京葉線 (1989/04/02)
1989/04/02
どうにも地味な印象がぬぐえない我らが東武東上線であるが、1987年に大きなイベントがあった。地下鉄有楽町線が和光市まで延伸されて、東武東上線と直通運転を開始したのだ。これにより都心部まで乗り換えなしで行けるようになったのだが、当初直通する列車は各駅停車だけだったので、座れるけど時間のかかってしょうがない列車なうえ、殆どが川越市どまりだったので、川越市以遠の利用者にとってはいまいち使い勝手の良くないものだった。
それはさておき、翌年、1988年には有楽町線の反対側が延伸し、新富町から新木場間が開通した。また同年、京葉線が西船橋(南船橋)から新木場の間も開通し、新木場駅で接続されるようになった。
それまで、京葉線は西船橋と千葉みなとの間を結ぶ路線だったので、埼玉に住まう我々にとってはひたすら縁遠い路線だったのだが、新木場への延伸によって一気に身近な路線となった。身近と言うほど近くないけど。
隣のクラスのI田と、一度何かの折に新木場開業前の京葉線に乗りに行った事がある。
沿線はまだ開発が始まったばかりで乗客は少なく、10両編成の列車は車内が閑散としていたことを憶えている。
最後尾に陣取り後ろの景色を見ていたら、車掌から声をかけられて、運転室内に立ち入らせてもらった。
最後尾とはいえ運転台からの景色である。興奮しない訳がない。ただ、その時はカメラを持って行っていなかったか、既にフィルムを使い切っていたかのいずれかで、京葉線の写真は撮っていなかった。
そうした出来事があったせいで、すっかり京葉線のファンになっていたのだが、そこへきて新木場開業である。さっそく開業して間もない区間を乗りに行って見ることにした。
と言っても、1人で行ったのであまりイベント感はないのだが、まぁ記録として。
この頃の京葉線はスカイブルーの103系の独壇場だった。
関東でスカイブルーの103系と言えば、京浜東北線の高窓車であったが、京葉線が開業して低窓のスカイブルーの103系が走るようになった。
京葉線はATS-Pという保安装置を搭載する都合で、おでこ左側にあった運行番号窓という部分が埋められているのが特徴だった。
高窓車とはこういう顔立ちの車両である。
それから京葉線に乗って蘇我まで向かった。
時間的には既に夕方だろうか。日が傾きつつある。
幕張の車両基地には165系のメルヘンが停まっていた。メルヘンって列車の名前としてどうなのよ、って思わなくもないが、ディズニーランドへの乗客を輸送するための列車なので、そういう名前になったようだ。
蘇我から総武線で東京へと戻り、帰宅したようである。