沖縄離島探訪【12】(2006/11/24)

イーフビーチホテル:


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空港からホテルまでは20分ほどの道のりだった。宿泊先はイーフビーチホテルという名のリゾートホテルだ。その名のとおり島の東側にあるイーフビーチという浜に面して建っている。

今回の旅行で宿泊した宿を振り返ると民宿かビジネスホテルのみだ。沖縄と言えば普通リゾートを満喫するために訪問する場所だ。そのムードを盛り上げるためにもリゾートホテルみたいな宿に泊るべきだとか言われたら返す言葉もないが、我々は民宿を渡り歩くツアーになっている。自分はもちろんカミさんも宿にお金をかけることを良しとしないので、こんな一風変わったツアーでも何の問題もなし。普段車中泊で出かけているような人間だから布団の上で寝られるだけで御の字。

この宿は久米島へのツアーとセットで手配された物なので自ら探して選んだものではないのだが、今回の旅行で唯一のリゾートホテルである。寝られれば御の字というポリシーではあるが、棚ボタは嫌いではないwどんな夜が過ごせるか楽しみ。

建物は昭和か平成の初頭辺りに建てられたのではないかという、ややレトロな印象の外観である。外観を見てちょっとした違和感があった。
それは建物の一番高い所に掲げられたホテルのロゴマークである。スペルが「EEF」となっている。これだと「エエフ」やないかい。それはさておき。

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しかしなんだろうねカミさんの格好。どう贔屓目に見ても沖縄に行く人の格好ではない。まして新婚旅行の人にも見えない。どう見ても登山者だ。

今回の旅行は5泊6日の長期旅行になるので、着替えやらなにやら荷物がかさばる。普通ならそれらをスーツケースに詰め込んでガラガラと引きずって歩くのだろうが、あちこち歩くのにガラガラ引っ張っていくのは煩わしいし、飛行機に乗る時に預けると受け取りに時間がかかる。
それを嫌ってあえてリュックで旅をすることにしたのだ。これならあちこち歩くような場面でも背負うだけなので手軽だ。

ただ、カミさんは寒がりなので今日くらいの気温(25度くらい)でも長袖を羽織る。オシャレなワンピースにこのリュックはどう考えても似合わないので、それなら身動きのとりやすい登山ルックで行こう、となったのだ。

まぁ合理的と言えば合理的なんだが、やっぱり場違い感が拭えない。。。


チェックインを済ませて部屋に入ると、ツインのベッドと大きなソファーが置かれた広い部屋だった。窓の外にはイーフビーチと青い海、非の打ちどころのないリゾートホテルである。3泊くらいしてのんびりしたいところだが、そうもいっていられないのがサラリーマンの悲しい定め。。。

それから少ししたらツアー業者から連絡があった。今から迎えに行くというのでホテル前の待ち合わせ場所に移動。もう2時間経ったのか。
待ち合わせ場所で10分くらい待っていたら業者のミニバンが我々の前に停車した。挨拶もそこそこに車に乗り込み港に移動。港まではものの3分ほどの道のりだった。歩いた方が早かったんじゃないだろうか。。。


はての浜ツアー(オーハ島へ):


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はての浜へ行くツアーをやっている業者は複数あるのだが、今回申し込んだ業者はオプションで奥武端島(以下オーハ島)への立ち寄りをしてくれるというので選んだ業者である。

オーハ島というのは上空からの写真で紹介したとおり久米島の沖合に浮かぶ離島だ。有人島だが定期航路がないので、外部の人間はこのようなツアーに申し込むかチャーター船で向かうしか上陸の方法がない。詳細は後述するが、自分はこの島にも非常に興味を持っていた。なのでオーハ島へ立ち寄ってくれる業者がマストだったという次第。

立ち寄りの希望は手続き時に伝えるよう言われていたので、窓口でその旨を伝える。窓口のスタッフは無表情で承ってくれたが、カミさんの格好を見てオーハ島探訪をメインで考えている観光客だと思われたかもしれない。

