金沢へ【2】(2006/02/25~02/26)

東尋坊


なんか全体的にユルい雰囲気の吉崎御坊を後にし、次に向かったのが東尋坊だった。
サスペンスドラマに登場する数多の人物を海の藻屑にしてきたあの東尋坊である。福井にそういう景勝地があるのは知っていたが、行ったことはなかった。

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こちらが東尋坊。遊歩道が張り巡らされていたので連れてきた犬と一緒に散策した。
東尋坊は落ちたらまず助からないような荒々しい絶壁が続く海岸として知られている。故に犯罪の証拠隠滅や、犯人の贖罪のための身投げなどの舞台として、度々登場する場所となっている。

確かに落ちたら助からなさそうだな、と思わせる場所ではあるのだが、昨年訪問した和歌山の三段壁の方がシャレになっていない度が遥かに高かった。もちろんどちらも危険が危ない場所であることには違いないが、ここは三段壁と比べるとなんか穏やかな雰囲気をまとっているようにさえ見える。多分陽気のせいもあるのだと思うが。大したことがなさそうに見えてしまいがちだが危ない場所だからな。

そう言えば、なぜサスペンスドラマは和歌山の三段壁ではなく東尋坊で人を殺したくなるのだろうか。三段壁の方がより確実に目的を果たせそうな気がするのだが。・・・いや、別に確実に目的が果たせるかどうか重要ではないのだろう。落ちました→死にました、の印象を視聴者に説明せずとも共有できるのであれば、プールの飛び込み台だって良い訳だ。

やっぱりそれは東尋坊が北陸にあるが故なのだろう。北陸の冬のどんよりとした空模様は、陰鬱としたストーリーの舞台アイテムとして欠かせない。三段壁の方が致死率は高そうだが、南紀と聞いただけで楽天的なムードが漂ってしまい、ストーリーの舞台設定を壊してしまう気がする。

ちなみにドラマの中で人を殺害する場合、その凶器としてスポンサーからクレームの入りそうなものは使うことが出来ないので、消去法で誰からも文句のでないこういう死に方になってしまう、という話をどこかで聞いた。だが、クレームは入らないかもしれないが、こうしたドラマの存在が東尋坊も三段壁も自殺の名所という汚名を着せられる遠因にはなっていると思う。ニワトリと卵の話かもしれないが。そう考えたらとんだとばっちりである。。。

ぐるりと周遊し終えて帰りがけ、駐車場の近くに露店を広げてカニを売っている老婆がいた。お父さんはこういう人たちに気軽に声をかけるタイプの人なので、すかさず近寄って美味いの?と話しかけた。

その老婆は、うまいからこうて(買って)って~、と満面の笑みで売り込んできた。だがカニである、しかも福井名産の越前ガニ。露店なのでそこいらの市場で買うよりはお買い得だが、それでも購入を躊躇うような値札が付いていた。

発泡スチロールのトロ箱の中には、3~4杯のカニが納められていた。どれも大きく立派なもので、露店といっても物はいい加減なものではない。

お父さんはそれから少しの間、それらのカニたちを吟味して、ほんならそれ1ケースちょうだい、と言い放った。え、1ケース?

冷やかしているだけなのかと思ったので、買うと宣言したことも意外だったが、仮に買うとしてもせいぜい1杯か2杯買って今晩の食卓に上がるのだろうな、くらいに思っていたので、ケース買いすると聞いて動揺した。
2杯くらいまでなら、来客へのもてなしとしてあり得る買い方だし、ウチらもカニにあり付けて嬉しー!、となるのだが、1ケースも買われてしまうと、なんか無理させているのではないかと心配になって、手放しで喜べなかったのだ。

まぁ、そんな風に思ってしまう所が貧乏性なのかもしれないが。

お父さんは、目を白黒させながら事の成り行きを見守る我々の視線に気づいていないかのように、トロ箱を抱えて悠然と車のほうへ戻って行った。

その後、今度はお袋のリクエストで水仙の里公園へ水仙を見に行くことになった。
越前海岸沿いの国道は険しい海岸線が続く難所だが、今日は天気も晴れ渡っていて日差しを浴びながらの快適なドライブだった。
そう言えば今回、金沢に着いてから一度も雪を見ていない。これだったらマイカーで来てもよかったか。いや、いいのだ。1度くらい寝台特急北陸に乗ってみたかったのだから。

