碓氷の旧線跡散策【3】(2021/09/12)
そして5号トンネルを抜けた先が、この遊歩道の随一の見どころであるめがね橋だ。
この橋については後程改めて触れたい(勿体ぶる作戦w)。
橋の上から上流方向を見ると、信越本線の新線の鉄橋が見える。
新線と言ってもあちらも既に廃止されている。使われていないならあっちも遊歩道として整備してくれたらいいのに。
そして、めがね橋を渡るとすぐに6号トンネルの入口が口を開けている。
これまでにない重厚なつくりである。
6号トンネルは沿道中一番長いトンネルで548mもある。
中に入ってしばらく行くとこのような場所がある。
横と天井に穴があけられているのである。横の明り取りは建設当初からあるもののようだが、上部の穴は後からレンガを斫っている。
トンネルにSLが走っていたころ、この長大トンネルの中では充分に排煙が出来ず、機関士が窒息したりすることがあったという話なので、この穴は排煙用として後から開けられたものかもしれない。
天井に穴が開けられるということは、この部分はトンネルが土砂に覆われていないということだ。元々地かぶりの少ない場所だったのかもしれないが、それならいっそレンガを取り払って明かり区間にしてもよさそうな気もするが、そうしなかったのには何か理由があったのだろうか?
トンネルにいて天井から光が差し込む光景というのはなんだかとても不思議だった。
横の明り取りから外を覗くと、国道18号の旧道が見えた。
ここまで鉄道だけをフォーカスして語ってきたが、車道の方もなかなか大変だ。
この峠を通過する車道は旧中山道、国道18号の旧道および碓氷バイパス、上信越自動車道があるが、国道18号については旧道もバイパスも九十九折りのヘアピンカーブが連続する険しい道筋をたどっている。
結構な時間をかけて6号トンネルを抜けた。その先は掘割となって、7号トンネルへと繋がっている。
7号~10号の4つのトンネルはいずれも短く(順に75m、92m、120m、103m)、この辺りは山肌に小さな沢がいくつも刻まれているようだ。
道はよく整備されて非常に歩きやすいのだが、トンネルへ出たり入ったりを繰り返すだけの緩い上り坂というのは、チビにとって流石に飽きるようで、8号トンネルの辺りから、少しぶーたれるようになった。
とはいえ、あと3つトンネルを抜ければ終点なので、そこで昼ご飯を食べよう、と宥めて歩かせる。
で、10号トンネルも無事通り抜けると、
急に視界が広くなる。熊ノ平の信号場跡に着いた。
振り返ると4個のトンネルが真っ黒い口を開けている。
単線トンネルが4個並び、そのどれもが使われていないという光景は、かなり異様である。
ここまで3.3kmの道のり。まぁ、チビにとったらそろそろダルくなってくるタイミングだと思うので、丁度良かった。
ということで、チビへの約束を守って、ここでランチの時間にした。
何はなくとも、峠の釜めしである。瀬戸物の器に並んだ具材。そのレイアウトも含め、見た目は昔食べたものと全く一緒だったが、まだほのかに温かさを残していたからか、前回と比べて圧倒的においしく感じた。
チビは初めて口にする食べ物だが、具材に変わり種もなく、全部おいしいと言ってパクついていた。
ところで、峠の釜めしの話題になると必ずと言っていいほど「あの容器はあとで何に使う?」という話が出る。
瀬戸物で出来ていてしっかりしているので、何となく使い捨てにするのがもったいなく、持ち帰ってしまいがちなのだが、持ち帰ったところで使い道がない。わざわざこの器で釜めしを炊くこともないだろうし、食器として使うにはかさばってしょうがない。植木鉢にするにも底に穴が開いていないので水はけが悪いし、かといって魚を飼育するには小さい。
とにかく、持ち帰ってしまったら、食器棚の肥やしになってしまいがちな容器なのである。
カミさんは持ち帰りたいと言っているのだが、何に活用するつもりなのだろうか。
流石に3人で釜めし一杯というわけにもいかないので、別途持参した菓子パンなどを食べて腹を膨らました。
食事が済んで落ち着いたところで、周囲を散策してみた。
まず、視界の先にずっと見えていたのだが、広場の片隅に小さなお堂がある。傍らには熊ノ平殉難、と書かれている。
この小さな平地には、かつて関係者などが住んでいたが、昭和25年に複数回の土砂崩れが発生し、50名が犠牲になる災害があったそうだ。
かつては、この先の現場に近い線路の山側に慰霊碑が建てられていたが、新線建設により往来が出来なくなることから、ここに移設したということだ。
この熊ノ平信号場だが、かつて熊ノ平駅として営業していた時期がある。
とはいっても周囲にこれといった集落もなく、もともと列車交換やSLへの給水、給炭のために作られた場所であったという。それがやがて駅に昇格したということだ。
その後再び廃駅となり信号場に戻ったが、駅だった当時の遺構が今も残っている。
それぞれの施設や構造物に立ち入ることはできないが、上下線の間に設けられた通路が開放されていて、往時を偲びながら散策することが出来る。
恐らく、変電所の跡。
少し進んだ先の右手側に件の殉難の慰霊碑が残っている。今は列車が通らないので再び慰霊碑の前まで入ることができるようになった。
こうしてみると見るからに急斜面である。ここが崩落したというのだから、その勢いは凄まじかったのだろうと思う。
つい先日、熱海の伊豆山地区で土石流があった。映像なども残っていて、土石流が流れ下る勢いで麓の民家が容易に破壊されて流されていく姿を見たばかりなだけに、ここで起こったこともぼんやりとイメージが湧いて、空恐ろしい気分になった。
更に進行方向に進む。チビとカミさんは興味がないのか慰霊碑の所に留まってついて来なかった。
歩道になっているところの先端まで来ると、その先に11号トンネルが見える。ここから先に歩道はなく、またトンネル自体がバリケードで塞がれていて立入禁止になっていた。
熊ノ平駅はその名の通り水平な場所に位置する。駅を過ぎるとすぐ上り坂が再開するが、トンネルの向こうに見える明かり区間の映り方を見ると、勾配の急さがわかると思う。
歩道はここで再び線路を渡り、左を通る旧国道の方へと繋がっている。1人なのをいいことにそちらの方まで歩いてみた。
軽井沢駅と横川駅を結ぶバスが運行されていて、この付近にバス停があるということらしいので、見に行って見ようと思ったのだ。
そのバス停は旧道に出たらすぐに見つかった。
殆どの便はバイパスを経由するのだが、1日1本だけ旧道経由となる便があるらしく、もしタイミングが合えばそのバスで下山しちゃおうかな、と思ったのだが、バス停に掲示された時刻を見てみるとタイミングがどうこう以前に運休中だった。。。
さっきの慰霊碑のところまで戻ると、カミさんとチビは慰霊碑の前で横になってゴロゴロしていた。
何やってるの??
二人にそろそろ戻るよ、と声をかけて広場まで戻る。
少し遅れて二人が追い付いてきたので、戻りコース出発。