鳥取ドライブ【22】(2022/08/17)
2022/08/17
昨晩は断続的に雨が降っていたので窓を開けられなかったが、気温が下がってくれたので、まぁまぁ快適だった。
結局、まだ鳥取市内である。今日はひたすら帰宅がマストのタスクだが、この分では何時ごろに帰着できるだろうか。。。
まぁ、とりあえず朝散歩である。
道の駅の脇に神社の鳥居がある。そして、目の前の国道の向こう側は海岸である。面白そうなので、珍しく自分も朝散歩の一員に加わってみた。
まずは神社から。神社の名前は白兎神社と言う名前だ。目の前の海岸は白兎海岸、道の駅は神話の里白うさぎ、と来れば連想されるものはただ一つ。
因幡の白うさぎの神話である。この辺りは神話の舞台になった場所なのだそうだ。
鳥居をくぐり、参道を進む。階段の上に大きな建物が見えているが、そこにあるのは白兎が、大国主命(おおくにぬしのみこと)と、八上比売(やかみひめ)との出会いを取り持っているシーンの砂像であった。
更に参道を進んでいくと、右手側に御身洗池(みたらしいけ)という池がある。不増不減の池という別名がある。訪ねた時にはふーん、という感想だけで通り過ぎてしまったが、先日、ブラタモリの再放送で鳥取砂丘の回が放映され、ここが取り上げられていた(見逃していたらしい)。
ここ、白兎海岸一帯は鳥取市内に大きく広がる鳥取砂丘の西端に当たる場所だそうだ。今も鳥取砂丘として残されている場所以外は開発されて住宅地や農地に変わってしまっているが、かつては鳥取砂丘からここに至るまで延々と砂丘が広がっていたそうだ。
で、この池のある所が丁度その境目となっていて、底の部分に粘土の層が、その上に砂の層が乗っている構造となっているため、湧き水がある一定量に増えると、砂の層から流れ出していき、水量が常に一定に保たれる、という事だった。
そうした不思議な場所は神話の舞台にもってこいである。ワニ(サメ)に皮を剥がれた白兎が大国主命の助言により身を清めたのが、この御身洗池であるとされているそうだ。
背面には手水がある。手を清めようとチビが手水に近づくと音楽が流れた。なんか民謡のような感じの曲だったが、なんという曲かは分からなかった。
そして白兎神社。ちゃんとした由緒のありそうな神社である。予備知識なしに来ているので、道の駅の傍らに鳥居があるさまから、おふざけのような神社があるものだとばかり思っていたが、なかなかどうして、予想を裏切られた。
さて、因幡の白うさぎの神話をそらで言える人はどのくらいいるだろうか。
ワニの背中を白うさぎが渡っていて、最後の最後でワニに生皮を剥がれ、うなだれているところに大国主命が通りかかって治療方法を伝え、その通りにしたら治った、位までは覚えている人もいると思う。
実際の物語はこうだ。
沖合にある島(淤岐嶋=おきのしま)にいた菟(うさぎ)が、こちら側(気多=けた)に渡る際に悪だくみをし、ワニ(サメ)に自分たちとどちらが数が多いか比べてみよう、と唆す。ワニを島から本土まで一列に並ばせて、その上を数えながら渡るから、と言って、並んだワニの背中を飛びながら数を数える。最後まで来た時に君たちは騙されたんだよ、と菟がワニを馬鹿にしたものだから、ワニが怒ってウサギに襲い掛かり、生皮をはいでしまう。
それで困っていたところ、通りかかった神々(八十神=やそがみ)から、海水で体を洗って日に当たっていなさい、と教えられる。言われたとおりにやってみたところ、皮膚が乾燥して割けて更に悪化する。
一向に癒えない傷に困惑していたところへ、今度は大国主命が現れてどうしたのかと尋ねる。菟が経緯を話すと、真水で体を洗ったあと、蒲を敷き詰めて休んでいれば治るだろう、と助言をし、その通りにしたらようやく傷が癒えた。
さて、大国主命や他の神々はなぜそこを通りかかったのか。それは、八上比売に求婚するためだった。
傷が快癒した菟は八上比売は八十神とは一緒にならないだろう、と言い、八十神が到着する前に八上比売に事の次第を報告したそうだ。
結果、八上比売は大国主命と結ばれることになった。
まぁ、ざっくりそんな物語である。
ウサギが渡り切る直前でたくらみを白状してしまうというナメプぶりは、ちょっと迂闊の誹りを免れないと思う。多方面への気遣いが必須の現代において、とても通用しないレベルの愚かさである。
更に、他の神様たちの意地悪さ加減もどうなんだろうと思わなくもない。確実に殺しにかかっているだろう。
まぁ、そのエピソードがあるからこそ、大国主命の優しさが引き立ち、ハッピーエンドへの布石となるわけだが。。。
脱線した。
そんなわけで、この神社は、大国主命の助言が日本で最初の医療行為であるとして、医療の神様とされている。更に八上比売と結ばれるというストーリーから縁結びの神でもあるとのことだ。
どちらも今のところ縁がないが、折角なのでお参りして行こう。
お参りを済ませて戻る際、鳥居の上に小石が乗せられているのが見えた。
投げて鳥居の上に上手く乗れば祈願成就、って奴だろう。前述の通り今のところ、ここの神様に願わなければならないことは何もないが、お願いできるなら何でもお願いしてしまおうというカミさんと、石投げのイベントと勘違いしているチビによって投石が始まった。
もちろん、石が他の参拝客に当たったら大事である。
幸い、ほとんど人通りもなかったので、人のいない隙に何度かチャレンジ、結局乗らず。。。
そもそも、これって出雲大社のしめ縄への硬貨投げと一緒で、神社はやらないでくれ、って思っているんじゃないだろうか、という気もする。