水仙は1月中旬位が見ごろらしい。見ごろをひと月ばかり過ぎているのでもしかしたらもう遅いかもしれないけど、まだ見られるかもしれないから見に行きたい、と言うお袋のたってのリクエストだったが、残念ながらお袋の見立てどおり見頃を過ぎてしまっていて、園内の水仙はまばらな状態だった。

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気が付くと時間は13時を回っていた。そろそろ昼ごはんにしようかと言うことで、水仙の里からいったん引き返して、樽海という店に入った。

この店は海岸沿いにあって海鮮がお薦めの店だった。めいめい、刺身やら焼き魚やらを注文したが、どれも美味かった。

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店の敷地の道向かいには滝が流れ落ちていた。
この滝は足見滝といい、雪解けの季節だからか豊富な水量で豪快に流れ落ちて、周囲に滝の音を響き渡らせていた。

永平寺


昼食を済ませたら本日最後の観光へ。向かった先は福井随一の名刹である永平寺
再び車を福井方面へと走らせ、日が少し傾き始めた頃に到着。

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この当時、自分は写真を撮る人を撮るのがマイブームだった。記念撮影でポーズを決めている人とそれを撮影する人を客観的に見ているとなんかほのぼのして好きだったのだ。

それはさておきようやく雪が見えた。と言っても除雪されてだいぶ汚れた雪だが。
誰が言ったかは知らないが、永平寺に行くなら冬なのだそうだ。今は綺麗に除雪されているが、ここが雪に覆われている姿を想像してみると、それは確かに見ごたえのある風景となりそうだ。そういうタイミングでも訪問してみたいものだ。

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除雪された雪であっても、こうしてみるとなかなかの趣がある。この景色を見ていると寒い早朝に修行に励むお坊さんの姿が想起される。
構図も何も考えずに撮影した写真なので、その風情が伝わりにくいと思うが。。。

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永平寺は本堂の中も見学できる。順路に沿って建物の中を歩いていたら、通路の向こうから沢山のお坊さんが列をなしてこちらに向かって歩いてくるのが見えた。彼らはまっすぐ一列に連なり、誰一人として隊列を崩すような人はいない。

その隊列美に感心しつつ会釈をしてすれ違う。それから更に順路を歩いていくと、ロの字型の建物を一周したらしく、元の場所に戻って来た。すると、さきほどすれ違ったお坊さんたちが広間に集合してお経を唱えているところだった。
その直後に別の集団がその部屋へぞろぞろと入って行った。お袋が見学してもいいですか?とそのお坊さんの中の1人に質問する。声をかけられたお坊さんは一瞬戸惑ったような表情をしたが、いいですよ、と言ってくれたので、部屋の外からしばし見学させてもらった。

部屋の中には4~50人くらいの坊主の卵が声を揃え一糸乱れぬ調子で読経をしていた。その光景は気迫に満ちていて圧倒されそうになった。

大人の味


これで今回のお出かけはおしまい。金沢の家に戻って夕食となった。
ほどなく仕事から帰って来た弟は、自分のバイト先の店の寿司を買ってきてくれた。きのどくな。

そして、お父さんが大人買いした件の越前ガニも食卓に並んだ。こんな豪勢な食卓、そうそうお目にかかれない。
寿司は持ち帰り寿司とは思えない新鮮さで身がプリプリとしている。大きな切り身で握られていて、食べ応えも充分。
新鮮な魚のことを富山の辺りでは「きときと」と表現するが、金沢ではあまり言わないそうだ。

