に直径1mくらいの肥溜めがある家があった。
当時はこの家の人はここで用を足しているのだと思っていて、仕切りも屋根もない庭先で用を足している姿を想像して不憫に感じたものだw
(多分、庭の畑にまくために貯めていたのだと思うが・・・)
表面の部分が軽く固まっていて、落ちたら大変なことになりそうだと想像して心寒くなった記憶が脳裏によみがえった。
その家もさすがに今では取り壊されて駐車場になってしまった。
しかし、この辺りは坂戸の駅から徒歩5分圏内である。
当時の自宅から写した写真が出てきたので掲載(多分1980年ごろ)。
こうして見ると、まぁ都会的とは言い難いが、それでもそこそこの街中である。この町中に庭に肥溜めがある家がしれっと存在していたことを想像してほしい。
当時でもなかなかの異世界っぷりだったことがお分かりいただけるだろうかw
ちなみに越の湯はこの写真だと見切れてしまっているが、右端のあたりになる。
余談だが、写真右下に見えるトタン壁は映画館だった。当時住んでいたマンションの隣に坂戸映画館という映画館があったのだ。夏休みになるとドラえもんとかのアニメ作品が上映されていたのでたまに見に行っていたが、普段は任侠ものとか、話題のB級映画(!)とかを上映していたように記憶している。
「パンツの穴」という映画があったが、当時の自分はそれを子供が見てはいけない映画と勘違いしていて、通学で映画館の前を通るたび、何とも言えない気分になったことを思い出すw
「そこの歯医者さんと、その隣二軒もなくなりました。」
「あれ?その歯医者さんって○○さんじゃないですか?そこの息子さん、自分が小学生の時、同じクラスだったんですよ。」
「そうそう!○○歯科。息子さんは継がなかったみたいだけどね。」
そこの息子がなかなかのお坊ちゃんで、あふれんばかりのおもちゃを持っている子だったので、ときどき行ってそのおもちゃで遊ばせてもらっていたのだった。
使わなくなったおもちゃが家の軒下に箱に入れて置きっぱなしになっていて、ある日遊びに行くとその友達が不在だったので、帰ってくるまで遊んで待っていたら、やがてご両親が帰ってきて、何してるんだ、とどやされた。
ご両親も面識のある人だったので、唐突にそんな剣幕であたられて、なんでそんなに怒られるのかと面食らったことを思い出す。
それはさておき、母屋の脇に歯医者の建物があり、何の気なしに覗いた、少しだけ開いた曇りガラスの窓の隙間から、ろうそくの灯がともる暗い部屋で、白衣を着たお爺さんの先生が患者の治療をしている様子を垣間見て怖くなったような記憶があるんだけど、いくら昭和の話とはいえ、50年代を過ぎてろうそくの明かりで治療している歯医者なんかないよな。さすがに何かと記憶がごっちゃになっているのかもしれないw
脱線しまくったw
それはさておき、服を脱いで浴室へ。
壁にかけられた絵はもはや何の絵かも分からなくなってしまっている。
体を流して湯船に手を入れると、めっちゃ熱い。。。温度計を見ると48度をさしている。とてもじゃないが腕すら浸けられない。物には限度ってものがあるだろうw
低い仕切りの向こうで水をダバダバ入れている音が聞こえてくるので、女湯も相当熱そうだ。
で、水で薄めることにしたのだが、焼け石に水というか、なかなか湯温が下がっていかない。
湯の峰温泉の家族風呂が頭をよぎった。今は貸し切りだからよいが、あまり温度を下げすぎたら後から来る常連のじいさんに怒られるかもしれないと思って、とりあえず44度まで下がったところで浸かり始めたが、とても長湯できたものじゃない。
結果、わずか10分ほどでギブアップ。
火照った体をタオルでふきながら、当時自宅には内風呂があったのに何でわざわざ銭湯に行ったのだろうかと不思議に思っていたのだが、壁に貼ってあった色褪せたポスターを見て一気に記憶がつながった。
そうだ、しょうぶ湯の時に入りに来たのだ。親心としては子供の健やかな成長を願っていたのだと思うが、子供心には近所の友達と一緒に広いお風呂に入れる、というイベント自体が単純に楽しかっただけだったが。
いろいろ懐かしい記憶を思い出すことができて有意義な時間だった。風呂は熱かったけどな。
風呂をあがり、ようやく伊勢に向けて出発。圏央道に鶴ヶ島から入って、新しく開通した区間を抜け一挙に東名の厚木へ。そこから少し走って足柄SAで仮眠。