今回のツアーは昼食が付いており窓口で弁当を渡された。と言っても昼食タイムが設定されている訳ではないので、好きな時に食べてよいとのこと。ツアーはまずオーハ島に立ち寄ってそれからはての浜へと行く段取りだそうだ。今回の便には我々の他にもう一組乗船するがその人たちはオーハ島では下船しないので、我々を降ろしたら一旦はての浜に彼らを送り届けてそれから戻って来るとのこと。

島での滞在時間は1時間程度とのことである。オーハ島は小ぢんまりとした島なので1時間もの滞在時間が必要かなという気もしたが、まぁ時間が余ったら弁当でも食べながらお迎えを待つことにしよう。


事務所の前で暫く待っていたら港に入港してきたクルーザーが目の前の岸壁に横付けされた。乗り込んだのは我々と上述のもう一組。こちらも若いカップルだったが、確かにオーハ島へ行くような格好ではなかった。

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クルーザーを操る船頭はいかにもウミンチュな感じの日焼けしたおじさんだ。全員が乗り込んだことを確認し出港。

まずは我々をオーハ島に送り届けるため、オーハ島の船着き場まで移動。

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港からオーハ島まで10分ほど。やがて藪に囲まれた平たい島影が近づいてきた。これがオーハ島か。


オーハ島は久米島の沖合400mほどの所に浮かぶ周囲3キロ弱の小離島である。久米島本土とオーハ島の間に奥武(オー)島があるため、離島の離島みたいな雰囲気の島だ。

この島には4世帯6人(2006年現在)が暮らしている。逆に言うとそれしか住民がいない限界集落のような島である。
(註:2015年を最後に無人島となっているということだが、容易に渡れるせいか再び定住者がいるという話も聞く)

お隣のオー島は架橋によって陸続きとなっているが、オーハ島は橋はおろか定期船すら通っていない。なので島民たちは自前の船で本土との間を行き来している。

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流石に電気は引かれている。オー島との間の海峡に立てられた華奢な電柱によって電線が繋がっている。海中に電柱を立てられるくらいの浅瀬なので、昔は竹馬なんかを使って渡ることができたそうだ。現在は船道を通すための浚渫が行われたため一部水深が深くなっている場所があり、以前のような気軽な往来は出来なくなっている。


この島のことを知ったのはいつだったか忘れてしまったが、何かで久米島の沖合に定期船もない島で数世帯の人がつつましく暮らす島があるということを知り、そんな秘境みたいな島があるのかと衝撃を受けたのだった。
いずれ訪ねてみたいと思ったのだが、久米島ですら容易に訪問できない島なのにその離島である。しかも定期船もない。まぁ自分には無理だろうなと思っていた。

そこへきて今回のツアー業者のオーハ島立ち寄りオプションである。サイトでこれを見かけた瞬間行きたい気持ちが一気に沸騰した。
これから見られる景色はどのような物だろうかと期待に胸が膨らむ。


オーハ島の様子:


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ほどなく船はオーハ島の船着き場に接岸し我々だけが下船。島旅41番目の島となった。
船長から1時間後に迎えに来るのでその時にまでにここに戻って待っていてください、と指示があり、我々を残して出港していった。迎えに来ると分かっていても、なんかおいて行かれてしまったようなソワソワした気持ちになる。

やがてクルーザーのモーター音も聞こえなくなると、辺りは静寂に包まれた。


ここが長らく憧れていたオーハ島か。事前情報で殆ど住民はいないことは知っているが、全くひと気を感じない船着き場に立つと改めて寂しい場所だなと思った。
船着き場には小屋がひとつあるだけで他には何もない。人家らしきものも何一つ見えないので本当にここがオーハ島なのか、という疑念すら芽生える。

実は今回、島の地理情報を一切持たずに訪島している。一応事前にネットの地図は見てきたが道らしきものが一切書かれていなかった。なので自分らが上陸したのが島のどの辺りなのかとか、どこをどう進んだらどこに行けるのか、といった情報が全くない。

考えてみたらこんな観光ツアーで無遠慮に上陸した観光客が島内をウロつくことを嫌がる住民だっているかもしれない。ツアーもその辺を考慮して集落とは無関係な船着き場に我々を降ろして、何を見たいのかは知らないけど無人島っぽい所をちょろっと見てってください、みたいな建付けになっていたりするなんてこともありそうだ。


唯一、船着き場の脇から奥の方へのびるあぜ道のような細い通路が見える。その奥の様子はうかがい知れないが、とりあえずあそこを進むより他ないだろう。もしかしたら藪漕ぎを強いられるかもしれないが、自分は半袖短パンにサンダル履きといういでたちだ。島にはハブがいるという話も聞くので藪漕ぎは流石に躊躇する。あ、カミさんはそこまで考えての登山ルックだったのか!?

