碓氷の旧線跡散策【1】(2021/09/11)

8月~9月上旬にかけて立て続けに遠方への出張(札幌青森)が続いたが、それがひと段落したのもつかの間、陽気も秋めいてきたからハイキングに行きたい、とカミさんが言い出した。準備のいいことで、食卓には図書館で借りてきたという関東近県のハイキングガイドが置かれている。

夏の間あまりチビと遊んであげることもできなかったし、どっか行ってみようか、とガイドブックをパラパラめくって、目についたのが今回ご紹介する信越線の碓氷峠旧線跡ハイキングである。

碓氷峠というのは鉄道好きの人の間では非常に有名な峠である。
群馬県側の横川と長野県側の軽井沢の間に位置する峠だが、この峠は典型的な片勾配の峠で、群馬側から長野側に向け一方的な登り勾配となっており、峠を越えた先は殆ど下らずに軽井沢駅に至る。

古代から関東と信越を結ぶ交通の要衝であるにもかかわらず、この群馬県側の峠までの道のりは険しく、いつの時代も常に難所であり続けた。

ここに鉄道が開通したのは明治26年。この区間の勾配は最大66.7パーミル(1000m進んで66.7m登る勾配)あり、当時の鉄道車両では車輪の粘着力だけで登ることが出来なかったため、ラック式と呼ばれる、路面に設置された歯車に機関車の歯車をひっかけて登る方式が採用された。

その後ラック式のまま電化され、主役が蒸気機関車から電気機関車へと変わる。
更に時代が下ると車両側の性能の向上して歯車を使わなくても登れるようになってきたので、昭和38年に新たなルートを建設し、粘着運転(=歯車を使わず車輪の力だけで登る運転方法)を開始している。

ちなみに、66.7パーミルという勾配は国鉄(JR)の路線の中では最も急な勾配である(私鉄も含めるとほかにもっと急勾配の路線が存在する)。
それだけの急勾配に挑むため、開業以来、上述のラック式運転も含めて常に特殊な運用を強いられていた。

粘着運転に切り替わってからも、電車単体では上り下りができなかったので、軽井沢駅・横川駅でそれぞれEF63という専用の機関車を連結・解結して慎重に上り下りする必要があった。

このことがこの区間の所要時間増大につながり、いつの時代も信越本線運行上のボトルネックとなっていた。
(そのおかげで峠の釜めしが全国に名をはせる駅弁になったという側面もあったりするのだが。)

そんな碓氷峠も1997年に長野新幹線(現在の北陸新幹線)の開業によって、役割を終えることとなる。
新幹線の開業と同時に在来線の横川・軽井沢間が廃止となったのだ。
当時、本線を名乗る路線において、歯抜けのような廃止区間ができるなど前代未聞であった。

現在は、北陸新幹線がこの区間の北側を大きく迂回するルートを長大なトンネルで一気に通り抜けており、そこに非常に険しい峠が存在していることを全く感じさせなくなった。

以上、碓氷峠のすごく雑なあらましである。

 

さて、今回歩く場所は一番最初に開業した区間(旧線)である。横川駅から途中の旧熊ノ平信号場までの間が遊歩道として整備され、開放されているのだ。

途中いくつものトンネルをくぐったり、めがね橋と呼ばれるレンガの橋を渡ったりするコースである。気分はスタンド・バイ・ミー。
想像するだけで楽しそうだ。

というわけで、出発!

 


2021/09/11

午前中に何かとバタバタしてしまい、出発が遅れてしまった。
午後になってようやく出発したら、途中で酷い渋滞に巻き込まれ、埼玉県に入った時点で14時を回ってしまった。

今から急いでも現地に着くころには日が暮れる。それなら今日は現地移動だけでいいや、ということで一般道をノコノコ走って現地へと向かった。

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この日のお風呂は、安中市の磯部温泉恵みの湯というところにした。
スーパー銭湯風の施設であったが、お湯は悪くなかった。

寝床は横川駅に最寄りの、道の駅妙義とした。

Posted by gen_charly