広島・長野【1】(1995/08/09~08/11)
前回の大遠征から早4年。その間、鉄道趣味については封印していたわけだが、それ以前に殆ど遠出をしなかった。
そのまま高校を卒業して社会人になった。自分は社会人になると同時に親元を離れたので、決して余裕のある生活が送れていた訳ではなかったが、仕事の息抜きもかねて久しぶりに遠出したいな、と思っていたところに、丁度中学高校と仲の良かった後輩のKが夏休みで暇そうにしていた。じゃあ旅行でも行くかと声をかけたら行こう行こうと盛り上がった。
どこへ行こうかという計画をする中で、前回の大遠征と同様のルートで回ることを提案したら、それで行こう、と話がトントン拍子にまとまり、気ままな2人旅をすることになった。
Kは普段遠出をすることが殆どない人間なので、もっぱら自分がガイドを務めなければならない。かといって自分だってどこでも自由に行けるほど旅慣れている訳ではない。なので、ガイドしやすい前回同様のコースとした次第。
それが一番の理由ではあるのだが、もう一つ、この年の年明け早々に神戸を襲ったあの阪神淡路大震災のその後の様子を見てみたいと思ったからでもある。
旅行の時点で震災から半年ほどが過ぎていたが、鉄道は概ね復旧してきているものの、市街地の復興はまだまだこれから、と言った感じであるらしい。本音を言えば、怖いもの見たさ的野次馬根性で神戸市内のどこかの駅で下車して街中を歩いてみたいという思いも無くはなかったが、人々が明日をも知れぬ不安に明け暮れている街を物見遊山気分で散策する度胸なんてなかった。自分に出来ることはせいぜい、電車の車窓からその様子を見るくらいのものだと思うが、それでも一度この目で実際に見てみたかったのだ。
当時はまだ思春期の気恥ずかしさのようなものも残っていたので、撮り鉄趣味を全面的に再開させるだけの開き直りもなければ、旅の恥はかき捨て的にはしゃぐなんてこともなく、終わってみればなんかのっぺりとしたツアーになってしまった。
この旅行には数年前に親に買って貰ったよく分からないメーカーの手巻き式コンパクトカメラを持参した。このカメラは出来が悪く画質はひどいものだった。なので、今回の旅行で撮影した画像も、まぁひどい写真ばかりだ。
なので写真は少なめなのだが、思い出話と思ってお付き合いいただきたい。
大垣夜行と青春18きっぷ:
1995/08/09~08/10
自分は安月給で金がないしKも高校生だから自分の稼ぎがない。なので貧乏旅行である。出来るだけお金をかけずに移動するため青春18きっぷを使った鈍行の旅をしゃれこむことにした。
青春18きっぷは全国のJR線の普通電車、快速電車が1日乗り降り自由という切符が5枚つづりになって発売されている。利用者が指定されているわけではないので、それを1人で5回使うもよし、5人で1日の旅に出るもよし、と大変使い勝手がよい。
全部で11000円なので1枚あたり2200円。1日2200円でJRの線路が続く限りどこまででも行ける夢のような切符なのである。
初手はもちろん大垣夜行しかないだろう。切符は終日有効なので始発の時間から終電の時間まで使えるわけだが、通常始発と言えば早くても4時ごろからとなる。だが大垣夜行は23時過ぎに出発する列車で、夜通し走行して岐阜県の大垣まで運んでくれる。つまり0時から使い始めることになるので、その日の終電まで丸1日の間使うことができる。つまりその分遠くまで行けるということである。お得やわー。
ただし注意点がある。この列車が東京を出発するのが日をまたぐ直前なので、初日に青春18きっぷで入場してしまうと僅か30分足らずで1枚が使用済みになってしまう。なので駅へ入場する際は券売機で日付をまたいだ直後の停車駅(横浜だったかな)までの切符を購入して入場し、車内でその切符と青春18きっぷの1枚目を見せて使うのがお約束。
この列車は上記理由により青春18きっぷ発売期間になるととにかく混雑する。だが自由席オンリーなので座席は早い者勝ちだ。それを見越して駅には1時間以上前に到着した。幸いまだ順番待ちはそれほどでもなかったので適当なところに並ぶ。
その後続々と乗客がホームに到着し、いつの間にか長い行列が出来ていた。写真には撮影しなかったのだがやってきた列車は由緒正しき165系。扉が開きぞろぞろと乗り込み程よき所に席を確保。瞬く間に席が埋まり満員御礼である。指定席の列車ではないため座れなくても乗車することは可能。なので座席にありつけず床に新聞紙を拡げて座り込んでいる人もいる。中国か。
背もたれは垂直に立っている。リクライニングなんてVIPな装備が付いている訳がない。ボックスシートの目の前には別の乗客がいるので腰砕けになることもできない。窮屈さを感じつつ出発。
