SLに乗って寸又峡へ (1987/07/26)

1987/07/26

父が職場の同僚を誘って日帰り旅行を計画した。行き先は寸又峡とのこと。寸又峡と言われてもピンと来ないが、SLに乗ると聞いて心が躍った。

と言っても、当時の自分はまだ鉄道趣味に目覚める前だった。もちろんSLが蒸気機関車であることくらいは知っていたが、SLは自分が物心つく前には全廃されており、リアルを知らない。なので、趣味人としてのそれではなく、単純なレジャーとして、である。

そういう訳で、鉄道にフォーカスを当てた写真は殆ど撮影していない、というか、撮影係はもっぱら父だったので、父目線での写真しか残っていない。

とはいえ、この旅が鉄道趣味の世界に足を踏み入れるきっかけとなったのもまた事実なので、思い出話としてエントリすることにした。

 

我が家のお出かけと言えば、どこへ行くにも大抵車なのだが、今回はSLに乗るために自宅から鉄道で現地入りするという。
当時父はお袋と離婚していて、自分のことを単身で育てていたのだが、父の会社の設立メンバーの一人という女性とそれなりに仲良くやっていた。その人にも自分より3つ年上の娘がいて、自分もその人にはよく面倒を見てもらっていた。

その人もシングルマザーだったので、お互いシングル同士、ということで父とは持ちつ持たれつの関係だったようだ。
割と家族のようなお付き合いをしていたが、再婚という話にはならなかったので、片親互助会、みたいなお付き合いだったのかもしれない。

端から見たら普通の家族旅行にしか見えないメンツで東京を出発。朝の新幹線で静岡へ向かい、静岡から東海道線で金谷へと向かう。

k_19870726_01

金谷は大井川鉄道の始発駅だ。

19870726_140126

程なくやってきたSLに乗り込んで千頭へと向かう。

ゆっくりとしたスピードで茶畑や川っぺりを進み、開け放された窓から時折漂ってくる煙の臭いを嗅ぎながらの旅はなかなか面白かった。

19870726_140204

千頭に到着すると今度は井川線に乗り換えである。乗り換えの折、ホームで記念撮影したらホームに停車中の電車が映り込んでいた。元西武351系の300形である。
そのくせ、折角SLに乗ったというのに肝心のSLの写真を撮っていない。微妙である。

19870726_140207

それはさておき、井川線である。井川線の客車はそれまで自分が知っていた鉄道車両のそれからしたら、とにかく小さくて衝撃を受けた。何しろ、小学生でも容易に天井に手が届くほどの大きさしかないのだ。そんな車両見たことがない。

この車両はCスロフ300形という。その形式名が示すとおり2等車(“ロ"が入っているから)ということになる。2等車と言えばJRならグリーン車である。とてもそんな豪華な車両には見えないが、3等車から比べたらこれでも上等、という意味の2等車だ。

ここから上流の井川に向けて出発する。SL以上にゆっくりとした速度で山を登っていく。
夏の盛りなので、窓は全て開け放たれているが、風が巻き込んで不快ということもない。むしろ、心地よい山の風が暑さで火照った体を程よくクールダウンしてくれる。

 

途中にいくつか駅があるがそれらの駅の周辺に人家もなく、なんならホームらしいホームすらない。こういう駅を利用する人はどんな人なのだろうか、と思いを馳せたことを憶えている。

19870726_140210

途中で上り列車とすれ違った。向こうはオープンデッキタイプの客車である。
デッキの部分に子供が立っている。今なら列車の係員からそこに乗るな、と注意を受けるだろうが、当時はおおらかな時代だったのだ。
そして、それを見て自分もそこに立ってみたくなって、彼をうらやましく思った。

この車両がCスハフ1形である。即ち3等車(“ハ"が付いているから)。車内はロングシートになっていて、この車両を基準に見て、今乗っている車両が2等車ということだ。

ちなみに、2等車も3等車も全て自由席で、特に区分けもないので、乗りたければどれに乗ることも可能だったような気がする。

寸又峡へと向かうバスが出る奥泉で下車し、バスに乗りかえ。
人の生活の気配が全くない山奥の細い県道を右に左にカーブしながら揺られること30分くらいで寸又峡に到着した。

 

さて、寸又峡と言えば温泉である。
が、なぜか温泉には入らなかった。知っていたら温泉に入りたい!と要望したと思うのだが、当時そういうことは全く無知だったので、親の歩く後ろをついていくだけである。

19870726_140216

で、何をしていたかと言うと、虹のつり橋を渡りに行った。
虹のつり橋は今でも現地にかかっているが、ダム湖の湖面を一跨ぎする吊り橋は、歩くのになかなかの恐怖を覚えたものだった。

19870726_140219

虹のつり橋は一人ずつ渡るシステムになっていたようだ。橋の袂に長い順番待ちの行列ができている。

橋を渡って一周して戻ると、もう夕方。土産物屋を冷やかしたらもう帰りのコース。
帰りは井川線は使わず、千頭まで直通するバスに乗った。

千頭から金谷に戻るときに乗った電車は元北陸鉄道の6010形だった。もちろん、当時それを知っていたわけではない。後年思い出と照らし合わせて判明したのだが、もう一足早く鉄道を趣味にしていたら、確実に写真に残していた筈なので、その点惜しいことをした。

 

静岡駅の駅ビルで千房という店のお好み焼きを食べたっけ。
それにしても日帰りである。東京から静岡の山奥まで行って日帰りで帰ってこようと思ったら確かに温泉なんか入っている余裕はない。

考えてみたら、当時は土曜日が休みではなかった。とは言っても土曜日は半ドンと言って学校も仕事も午前中で終わりだったので、午後からどこかに行こうと思えば行けたのだが、専ら日帰りが多かった気がする。まぁ、半ドンと言っても父は経営者なので、そうきっちり仕事が終わらなかったのだろう。

Posted by gen_charly