大した見所はないのかもしれないな、と思いつつ、意を決してその通路を進み始めた。まぁ港がある以上どこかへ続いているものだとは思うが反対側の海岸辺りに出ておしまいかもしれない。

そこまで行って昼食にしようか、なんて言いながらカミさんとずんずん進んでいくと50mばかりで景色が開けた。
周囲は藪に囲まれているが数軒の民家が見える。おお、集落だ。よく物語で山道を歩いてようやく一軒家を見つけた、なんてシーンがあるが、その時の主人公の気持ちはこんな感じだったのかな、と思った。

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1軒目のお宅はいかにも沖縄の古民家と言った佇まい。窓は開け放たれ部屋の中が丸見えである。何とも無防備だなと一瞬思ったが、考えてみたらここを訪ねる部外者など滅多にいないのだから気にする必要がないのだ。そういう意味では一見不便そうな場所だが開放的な気分で暮らせる魅力もあるなと思う。

無防備と言えば、おばあが部屋の中で昼寝しているのも丸見えだった。なぜか縁側すれすれのところで突っ伏して眠っている。そこで寝るか、という場所で寝ていたので一瞬倒れているんじゃないかと心配した。

そんなフリースタイルも人目が気にならないこういう場所だからこそだな。


更に進むと10mばかり先に次のお宅を見つけた。こちらの家はガラス戸が閉ざされていた。
道はここで途切れてその先は藪になっている。あれ、2軒しかない。周囲を見回してもこの2軒の他に家屋は見当たらない。島には4世帯があると聞いているので、他の家屋はここから見えない場所に有るのだろうか。別の船着き場からアクセスする場所なのか、はたまた藪に取り込まれてしまったのか。

ここで行きどまりだとしたら島の散策がもう終わってしまう。まだ島に上陸して100mも歩いていない。なんかあっけなさすぎるが、とはいえ藪漕ぎをしてまで探索したい訳でもない。でもまぁ島の雰囲気は何となくわかったので、ぼちぼち船着き場に戻って弁当でも食べてるか。

カミさんにそう提案したら、意外にもカミさんはまだ道を探すことを諦めていない様子だった。入って行けそうな道がないか広場の隅まで行ってくまなく探していたが、やはり道らしきものは全く見つからなかった。やっぱりこれ以上何もないんだよ。


するとカミさんが意外なことを口にした。

「そこのウチの人に聞いてみようよ。さっき人影見えたし。」

そこのウチ、とは2軒目のお宅である。だが、ここの家人は我々が敷地の前辺りで道を見失ってきょろきょろしている時に目が合った瞬間カーテンを閉められてしまった。明らかに我々を警戒している。
まぁ、それが普通である気もする。自分だって家の前を知らない人がウロウロしていたらカーテンを閉める。そんな人に突撃をかますのは流石に迷惑以外の何物でもないと思うのでカミさんの提案は却下した。

でも自分が納得しないと聞く耳を持たないのがカミさんである。案の定、

「でも、このまま帰るんじゃ勿体ないし、ダメ元で聞くだけ聞いてみよう?」

といって敷地に入っていった。大丈夫かなぁ。トラブルにならないことを祈りつつその後に続いた。

「すみませーん。」

・・・応答なし。

「すみませーん!」

そりゃあれだけ露骨に警戒しているんだもの、出てくるわけがないよな。あまりしつこいとトラブルになるかもしれないからもう諦めようよ、と言いかかったその時、、、

「はいはい、あ、ごめんなさいね。」

と建物の脇から声がした。それからちょっとの間をおいて、なんですか?と言う声と共にガラス戸が開き、中から腰の曲がった小さいおばあが顔を出した。声は普通の来客に対応する時のトーンたが表情は少し警戒している感じがした。