暫くはKと他愛もない会話をして車窓を眺めながら過ごす。やがて車内検札が回ってきて切符を清算する。0時を回ったらしい。Kは程なく眠ってしまったが自分は暫く車窓を眺め続けていた。多分静岡県に入った辺りで自分も眠りに落ちた。
だがお世辞にも快適とは言えない座席なのでろくすっぽ眠れない。しかも夜行と言っても普通列車(快速程度に途中駅の通過もあるが)なので、停まる都度起こされる。よっぽど寝つきがいい人でないとろくに仮眠もとれない。辛いがそういう列車だ。
そうして殆ど一睡もできないまま大垣に到着するのである。
広島へ:
大垣では、これも大垣夜行の風物詩である大垣ダッシュを見ることが出来た。
大垣ダッシュというは青春18きっぷで旅をする人によく見られる生態だ。折角丸一日乗り放題なのだからということで、旅の目的地へ向かうためではなくどこまで遠くに行けるかというチャレンジをするために乗車する人が結構いる。そういう人たちは何が何でも次の列車に乗らないとならないのだが、大垣で接続する次の列車は乗り継ぎが数分しかないうえに、別のホームに停まるので階段の上り下りが必要になる。モタモタと歩いていたら乗り遅れてしまうし座席が確保できなくなるので一斉にダッシュをする、という訳だ。
本日の自分らの目的地は広島である。広島もまぁまぁ遠い場所ではあるがそこまで急ぐ必要はない。体も鈍ってダルいので、その輪には加わらず1本次の列車で行くことにした。その方が空いてるしね。
途中、神戸市内を列車で通過した。やはり下車する度胸はなかったので列車の車窓から街の風景を眺めるに留めた。見えたのは震災の瓦礫はあらかた片づけられてがらんどうの空き地がそこかしこに広がっている街だった。以前の姿を見ている訳ではないので比較が出来ず、そこに以前とは異なる景色があったのかどうかはお上りさんの自分には判別できなかった。列車は高架を走行しており車窓から見える風景が遠かったせいかあまりリアルさを感じないものだった。
自分はあの地震を経験した人間ではなく、もとより感受性の鈍い人間なのでそうした空き地を見ても胸に迫るものはなかった。こういう風になっているんだな、というようなことを思いながら眺めているうちに気が付いたら神戸の市街地を通り過ぎていた。
途中何本か乗り継ぎ、夕暮れ間近に広島に着いたんだったかな。まぁ、ともかく広島入り完了。宿は事前に手配しておいた宿だったと記憶している。そこにチェックインして荷物を置いてから夕食を求めて市内へと繰り出した。
広島と言えばお好み焼きだよね、と言ってブラブラと歩くが、そのうち原爆ドームに着いてしまった。
まぁ、ごらんの通り夕方である。レンズがピンホールカメラ並みに小さいので、暗い所で写すと悲惨なものだった。
原爆ドームはチラ見だけして更にお店を探す。当時はスマホでインターネットが出来るような時代じゃなかったから自分の勘だけが頼り。だけどその勘はろくに養っていないのでアテにならないw
どこだか忘れたが適当な店に入って食べた。味は普通だった。
宮島と原爆ドーム:
1995/08/11
ホテルをチェックアウトして、まずは宮島へ向かった。
鳥居もなんだか東南アジアのどこかみたいな感じに写る。暗い所は話にならないが明るい所もイマイチなカメラだった。。。
宮島口にいつも停まっている2000形を写して、戻りがけにもう一度原爆ドームを見に行った。
昨日はお好み焼きの店を探していたら偶然辿り着いてしまった訳だが、暗くて見学どころではなかったのでもう一度明るい所で見てみよう、という話だったと思う。
奇妙な果実?:
そして広島に戻って各駅停車の旅2日目が始まった。この日は京都までの移動である。
当時、自分とKはトマソン的な変なものを探してそれを品評する遊びがブームになっていた。品評と言ってもこういうものを評するウンチクがあるわけでもないし、みうらじゅん氏のような表現のセンスがあったわけでもないので、決して思わず膝を打つような上手な評価が出来たわけではない。単に変なものを見つけてゲラゲラ笑っている程度の物だった。
この日はロクな写真を撮影していないのだが、その割にそういうものの写真は撮影していた。
たとえばこれである。分かるだろうか。
奥に標語が書かれている看板があるのだが、「暴力に泣いているよりたたかう勇気」と書かれている。
そんなもん標語に書かれたって、たたかう勇気なんか誰でも持てるもんじゃねー!というツッコミを入れたかったのだ。誰に?w
そしてこれ。こちらは分かるだろうか。
看板の左端に「サル大会」と書かれている。ユニバーサルとかリハーサルといった文字が書かれていたのだと思うが、剥がれてしまっている。まぁ、それだけだ。当時はこんなものが面白いと思っていたようだ。
そんなこんなで京都に到着。夕方くらいには早々に宿に入った気がする。宿の名前は失念してしまったが、京都から大津方向に線路沿いを歩いて行った記憶がある。
それから夕食時に街中を散策したような気がするんだけど、はっきりとした記憶がない。