南紀初日の出【4】(2005/01/02~01/04)
紀州鉄道:
温泉を堪能して再び先の道のりを進む。途中、奇絶峡(きぜっきょう)(※)という、変わった名前の渓谷を案内する看板があったので、立ち寄ってみることに。
(※)リライト時に改めて検索したら「きぜつきょう」となっていた。確か当時の調べでは「きぜっきょう」と書かれていた気がするのだが。。。
奇絶峡は田辺市の山間にあり、国道から数キロほど奥に進んだ所にあった。
ただし、この名所については訪ねた時の記憶が全くない。大抵の場所はおぼろげな記憶があったり、写真から記憶を辿ったりすることが出来るのだが、ここで見た光景がなぜか全く思い出せないのだ。
そもそも夕暮れ時がせまりつつあり、日が暮れる前に紀州鉄道までたどり着きたい、という思があったので、立ち寄ったはいいものの、あまり腰を据えて見学しようと思っていなかったからかもしれない。
この朱塗りの橋の下が奇絶峡なのだが、橋の下の写真を一枚も撮っていない。
橋を渡った先にあるのが不動の滝。
この滝を登った先に摩崖仏があるらしいのだが、訪問時は奇絶峡に関する事前情報を持っておらず、また、現地にも解説などが見られなかったので、滝を見て「ここが奇絶峡か」なんて思いながら戻って来たのかもしれない。
まぁ、そんな見学のしかたをしているくらいだから、仮に摩崖仏への道案内がそこにあったとしても、奥まで歩いていくことはなかったかもしれない。だったら行かなきゃいいのに、と思わなくもないが、何か引き寄せられるものがあったのだろうか。
で、いよいよ空が暗くなり始めたので、紀州鉄道の写真を撮影するため、足早に道を急いだ。
だが、御坊市街の少し手前で日没。間に合わなかったか。。。
海岸沿いの道路を、海の向こうに沈まんとする太陽をチラチラと眺めながら走っていたのだが、いよいよ日没と言うタイミングで、車を停めて夕日の撮影をしてみた。
カミさんは助手席でよく眠っていた。それだけ疲れているのだろうと思って起こさずに行ったのだが、車に戻ったら目を覚ましていた。
日没を見てきた、と話したら「なぜ起こさなかったのか」と詰め寄られた。。。そっか、見たかったのか。うまくいかないものだね。
それから、暮れなずむ街を急ぎ、ようやく紀州鉄道の終点西御坊駅に到着。
紀州鉄道は地元の人か鉄道ファン以外にはあまり知られていない鉄道会社だが、なかなか個性的な鉄道会社である。
紀州鉄道という社名を聞いて普通は鉄道会社を想像すると思う。もちろん、こうして鉄道を所有しているので間違いではないのだが、この会社、実は本業は不動産業である。と言っても鉄道会社が多角化経営の一環で不動産事業を行っているわけではない。
この路線は元々御坊臨港鉄道という会社の路線だったが、ある不動産の経営者が御坊臨港鉄道を買収して紀州鉄道に社名を変更したという経緯がある。
なぜ不動産が鉄道会社を買収したのかと言うと、社会インフラの一つである鉄道会社を社名に冠することで、自社のブランドに対する絶大な信頼を得るためだった、と言われている。
この路線は開通当初から不採算で、今現在に至るまでその状況は変わっていないのだが、上述のとおり自社の信用度を上げることが所有目的となっているため、そんな状態が続いているにもかかわらず廃線の話は上がっていない。いわばショールームか、あるいは宣伝広告のような立ち位置なのだろう。
で、そんな鉄道路線だが、当時は営業距離が日本一短い鉄道会社として知られていた(現在は千葉の芝山鉄道が最短)。
その路線長はわずか2.7キロしかない。路線は非電化で、駅も車両も何十年も前から時間が止まっているかのような状態で運行が続けられている。
和歌山県内にはかつて野上電鉄や有田鉄道といった、紀州鉄道に負けずとも劣らない個性的なローカル私鉄があったが、どちらも経営の悪化を理由に廃止となっている。
そう考えると、決して健全ではないが、こうしてこのご時世でも残っていると言うのはある意味貴重である。
とはいえ、本体の経営状況によってはいつ廃止の決定が下されてもおかしくない。何より、車両自体の老朽化がだいぶ進行しているので、路線は残っても車両はもう間もなく更新されてしまう可能性がある。
上述の野上電鉄や有田鉄道は訪問叶わぬまま廃線となってしまったので、折角ここまで来たのだから、なんとしても立ち寄って写真を撮りたいと思っていたのだ。
暫くして列車が到着した。駅は車両1両分の長さしかなく、引きでもホーム上から写真が撮れなかったので、駅前の踏切から撮影した。
既に日が完全に落ちてしまい、夕闇迫る中での撮影だったので、ざらついた写真になってしまったが、ようやく車両の写真が撮影できたので、ひとまず満足。当時は、この写真を持って紀州鉄道の車両はおしまいかな、と思っていたが、その後再訪する機会に恵まれ、ちゃんと撮影することが出来た。