それを見てこちらも無遠慮に島の道を尋ねることを躊躇したが、呼びかけておいて何でもないですもないだろうと思い、思い切って質問してみた。

「すみません。ちょっと道をお聞きしたいのですが。。。」

「ああーそうですか。ちょっと上がっていきなさい。」

こちらの問いには答えずに家にあがれと促された。どういうこと!?
話は家の中でゆっくり聞きましょうと言う意味なのか、はたまた人の家の前をウロウロするんじゃないとお叱りを受けるのか、唐突な提案にその言葉の真意を測りかねて戸惑ってしまった。さっき露骨に警戒してカーテンを閉めたうえ、居留守を使おうとしたおばあであることを考えると多分後者なような気がする。だとしたらノコノコと家にお邪魔するのは得策ではないかもしれない。それに仮に前者だったとしても、ここで家に上がって話が長引いたらお昼を食べ損ねてしまう。

なので、いやーご迷惑になるので。。。などとやんわり遠慮したのだが、

「いいからいいから。どうぞ、上がってお茶飲んでいきなさい。」

こっちの言っている事を全く聞いていない。。。ちょっと道を聞きたいだけなんだけどな、という思いもあったが、強く拒んだらかえって印象が悪くなりそうだし、道を聞くにしても上がらないと教えて貰えなさそうな雰囲気だ。
じゃあ、ということで覚悟を決めてお邪魔することにした。


おばあとのゆんたく:


おばあの招きに促されてその窓からお邪魔した。

「ごめんなさいね。なかなか出てこなくて。知らない人が歩いているとちょっと怖くてね。」

「いえいえ、こちらもいきなり押しかけてすみません。」

「いいの、いいの。」

そんな会話をしながら居間の座卓に腰を下ろした。あれ、なんで自分は知らない人の家で正座しているんだ?
数分前には想像すらしていなかったシチュエーションに戸惑う。

ついさっきまで全力で我々を警戒していた人からいきなり室内へと招き入れられるという急展開。ダイナミックすぎて感情がついて行かない。
そんな自分の戸惑いは全く意に介さず、おばあは奥の台所で手際よくお茶の準備をして我々に出してくれた。

もうお茶なんか出されたらゆんたくタイムに突入するしかない。もはや完全に道を聞くタイミングを逃してしまったな、と思った。それが狙いか。でもまぁこれはこれで得難い機会である。目視して見当たらないんだから、教えて貰ってもどうせ通れる道なんかないのだろう。折角なのでこのままゆんたくにお付き合いするか。

この分だとおしゃべりをしているうちにお迎えの時間になりそうだ。そんなことを思いながら出されたお茶を頂いた。

「どこから来たの?」

「東京です。」

「東京から。。。それは遠いところから。ウチの息子はね、本土に住んでいるんですよ。」

お茶を出されるやいなや、おばあから矢継ぎ早に質問を受けた。答えを返すと言い切る前に次の話に移る。

「あんたたち、ノニ知ってるか?」

「知ってますよ。」

「これ、ノニジュース。裏の畑で採った奴だから飲んでみて。」

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と言ってコップに注がれたどろりとした濃厚な液体を差し出された。上で知っていると答えたのはカミさん。自分はノニジュースなんて聞いたことがない。沖縄の名物か?