そして、カニはもう言うまでもない。越前ガニである。カニの身をほじくりながら美味い美味いと何度も連呼しながら食べた。

さっきからお酒をちびりちびりとやっていたお父さんが、そんな2人を見て、

「身を皿に出してな、ミソと混ぜて、ほんで食べてみ」

というアドバイスをくれた。言われたとおりにやってみたら、これがまた美味いのなんのって。

カニミソはこれまで食わず嫌いで、出されてもまず手を付けることはなかったのだが、折角のおススメだからと勇気を出して食べてみたら、この旨さである。この時自分はカニミソの美味さを知った。

またひとつ大人の味を知ってしまったようだw

弟は別のテーブルに1人腰掛け、寿司に手を付けることもなくビールを飲み始めた。相変わらずよそよそしい態度で、折角紹介しに来たのに、と思わなくもなかったが、まぁ、昔からこういう男だ。

だが、酔いも回って来るにつれ、だんだんカミさんとも打ち解けてきたようで、いつの間にか饒舌に話している姿があった。
どうやら、カミさんのことも受け入れて貰えたようで一安心。

カミさんが場に馴染んでくるのを感じたところでちょっと一服。流石に家の中で吸う訳にはいかなかったので、玄関先でタバコをくゆらせていたのだが、そこへお父さんがひょこっと外に出てきて、車のポケットから何やら取り出す。よく見るとタバコだ。そこから1本取り出しおもむろに火を点けた。

お父さんは今まで喫煙しているところを見たことがなかったので、非喫煙者だと思っていた。それだけに唐突にタバコをふかし始める姿に驚く。小声で、あれ?タバコ吸うんですか?と聞くと、黙ったまま人差し指を口元に立てて、ニッと笑みを浮かべた。そのまま1口か2口吸い込んてすぐに火を消し、ま、こんなもんですわ、と満足げな顔で言った。

それからタバコを車に戻して、少し散歩いくぞ、と言って歩きだした。

お父さんはいつの間にか酔いどれていた。歩きながらとつとつと話しかけてくるが、ろれつが回ってないのか、方言が強くて聞き取れていないのか、何を言っているのかよく分からなかった。分からないからと言って聞き返す雰囲気でもなかったので、適当に相槌を打って適当に話を振り返したりしたが、会話は全くかみ合っていなかったような気がする。

酔い醒ましとタバコのにおい消しを兼ねた散歩は10分ほどだった。家の近くをぶらぶらと歩いて、何事も無かったかのように帰宅。

食事を済ませてまったりとテレビを見ているとき、お袋から岩手にも挨拶に行きなさい、といわれた。
岩手か、だいぶ長いこと行ってないな。特にお袋が金沢に来てからは全く顔を出していない。冒頭のリンク先には書いたが、自分がお袋と呼んでいるこの人は実は生みの親ではない。
お袋は一時であっても共に暮らした人なので、自分に対するひとかたの情があるものと信じたいが、岩手にいるじいちゃん、ばあちゃん、親戚や従弟たちからしたら、自分はよそのウチの子供、みたいに見えるはずだ。

そこへ挨拶に行っても半笑いで応対されて終わりになるのではないか、そんな風に考えると、どうしても岩手の地を再び踏むことに躊躇いが出てしまう。なので包み隠さずその思いを伝えた。だが、

「みんなそういう風には思っていないから。岩手のみんなはずーっと昔から自分に会いたいって言っているの。だから不安がらずに行ってきなさい。」

と、そう言って背中を押してくれた。それならちゃんと挨拶はしておかないと、将来に禍根を残すかもしれない。
後日岩手へ行くことを約束した。

その晩のお風呂は昆布風呂だった。昆布を風呂に入れるなんて聞いたことがない。その昆布はお父さんが前に山形だか秋田だかに出かけた際に海岸で拾ってきたものだそうだ。

既にお袋一家は皆、昆布風呂は経験済みで、いいお湯だよ、と熱を持って勧められた。
果たして大きな棚板くらいの大きさの昆布が浮かぶその風呂に浸かってみたら、確かにとろみのあるまろやかなお湯だった。恐らくいいダシが出ていたことだろう。
風呂から上がってもずっと体がぽかぽかで、おススメのとおり最高な風呂だった。

