関西遠征【3】(1990/08/31)
1990/08/31
宿は奈良、と言っても新大宮から近い所だったようで、翌日は新大宮の駅で撮影した写真から始まっていた。
なぜ父が奈良のホテルを取ってくれたのかは、既に記憶がない。
さて、本日のコースだが、昨日の移動中に明日はあっち行ってみようかな、こっち行ってみようかな、というのはぼんやり考えていたのだが、まとめきれないまま宿に着いたのだった。
これまで関東近郊に出かける時にはローカル線が対象外になることが多かった。何しろ列車の本数が少ないので、少ない小遣いでやりくりしなければならないことを考えると、一種類でも多くの車両が撮影できるルートを選びがちになるのは仕方のない所で、おのずと都市近郊ばかりを訪ねる結果となっていたのだ。もちろんそれは関西でも同じで、走っている車両は多種多様あるので、それらを一度の遠征で出来るだけ網羅しようとしたら、都市部を中心に回るルートを取らざるを得ない。
のだが、この時は少し心境が変化していた。
鉄道雑誌やルポなどを読むと、地方のローカル線などに身を委ねて、その地方の雰囲気や路線の険しさ、気候の厳しさなど、それを経験してきた人の感想が書かれていたりする。それを見て、自分もそんな旅がしてみたいな、と思うようになったのだ。
大人になるというのはこういうことを言うのだろうか。
とはいえ、上述のとおりローカル線に足を伸ばすと、それだけ収集可能数が減ってしまう。その辺の匙加減で悩んだが、最終的に、出来る限り多くの撮影ができて、それでいてそこそこローカル感がありそうな和歌山方面を目指してみることにした。
今いる奈良から和歌山に行くには、一旦大阪市内に戻るか和歌山線を使う方法が考えられる。
和歌山線は北宇智という駅にスイッチバックがあり見てみたい。というようなことで、奈良→和歌山→大阪というコースで周遊することにした。
まずは大和西大寺に出て、近鉄橿原線に乗り換えて吉野口に向かう。
吉野口で降りると、いよいよ辺りは鄙びてきて、駅前ものどかな雰囲気を醸し出していた。ただ、こういうムードの味わい方はまだよく分からなかった。そこは経験の差だろう。こういうの撮ればいいんだよな、的な感覚で駅舎の写真を撮った。
今となっては、いい判断をしたものだと思うが。
ホームに戻って暫く待っていると、吉野ライナーの26000系がやってきた。この列車も最近デビューしたばかりだったので、遭遇できたのは嬉しかった。そして反対側に入ってきたのが吉野特急と呼ばれる在来の特急電車。形式は16000系だったかな。
それからJRのホームへ移動し和歌山線に乗り換え。
先に入線してきたのは、王寺行きの105系だった。これは常磐緩行線で地下鉄直通用として使われていた103系1000番台を改造したものだ。
未だ非冷房というのが時代を感じさせる。
その反対側は105系オリジナルのマスクだが、扉が4つあるので中間車を先頭車改造したものだろう。
そして反対側に入線してきた和歌山行きは、由緒正しいセミクロスシートの113系だった。自分が乗るのがこっちでよかった。やっぱりロングシートの電車では、旅情がイマイチである。
そして暫く乗っていると次の北宇智に到着。暫く停車して走り出すときは反対方向へ進む。
一旦引上げ線に入ってもう一度停車。窓からカメラを出して撮影。
こうしてみるとスイッチバックが必要になるほどの険しい場所には見えないが、SL時代の名残らしい。現在(2023年)はスイッチバックは廃止されているそうだ。
列車は再び折り返して、五條方面へと進んでいく。
これはその時に写した北宇智駅。動く列車から撮ったから、と言い訳するが、まぁ、ひどい構図である。
写真が黄色っぽくなっているのは紙焼きの写真をロストしてしまい、最近になって傷んだネガから起こしたからだ。
さて、北宇智を出ると、後は和歌山までひたすら乗り通しである。
途中名手(なて)で行き違いのため数分停車。停車中に改札で乗車駅証明書を一枚頂戴してきた。
行き違いの列車は阪和色と呼ばれる塗装の113系だった。
この車両はもうほとんど走っていないと思っていたので、入線してきたことを知って慌ててカメラを構えたが、残念な写真になってしまった。。。
乗った電車は各駅停車である。乗車した吉野口から目的地の和歌山まで、25駅ある。
景色の変化が目まぐるしいのは橋本までで、そこから先は紀ノ川に沿った住宅地が続くので、景色の変化が少なくなってくる。
名手を過ぎても和歌山まではまだ11駅ある。故に眠気が襲ってくる。
