小田原に集合! (1987/11/22)
1987/11/22
夏の寸又峡へSLに乗りに行ったあと、秋に祖母の住む埼玉に自分だけ移住することになり、転校することになった。
転校先の小学校は、3年生の頃に一時的に通っていた学校だったので、顔見知りもいて割とすぐに打ち解けた。
特に3年の頃にも仲良くしていたM君とは再びクラスメイトとなり、久々の再会となった。
M君は自分より一足先に鉄道に興味を持っていて、鉄道の話を色々と教えてくれた。自分もSLに乗りに行った話などをして盛り上がった。
それが自分にとって心地よい時間だったからか、やがて自分も鉄道に興味を持つようになった。
それまではもっぱら車にしか興味がなかったのだが、色々な鉄道車両を見ることや、乗ることに対して興味を抱くようになった。
で、父にもそれらしいことを話してはいたのだが、ある日、小田急のロマンスカーに乗りに行くか?という提案がなされた。
行きたい、めっちゃ行きたいです!!
二つ返事で行くことを了承したら、ロマンスカーは帰りに乗るから、行きはM姉(父親の同僚の娘)と2人で小田原まで来い、というミッションが与えられた。
父親と同僚とは、17時に小田原で待ち合わせ。コースなどは自由に決めてよい、ということだった。
当時既に関東近郊の路線図はぼんやりと頭にはインプットされていた。それに中学生のM姉がいるなら不安もない。
ということで、自分がコースプランニングをして、M姉がお守役というお出かけがスタートした。
朝、同僚とM姉を迎えに行ったあと、高円寺駅で降ろされた。切符を買ってホームに上がる。
鉄道車両の撮影がしたかったので、M姉に付き添って貰いつつ、行きたい方向と反対のホームにやってきた総武線の201系を撮影。
出発して早々反対ホームに行かされて、M姉は辟易としたかもしれない。。。
東西線の5000系も撮影。
それから三鷹を経由して立川へと向かう。
当時はとにかく車両のコレクションを増やしたかった。だが、写真の撮り方を誰から教わったわけでもないので、撮り方がなっていない。
上の写真は西武多摩川線を写したものだが、まだ、都内の路線なら途中下車してもほどなく次の電車に乗れるとか、そういう発想がなかったので、こんな調子でどう考えてもまともに写るわけがない構図でも構わずシャッターを押していた。
デジタル化の際に改めてネガを見てみたら、他にも猛スピードで通過していった特急列車や、ホームの向こう側にやってきた列車なんかを撮影している。フイルムの無駄遣いでしかない。。。
それはさておき。
立川から南武線で川崎へ。なかなか壮大なムダルートである。
南武線の電車は101系だった。今となれば貴重な1シーンである。
川崎から東海道線で国府津へと向かう。
お腹が空いたので国府津駅で駅弁を買って昼食にした。流石に何を食べたかまでは覚えていない。
昼食を食べたら接続列車に乗れないのだが、列車の撮影がしたかったので、ホームでお昼を食べて、一本次の電車に乗ることにした。
ホームで行き交う列車を見ながらのランチは何ともテンションが上がった。
が、M姉は鉄道に全く興味がなく、ただのお守役である。自分があちこち振り回すので相当辟易としたことだろうが、あまり嫌な顔もせず付いてきてくれたのがありがたかった。
そして次にやってきた御殿場行きの電車に乗る。車内でその場で思いついたゲームなどをやりつつ御殿場に到着。
ところが、ここでトラブル発生。
次に沼津へ行く電車は50分も後だという。時間は既に15時を回っている。小田原駅での待ち合わせは17時なので、どう考えても間に合わない。コースプランニングをするにあたり、時刻表を調べて計画する、ということをまだ知らなかったのでこんなことになったのだ。
当時は携帯電話などなかったので、小田原で待つ親と連絡を取る手段もない。遅刻して怒られるのではないかと途端に不安になった。
御殿場から戻ることも考えたが、戻りの電車も結構な待ち時間だった(はっきりと記憶がないが)。
M姉にどうしよう。。。と不安を吐露するが、M姉はサバけた子だったので、待つしかないならしょうがないんじゃない?と、慰めのような諦めのような返事をした。
でも、時間を読み違えてM姉からも怒られるかな、と思っていただけに、なんかその一言がとても心強く感じた。
ら、ホームにあさぎりが入線してきた。
あさぎりは小田急と直通している連絡急行だが、一日数本しか運転されておらず、これに遭遇するのはなかなかにレアなイベントだった。
(御殿場止まりの列車なので、駅の到着時刻は分からず、本当に偶然に入線してきたような感じだったのだ。)
車両は小田急ロマンスカーの最古参3000形である。この車両を見られたことが、この日一番うれしかったことだ。
現金なもので、写真を撮影したら、さっきまでのしょんぼり気分はどこかへ吹き飛んでしまった。
しかし、小学生にとって50分はかなりの長時間だった。何をして暇つぶしをしたのかは忘れたが、日も暮れかけたころようやくホームに入線してきた沼津行きの列車に乗って沼津へと向かう。
この頃の旅行は大抵そうなのだが、旅の後半は疲れてきたりして記憶がおぼろげになりがちである。
沼津から小田原まで東海道線に乗って向かったのは間違いないが、その間の記憶はほとんどない。
そして、18時過ぎに小田原に到着し、無事に合流。特に怒られることもなく安堵する。
それから、小田急の切符売り場でロマンスカーのチケットを手配しに行った。
父親は最前列の席で、という条件を伝えたのだが、その日の列車で最前列が空いている列車はなく、次善の策として最後尾の席を確保していた。
一番前ではなかったが、それでも展望席である。気持ちが浮き立たない訳がない。
確か1時間くらい後の列車だったと思う。土産物屋などを散策してからホームに上がった。
当時は箱根登山鉄道の列車が小田原まで来ていたので、ホームに車両が停まっていた。
箱根登山鉄道は険しい箱根への道のりを、日本で一番急な勾配とスイッチバックによって登っていく路線として知られている。その勾配っぷりがどんなものなのかは知る由もなかったが、図鑑などで読んだ登山鉄道の電車というものには興味を持っていた。
駅の売店で箱根登山鉄道の歴史のような本が売られていたので、父親にねだって買って貰った。
本の内容はおよそ小学生が読むような内容ではなかったが、それでも高校を卒業するころまでは手元にあり、何度か読み返して少しずつ書いてあることを理解していったことを憶えている。
そして、我々が乗車するロマンスカーがやってきた。7000形のLSEと言う当時の最新型だった。
撮影は失敗したけどな。
指定された最後尾の車両に着席。当然ながら後ろ向きである。後ろとはいえ展望席に乗れたことは嬉しかったが、いかんせん夜である。景色らしい景色はほとんど見えなかった。
こうして、小トリップは終了した。色々ハプニングもあったが、自分にとって初めての親が付き添わないお出かけであり、実に印象深いものとなった。
そして、この頃から鉄道趣味にのめり込んでいったのであった。