まずはカミさんが味見。

「あ、おいしい!ちょっと飲んでみて。」

といって自分に回してきた。恐る恐る口に含むとなんだか渋酸っぱいような味が口の中に広がった。自分の味覚はこれを美味しいとは理解しなかったが健康には良さそうな味だ。八名信夫氏が出演する青汁のCMの名コピーを思い出した。


小さなおばあは曲がった腰をものともせず、ちょこまかと動き回っては色々な物を我々の前に差し出してくる。次に台所から持ってきたのは湯通しされた貝。皿に山盛りで持ってきた。
それは大きさが2cmほどの小さな巻貝で名前は聞いても分からなかった。ご主人が獲ってきたものだという。醤油を垂らして食べたら臭みもなくうまみが染み出してくる絶品な貝だった。

美味しい!!と悲鳴にも似た声を上げたら、おばあはまた台所へ行き、暫くして戻って来るとその貝をビニール袋いっぱいに詰めて持ってきた。持って帰って食べなさい、なんて言って渡してくれたがこんなに沢山。。。お気持ちは嬉しいが日持ちはしなさそうなので、やんわりと遠慮したのだが、持って帰れと半ば押し付けられるように渡されてしまった。今夜の晩酌のアテにするか。

しかし、突然押しかけた我々に対する物とは思えないもてなしである。恐らく一期一会であろうに、なんだか恐縮してしまう。


おばあはなかなか腰を下ろさない。ずっと台所との間を行ったり来たりしている。そうしたなかで島の様子についてぽつぽつと語ってくれた。

  • 今はご主人は漁に出かけていて不在
  • 島の住人は6人だけど、そのうち2人は久米島に行っているので普段居るのは4人だけ
  • あちこち具合が悪いので病院に行かなければならないが、毎回船で渡らなくちゃならないので骨が折れる
  • 昔は竹馬でオー島に渡ったものだが、今は船を通すために浚渫して深くなったので渡れなくなった

などなど。どの話も興味深く聞いた。別に上記は自分が質問した訳ではない。ほぼおばあが問わず語りで話してくれたものだ。誰かが来たら決まってこの話をしているのかもしれない。


おばあは何かを思い出したように再び台所に行って、またちょっとして戻って来た。今度は小皿に梅干しを乗せていた。

「これは息子が送ってきたものなんだけどね。美味しいから食べてみなさい。」

というのでひとつ戴いてみる。手作りの酸っぱい梅干を想像していたのだが、食べてみたら意外や意外凄く上品な味だ。お店で買ったら1パック1000円とかしそうな梅干しの味である。

思わず、この家にお邪魔して何度目かの美味しい~っ、が出た。だが2人がそう感想を述べた瞬間おばあはゲラゲラ笑いだした。

「あんたら、よくそんなモンが食べられるな~。あたしはそんなすっぱいモン食べられないよ。」

え、さっき美味しいからっておススメしてませんでしたっけ?w
いや、でも本当に絶品級にうまいのよ、この梅干し。

2人の顔にそう書いてあったのか、おばあはこの梅干しもビニールに包もうとした。いやいや、こんなにあれこれ施してもらっては気が引ける。流石に梅干しは辞退したのだが、

「いいから。息子がどこかでお世話になることもあるかもしれないからさぁ。」

と、結局これも半ば無理やりに受け取らされた。良いのだろうか。。。
何かの偶然でそうなる可能性はゼロではないが限りなくゼロだろう。なんか息子さんにも申し訳ない気持ちになったが、凄い美味しい梅干しなので頂けたことは内心嬉しかった。早く東京に帰って白めしに載せて食べたい。

その息子さんは和歌山にお住まいとのこと。なるほど梅干しが美味しい訳だ。


話はどんどん盛り上がっていく。そうした風景を一枚切り取りたくて写真を撮らせて欲しいと申し出てみたら、

「だめだめだめ、前に写真撮らせたら新聞に載っちゃって、それを見た息子から怒られたから写真はダメ。」

即座に拒否されてしまった。こういう特殊な環境の島なのでその特異性に触れたい自分のような人が時々訪れるのだろう。新聞記者だって取材してみたい対象であるに違いない。まぁ、それで怒る息子さんの気持ちの真意は掴みかねたが、無理強いするような話でもないので、撮影は諦めた。


そうこうしているうちにあっという間に船が迎えに来る時間になってしまった。気が付けばおしゃべりが楽しくて時間を忘れそうになっている。これはおばあのゆんたくマジックだろうか。居心地が良くてまだいろいろお話を聞かせてもらいたいところだが、船を待たせるわけにはいかない。という訳で、おばあにそろそろお開きにしたい旨を伝える。おばあは少し名残惜しそうな顔をしていた。