・・・
少しのあいだウトウトしてたらしく、ふと目を覚ます。さました瞬間、隣に座っていた60代くらいのおじさんに体をもたれかけていることに気づいて慌ててすみません、と言って姿勢を治す。
そのおじさんは別にええよ、と返事してそれからどこから来たん?と聞いてきた。イントネーションが違っていたからか。
埼玉からです、と答えると1人で?とさらに聞かれた。それから年齢やこれからどこへ行くのかなど聞かれてそれぞれ答える。
おじさんは中1の小僧が1人旅をしていることに感心していた。
実は慌てて謝ったのは、もたれかかってしまったことについての謝罪だけではなかった。当時の自分は寝るとヨダレを垂らす癖があった。よだれを垂らしたかどうかとっさに分からなかったが、もしかしたら垂らしたかもと思ってとっさに謝ってしまったのだ。
それから一頻り会話した。会話がだいぶ砕けてきたので、さっき寄りかかっていた時にヨダレ垂らしませんでした?とおずおず聞いてみたら、全然大丈夫だったよ、とのことだった。
会話の最中にさりげなく寄りかかっていた辺りに視線を落としたが、濡れている気配がなかった。今回は垂らさなかったらしい。よかった。
おじさんは、関東人の子供が珍しかったのか、自分が話す旅のあれこれをニコニコしながら聞いてくれる。
和歌山市内にはどういう観光地がありますか?と聞くと、和歌山城はいいんじゃないか、と言っていた。
折角やし和歌山城まで連れてったるよ。と申し出てくれた。
こないだの高校生がひどいものだったので、人を容易に信用してはならないと自らを戒めていたが、このおじさんは恐らく大丈夫そうだ、と思ったのでそれならついて行って見るか、とおじさんについて行ってみることにした。
それからも他愛のない会話に華を咲かせていたらようやく和歌山に到着。
おじさんについてホームに降りると、暑いな、城行く前にジュースでも飲んでいこうか、と誘ってくれた。
当時はペットボトルの飲み物を持参して歩くなんてことはなかったので、電車の中ではひたすら我慢していた(まぁ、我慢している、という認識はなかったが)。今回は結構な時間乗り通しだったので、降りる頃にはのど乾いたから降りたら缶コーヒーでも買って飲むか、と思っていたところ。
まさに渡りに船。ご好意を素直に受け取ることにした。
駅から歩いて数分くらいのところにあるビルの地下(1階だったかも)にある喫茶店でオレンジジュースをごちそうになった。
まさか100%オレンジジュースにありつけるなんて。ものすごく美味かった。
ジュースを飲んでいる間、和歌山城は立派なので行ったら感動するよ、という話をしてくれた気がする。
実は当時、城に全く興味がなかったので、城に行ったところで何をすればよいのか、おじさんの話にもあまりピンときていなかった。
だったら断ればいいのに、と思うだろうが、それでも連れて行ってもらうことにしたのは、断りづらかったのもあるが本日エントリの冒頭でも話したとおり、ただ電車に乗るだけでなく観光らしいこともやってみたい、と思っていたからだった。
ジュースはあっという間に2人の胃袋に収まった。暑かったから本当にあっという間である。多分10分もいなかったはず。
男同士だからウダウダと長っ尻するようなこともなく、そのままスッと立ち上がり和歌山城へ向けて歩き始めた。
10分くらい歩いたら和歌山城に着いた。
おじさんは、ここが和歌山城だ、と教えてくれた。そして、自分は予定があるから案内はここまで、と言って去っていった。
お礼を言っておじさんを見送り、そして和歌山城の前で再び1人になった。
今になって思えばだが悪い人じゃなくて本当に良かった。
さて、目の前には和歌山城の天守が聳えている。がやっぱりどうにも興味が沸かない。
城を見学したらその分鉄道の撮影の時間が少なくなってしまう。でもこういう所を散策できることが大人の条件なような気もするので見ておきたいような気もする。
10分ほどその場で逡巡したが結局城は見なかった。逡巡している間に見に行っちゃえばよかったのにな。おじさん、折角色々教えてくれたのにごめん。
写真も一枚も撮っていないあたりに、当時の自分の興味のなさが見て取れる。
ただ、旅先で知らない人と会話して、その時間をいっとき共有するという経験はとても面白かった。
このイベントだけは今でも割と鮮明に思い出せる。
このエントリもほとんどこのエピソードが描きたかったようなものだ。まぁ、それではあんまりなので旅は続けるぞ。