ちなみに、撮影に要した時間は30分ほどだったが、カミさんは待ちくたびれた顔をしていた。そりゃそうだよな。
さて、自分の中のミッションも無事達成できた。こ0まま進むと紀伊半島を一周する形で大阪へ行ってしまうのだが、まだ関西の運転は不慣れなので、街中の走行は出来れば避けたい。まぁ、GWに散策して回ったばかりなのであえて行きたいと思う場所がなかったというのもあるが。
カミさんに他に行きたいところがないか聞いてみたら、元日に伊勢神宮に行きそびれたので行ってみたい、という。
伊勢神宮か。。。ここからだと紀伊半島の反対側になるので、ちょっと無駄に過ぎる気がしなくもなかったが、まぁ自分も一度訪ねてみたいと思っている場所でもあったので行ってみることにした。
カーナビに設定されたコースはこんな感じである。ちょっとどうかしているとしか思えないルートだ。
まぁ、まだ時間はあるからあまり気にせずに行ってみよう。とりあえず一旦カミさんに運転を代わってもらって少し休息をとることに。カミさんは運転自体に不慣れなので事故の心配がないでもなかったが、色々散策した疲れが出たのか、助手席に乗り込んだらほどなく眠ってしまった。
で、次に目覚めた時には、パーキングエリアと思しき場所にいた。お、運転交代か。どの辺まで進んだのかな、と思いつつナビの地図を見たら、五月橋サービスエリアだった(上の写真の赤い三角の所)。え、もうこんなところまで来ちゃったの?
ここは名阪国道のサービスエリアである。名阪国道と言えば事故が多発する道として知られている。なのでその手前で交代するつもりだったのだが、度胸ゆえか、怖いもの知らずゆえか。。。ともかく、よく頑張りました。おかげで眠気もすっかり取れた。
ここで長め休憩を取って夕食を済ませる。昨日までの残り物で雑炊を作ってもらった。運転して疲れているのに申し訳ない。
食事中、改めて考えると伊勢神宮に行ってそれから帰るとちょっと行程が長くなって大変だなぁ、と言う話になった。
カミさんも最初は伊勢神宮へ行きたいと言っていたが、旅の疲れが出てきたから早めに家に帰って家でのんびりしたい、と言うことだったので、伊勢神宮参拝は見送り。そのまま名古屋を目指すことになった。
早めに名古屋入りすることで、半日くらい名古屋の観光をしてもいいね、などと言いつつ、名古屋市内に入ったのは日付が変わる少し前だった。
名古屋の恐怖体験:
2005/01/03
名古屋市内のどこかしらの駐車場で夜を明かすつもりだったのだが、市内には無料の駐車場でかつ落ち着いて眠れそうなところがなかなか見つからなかった。
あてどなく探しているうち、湾岸地区に出た。と、だだっ広い公園が見えてきて、その駐車場が開放されていた。停められている車も少なく、ここならゆっくり眠れそうだ、と言うことで寝床を展開してすぐ布団に入った。
ところが、それから10分もしないうちに誰かが車の窓を叩いた。
ひと気のない公園なのに誰が窓を叩いているのか。カーテンを閉めているので、その向こうの様子は分からない。
誰だろう、浮浪者?地元のヤンキー?それとも幽霊??
もちろん一番バッドエンドの可能性が高いのはヤンキーである。ヤンキーに絡まれたら死亡フラグが立つかもしれない。
「殺戮者は2度笑う」というドキュメンタリー本がある。その本に、かつて名古屋で起こった名古屋アベック殺人事件という痛ましい事件の顛末が生々しく書かれているのだが、それを今回の旅に出るほんの少し前に読んでいた。
読みながら名古屋ってなんか物騒だな、と空恐ろしくなる感覚を覚えたのだが、なぜか、その公園に着いた時にはそのことをすっかり忘れていた。
だが、窓を叩く音を聞いたその時、その事件のことを思い出し一気に震え上がった。いくら何でもここで宿泊するという判断は迂闊に過ぎたのではないか。
とりあえず、現実を直視したくなかったので、相手がやり過ごしてくれることを期待して暫く様子を見ていた。だが、再び窓を叩かれた。カミさんは、自分の脇でおびえた表情をしている。いや、自分だってひきつった顔をしていたと思う。
その後も窓をノックする音が繰り返し聞こえてきた。待てよ、自分らに悪さをしようと企てているヤンキーどもが、のんきに窓なんかノックするだろうか。もちろん、容易に顔を出してくるのを期待しての行動かもしれない。予断を許さない状況ではあるが、このままずっと叩かれ続けたり、何らかの実力行使に出られたらそのほうが恐ろしいと思い、カーテンを開けることを決意。
万一の時にはカミさんだけでもどうにか逃がしたい。その方法があるか考えつつ、そして最悪の事態も想像しつつ、恐る恐るカーテンを小さく開けた。
「すみませーん、ちょっといいですか?」
そこに立っていたのは、警察官だった。その姿を見た瞬間、とりあえず我々に危害を加えるような連中でない事が分かって安堵したが、次の瞬間、自分らが何か咎められるようなことをしているのだろうかと、別の不安に襲われた。