ではお邪魔しました。と言って再び靴に足を通しているとおばあも外に出てきてくれた。

「そこまでいっしょに行こう。」

「大丈夫ですよ、申し訳ないので。ここで大丈夫ですよ。」

と遠慮したのだが、おばあは聞こえないフリをして外の方へ歩き出した。やっぱり適当に聞こえないフリをしているっぽい。

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おばあがずんずん進んでいくので、自分らもそれについて歩いていたら、

「こういう所では男が先に立って歩くもんだよ!さあ!」

と笑いながら手招きされた。今度は自分が先頭に立って歩く。すると茂みに生えていたアダンかなんかの葉を一枚ちぎって、それをさっと割いて丸めたものを手渡してくれた。

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「これは、鞄とかの中身を盗まれないようにするためのお守り」

すっかり枯れて色あせてしまったが、これがおばあから貰ったお守りだ。帰宅後見つからなくなってしまったので紛失したものとばかり思っていたが、それから7年を過ぎた2013年に富士山に登りに行くときに、リュックのポケットから出てきた。

なんか、そのまま残っていてちょっと嬉しかった。


船着き場へと歩いていく一歩一歩が、この貴重な出会いを締めくくるイベントのように思えて、しんみりとした気分になって来る。
そんな思いで歩いて再び船着き場まで戻って来た。

お迎えのクルーザーは既に到着していて我々が戻ってくるのを待っていた。気が付いたら1時間を少し過ぎていた。
船長にすみません、とお詫びしながら乗り込んだらすぐに出港。

出港の間際に、じゃあまたね!と声をかけて手を振った。おばあも子供が出来たらまた来なさい、といって手を大きく振って見送ってくれた。
徐々に離れて行くおばあを目で追うと、時折目の辺りを拭うような仕草をしているように見えた。
やがて船は島陰に回り込んで、おばあの姿も見えなくなった。自分1人だったら見ず知らずのおばあに声をかけることなど間違いなくやらなかったはずだ。そうだったなら今回のようなハートウォーミングなイベントには絶対に巡り合えない。まさしく、カミさんのファインプレーの賜物である。

普段は時折厚かましいなと感じる場面もあるカミさんだが、そうであるからこそこういうラッキーに繋がる訳だ。多少は見習わないとな。

ちなみに帰宅後にネットで調べてみたら、おばあとのゆんたくが旅のいい思い出になった、的な書き込みをちらほら見かけた。
実はなんだかんだ言って、おばあたちも我々のような訪問者を楽しんでいるのかもしれない。


最後に余談だが、オーハ島は近年ある事件で一躍脚光を浴びた島である。その事件とは2007年に発生したリンゼイ・アン・ホーカーさん殺人事件だ。犯人である市橋達也受刑者は2009年11月に逮捕されるまで2年7カ月もの長期に渡る逃亡を続けた異様な事件であったが、彼が数か月間に渡ってこの島に潜伏していたことが明らかになった。

島では自給自足生活を送っていたといい、こんな島で自給自足を続けていたことも驚くべきことだが、それよりも自分が気になったのは、Wikipediaに記載された事件経過に、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であった。という記載である。

前述のとおり島の住民は4世帯6人とされているが、普段は4人が住んでいるとおばあが話していた。
そのおばあはご主人と2人で暮らしており、別の民家で居眠りをしていたおばあも見かけているので、訪問時点で少なくとも3人いたことは確実だが、市橋が島へ渡った時には男性1人しかいなかったというのだ。具体的な潜伏の時期ははっきりと分からないが、恐らく我々の訪問から2年も経っていないはずだ。

そう考えると島でゆんたくしたおばあも別の家で自由形で昼寝をしていたおばあも、市橋が島へ渡ったころには既に島を離れていたことになる。我々の訪問時は全く元気そうに見えたが急に体調を崩されたのだろうか。あるいは島での生活の不便さから久米島へ移住することを選択されたのか。
いつかまた会える日までと思いつつ島を離れたが、もうそれも叶わないのかと思うとなんか寂しい。

Posted by gen_charly