ぜひ家でも試したいと思うのだが、昆布は買うと高いのでとても風呂に浮かべられない。海岸で見つけたらぜひ拾い集めて風呂に浮かべてみたいところなのだが、未だにその望みは叶えられていない。

帰京


2006/02/26

昆布風呂でいつまでも体がぽかぽかだったので、朝まで熟睡だった。
今日はもう東京へ戻らなければならない。居心地が良いのでもっとゆっくりしたいところだが、スケジュールの都合もあるので仕方なし。

お父さんと弟は朝から用事があって出かけて行った。とりあえずお袋と3人のんびり朝食を済ませて、お袋の運転でお袋や弟の職場を紹介して貰ったり、市内で買い物をしたりして過ごした。

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帰りの便は18時過ぎのはくたか号。と言っても、まだ当時は北陸新幹線の開業前だったので、北越急行を経由して越後湯沢へ向かう在来線特急のはくたか号である。

夕方に地元の最寄り駅まで送って貰い、今度はゆっくり来るよ、と言って解散となった。

カミさんにとって今回のイベントは、旦那の親族への初顔合わせと言う気疲れするイベントだったのではないかと思う。カミさんには自分の生い立ちはちゃんと説明しているが、彼女は至って普通の家庭で育った娘なので、恐らく実感のようなものは沸いていないと思う。そうした中で距離感が微妙な家への挨拶をしに行かなければならないのだから、どのような態度で接するのが良いのか色々悩んだことだろう。

それを労おうと帰りの列車の中で2日間ご苦労様、と伝えたが、特に気疲れすることもなく過ごせた、と言っていた。まずは一安心。

それよりも金沢弁の語尾が上がる独特なイントネーションが耳に残って離れないと、目を輝かせながら話し出した。
確かに、金沢弁のイントネーションの付け方は独特で、一度聞いたら暫く耳に残ってしまうほどだ。でも東尋坊でもカニでもなく、そこなのか、と笑ってしまった。


その年の秋ごろにお袋から連絡があり、お父さんが肺がんを患ったことを知った。ステージ4で楽観視できない状況らしい。
状況は逐一聞いていたが、一進一退でそのまま年越しを迎えた。

お袋はお父さんの看病に明け暮れていたが、2月に入って今度はお袋が入院となったことを弟から知らされた。連日の看病が祟ったのか、顔にできものが出来てしまい、薬剤で治療していたのだが治癒しないので緊急手術を受けることになったらしい。

その連絡を受け、いてもたってもいられなくなって、再び金沢へ向かった。
お袋の手術は無事成功して、暫く病室で休養したことが功を奏したのか、自分が病室を訪ねた時には思ったよりも顔色が良かったのでまずは一安心。

その足で今度はお父さんの入院する病院へ向かい、弟のあとに続いて病室に入った。
そこにはげっそりとやせ細って別人のようになってしまったお父さんがベッドに臥せっていた。

医療用の強い鎮痛剤を打たれているらしく、意識はあるものの受け答えは曖昧な感じだった。その様子に状況が芳しくはないことはすぐに理解できた。衝動的にここまで来てしまったが、自分はこれまで身近で重い病気の闘病に喘いでいる人の見舞いに行ったことがなく、こういう場面でどのような声をかければよいのか戸惑ってしまった。

恐らく深刻な顔で接しない方が良いだろう、と考えて努めて明るく振舞った。一頻り会話したあと、また来るからね、と伝えて病室を後にした。

それから1週間後にお父さんが息を引き取ったという連絡があった。その日は、今回の旅行からもうあと数日で丸一年という日だった。

覚悟はしていたけど、やるせない思いが胸に去来した。
前回あんなに元気だったのに、まさかその時が元気な姿を見る最後の機会になるとは微塵も思わなかった。
カミさんと2人、これからも時々訪ねて色々話を聞かせて貰おうと思っていたのだが、もうそれも叶わぬ望みとなってしまった。

また会えるからいいや、ではなく、一期一会は大事にしなければならないのだ、と強く思った。

(おわり)

Posted by gen_charly