窓を開けると、
「○○警察ですけど、旅行者の方ですか? ここで寝泊りしてるの? ここら辺はあまり治安が良くないので、犯罪に巻き込まれたりするかもしれないから、ここでは寝泊りしないようにしてください。」
いやぁ、その発言を聞いて安堵したね。全身脱力しておしっこちびっちゃうかと思った。。。
そのお巡りさんが、無防備なまま犯罪に巻き込まれる危機から我々を救ってくれた神様に見えた。
もう、すぐさまお礼を言って、着の身着のまま車を移動させた。
上記の事件から既に15年以上経っている。犯人たちも逮捕されて、そうそう同じ犯罪に手を染める人が出て来るとも考え難いのだが、それでもこうして警戒を続けているということは、まだあの事件が風化していない、と言うことなのか、はたまた、いつ次の犯罪が起こってもおかしくないほど治安が悪いのか。。。
今でもあの窓を叩かれてから窓を開けるまでの経過を思い返すと、背筋がゾワゾワっとした感覚に襲われる。
で、車を移動させたのはいいが、時計を見ればもう夜中の2時を回ろうか、という時間だった。今から新たな寝床を探そうという気にもなれず、ほぼ安全な車中泊スポットである、高速のPAで仮眠することにした。
PAはどこだったか忘れたが、その場所からたっぷり1時間以上かかる場所だった。
名古屋城(記憶なし):
昨晩のハプニングは、自分の精神状態に少なからずインパクトを与えるものだった。PAに着いてからもなかなか寝付けず、結局ようやく眠れたのはほぼ明け方だった。それから一頻り眠り込んで、目が覚めた時には10時を回っていた。
テンションもイマイチ上がらない。何か早いとここの街から離れたい、という思いもなくはなかったが、折角名古屋まで来ているのだから、と言うことで、名古屋城だけは見て行くことにした。
名古屋城には10年くらい前に父と来たことがあったが、その時もあまり身を入れて見学していなかったせいか、当時の印象が薄く、城内の風景が目新しく感じたことは覚えている。が、それ以外はあまり記憶がない。
天守閣の一番上まで登ったのだろうか。。。
やっぱりイマイチ気分が乗らない。もう早く名古屋を離れたくて、城の見学を終えたらそのまま帰路に就くことにした。
諏訪・菅野温泉:
帰り道の渋滞情報を見ると、ぼちぼちUターンラッシュが始まっているのか、所々渋滞の表示になっていた。
そこで中央道経由で帰ろうかと思ったのだが、中央道は昨日まで雪によるチェーン規制が出ていたらしい。今の所規制は解除されているので、そのまま走れると思うが、万一また降り出したら進退窮まるかもしれない。
少し悩んだが、渋滞で悶々とさせられるよりはいいや、と言うことで中央道経由に進路を定めた。
幸い残雪や凍結などもなく、順調に諏訪まで戻ってきた。
と、この辺で日が暮れてしまった。この先路面凍結などが怖かったので、諏訪で一泊して明日東京に戻ることにした。
昨晩、風呂にも入らずに寝てしまったので、諏訪の温泉で色々洗い流したいと思い、駅で情報収集。教えてもらったのが、街中にある菅野(すげの)温泉という共同浴場。諏訪の街中には何カ所かこうした共同浴場があるらしい。
貰った地図を頼りに菅野温泉を目指すが、なかなか見つからなかった。テレビのレポーターのように、「えーと、確かこの辺にある筈なんだけど。。」なんて言いながら付近を2度3度うろついていたら、ようやく菅野温泉と書かれた小さな看板を見つけた。
その看板が示す先は建物の内廊下のようなうす暗い通路。こんな所入ってよいのだろうか、と思いながら入り込んでみたら、建物の奥の方に入口があった。
何となく、銭湯のような雰囲気の建物を想像していたので、その先入観に騙されてしまった。
見てのとおり観光客向けの温泉ではない。完全に地元の人向けの浴場なので、設備などはあまり充実してない。昔ながらの銭湯のような風情の温泉で、シャワーもないので、地元の老人たちはその辺に直に座り込んで、ケロリンの桶に湯舟のお湯を汲んでざばざばと体を流していた。
これは絶対にいい湯に違いない!
温度も予想どおりかなり熱めのお湯だった。動かないで!と思わず声に出したくなるようなお湯に浸かること2分。もう限界w
だが、体は充分温まった。そして自律神経も回復したのか、昨晩以来のどんよりとした気分はすっかり落ち着いた。
風呂を出てから寝るまでずっと体はポカポカで、素晴らしい名湯だった。
寝床は諏訪湖SAである。まぁ、ここしかないよね。
芯から温まったせいで、健やかな眠りを得ることが出来た。
2005/01/04
そして翌日。諏訪の街は雪景色だったが、降雪はなく、順調に東京まで帰宅し、初の関西方面遠征旅行は無事に、本当に無事に終えることが出来た。
無事帰ってくることが出来て本当に良かった。
(おわり)