広島・高松遠征【1】(1991/05/02)

中学3年のGWに父に頼み込んで撮り鉄の遠征に行ってきた。つい2週間ほど前に修学旅行に行ってきたばかりだが、こちらはこちらで修学旅行の前から計画を進めていたものだ。
行先は広島。なぜ広島を目的地としたかは忘れてしまったが、広島電鉄の写真が撮りたかったのだと思う。

広島までの移動は寝台特急に乗ることにした。既に行きの往復乗車券と寝台券、特急券は手配を済ませた。それから現地の行動費として父から4万円を受け取った。だが、出発日までについ少し使ってしまって、手元には3万円しか残っていない。目先の快楽より、旅行時の快楽を優先することが出来なかった。というか3万円という行動費の中には宿泊費や飲食代も含まれているし、往復乗車券の経路から外れるルートの電車賃も含まれている。そうした物を差し引くとほぼ手元には残らない計算となる。つまり、現地で何か珍しいグッズがあっても買うことができない。
もちろん、出発前に手を付けたなんて父には口が裂けても言えなかったので、その3万円でどうにかやりくりするしかない。果たして。

 

ちなみに今回の遠征ではもう一つ隠れたミッションを帯びることになった。修学旅行から帰ってきた後、学校で班ごとに旅行中に見聞きしたものを発表する資料を作ることになったのだが、経路上で乗車したバスの写真を誰も撮っていなかったので、その写真が必要になった。そこへ自分が関西方面へ遠征することになったので、ついでに京都の市バスの写真を撮影してこい、となった。

 


1991/05/02

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学校が終わって出発の準備をする。東京から乗車する寝台列車は18:02発の特急富士。あまり時間の余裕がなかったがさっさと準備をして家を出発した。
東京駅で列車の撮影をしていないところを見ると、乗車はギリギリだったようだ。

確保した寝台はB寝台個室ソロである。寝台列車のB寝台には開放式と個室タイプがあるのだが、開放式と1人用個室のソロは寝台料金が一緒だった。個室の方が席数が少ないうえに人気が高いので、大抵真っ先に売れてしまうのだが、今回は首尾よく確保することが出来た。

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ソロの車両は自動ドアで仕切られていて、他の区画とは違うんだぞ、と主張している(気がするw)。

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自動ドアの先は片側が車窓、もう片側が個室のドアというレイアウト。つまり線路と寝台が直角になっているタイプである。個室は上下2段に分かれているが、入口はすべて横並びになっている。上段の個室は部屋に入った後に階段を登る方式になっている。自分が手配した部屋は上段の部屋だ。少しでも良い景色が見えるように、と思って窓口で上段を指定したのだが、まぁ夜行列車なわけで、しかも夜明け早々に広島で下車するので、景色なんかロクに見られない。そういうことを考えられない子供だった。

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個室内はこんな感じである。
ベッドの他に簡易テーブルと鏡と荷物台がある。また、ヘッドスペースの近くにラジオもある。
窓は屋根に沿ってカーブしたガラスだが自室専用になっているので、外の景色も見放題である。

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入口ドアの方向を見るとこんな感じで、4段くらいの階段を登ることになる。階段部分は実質的にデッドスペースなので、その分足元が狭くなるが、個人的にはハイベッドみたいで悪くないなと思った。

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壁面に設置されたラジオのコントロールユニットと読書灯。個室なので、他の乗客に気兼ねせずラジオを聴きながらの旅が楽しめる。ビジネスホテルなどと比べたら最低限の設備しかないが、開放寝台と比べたら専有面積も大きいし、プライバシーもしっかり守られる。これだけ装備が違うのだから、料金が違っていても何らおかしくはないが、これで同じ値段で泊れるのである。何たるボーナス物件。というか、そういう所で料金を区別しない辺りが、JRの柔軟性のなさを物語っている気がする。

定刻で出発。客車列車はモーターが付いていないので突然動き始める。普段電車やディーゼルカーしか乗らないので、たまの客車列車で味わうこの感触は新鮮だ。

車窓を見つつ荷物を整理したりしていたら、検札が回ってきた。切符を拝見というので、切符を取り出そうとしたら・・・ない!
寝台券・特急券はすぐに出てきたのだが、乗車券が見つからない。どこ行った?

手持ちの荷物をあちこち探すが、いくら探しても見つからない。そうこうするうちに車掌がしびれを切らせて、とりあえず車内補充券で一度仮払いをしてください、という。
確か、もし切符が見つかったら駅で払い戻ししてくれ、って話だったと思う。

広島まで1万数千円、大金である。切符が見つからなかったらこの先の旅の行程に影響が出るどころの話ではない。手持ち資金が早々に尽きて、すぐに引き返すことになる。だが、このままでは次の駅で無賃乗車でつまみ出されてしまう。仕方なしに支払って補充券を発行してもらう。

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発行された車内補充券。
車掌が部屋を去ってから、大慌てで探した。探して探して探しまくったら、腰に巻いていたポシェットの中から切符が出てきた。なんでここにあることを思い出せなかったのだろうか。

この一件があって以降、特急列車に乗るときは不安で何度も切符を確認する癖がついてしまった。。。まぁ、とにかく見つかってよかった。

 

それから自席で夕食を済ませて、そのあと列車内の写真の撮影に出かけた。GW中日からの出発だったせいか思ったよりは混雑していなかった。

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食堂車

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ラウンジカー
いずれも営業終了していたのか、人の姿はなかった。

食堂車のメニューはその辺の店で食べるのと比べたらだいぶ高価だった。自分にはどうしたって手が出ない。
将来ここで食事ができるような身分になりたいな、と思っていたが、その思いは果たせないまま、寝台列車自体が絶滅危惧種になってしまった。

個室に戻ったらあとはひたすら車窓を眺めていた。夜の時間の楽しみ方と言えばテレビをダラダラ見るくらいしか知らなかったので、テレビもない寝台列車ではやることもない。まぁ、暗いながらも駅名標を頑張って読んで、現在地を把握したりするのは、どんどん遠い場所に進んでいる感じがして楽しかったが。

結構遅い時間まで車窓を眺めていたが、どこかで眠ってしまったらしく、広島到着のアナウンスで起こされた。

Posted by gen_charly