関西遠征【5】(1990/09/01)
それから東海道線に乗って大垣へ。
関が原を超えると岐阜県に入って中部地方となる。と同時にJRも西日本から東海のエリアに入る。この地域はこれまで新幹線で通過したことしかなく、在来線を訪ね歩くのは初めてだ。どんな車両が見られるだろうかとワクワクした。
大垣で遭遇したのは117系のJR東海色と、
311系だ。311系は名古屋地区でしか見られない車両である。
それと、大垣と言えば樽見鉄道である。これは今回の旅で最初から立ち寄ることを決めていた路線である。
というのも樽見鉄道にはハイモ180形という、バスをそのまま鉄道車両にしたような、その名もレールバスと呼ばれる車両が走っていたからである(他にも数社で導入されている)。
で、樽見鉄道ホームへ来てみたのだが、停まっていたのは後継のハイモ230形だった。残念。。。
次の列車はしばらく先。ここで時間をつぶすわけにはいかないので、先に進まざるを得なかった。
そしていよいよ名古屋に到着した。
名古屋はこう言っては何だがJR線はあまり見るべきところがない。概ね関東か関西に走っている車両と同じ物しかないからだ。
それよりも面白いのは私鉄である。主だったところだけでも市営地下鉄や名古屋鉄道などは他で見られない車両が走っている。
ただし、理由はもう忘れたがこの時は市営地下鉄だけしか乗っていない。名鉄の路線に乗るためのお金がなかったか。。。
ということで、市営地下鉄。訪問の少し前に開通したばかりの桜通線の6000系から。
東山線の300形。微妙に見切れてしまったのが悔しい。
名城線、名港線の1200形。当時はまだ環状運転はなされていなかった。
鶴舞線の3000形
ということで、手軽に栄までの間を往復しつつ各路線を押さえて戻ってきた。
名古屋に戻ってホームに上がったら、ナゴヤ球場のナイター開催日だったようで、ナゴヤ球場正門前まで運行する臨時列車が停まっていた。
車両はキハ82系。当時すでにほぼ引退状態で、定期列車も数えるほどしかない車両だったので、ここで見られるとは思わなかった。
ヘッドマークの部分は「頑張れ ドラゴンズ号」という専用の物がかけられていた。普通列車だが、グリーン車も併結していたらしい。
撮影した後、駅の切符売り場に行ってみたら、券売機にナゴヤ球場正門前のボタンがあった。それだけ利用者に便宜を図っていたということだろう。折角なので切符を買って見たら、●●円区間、という表記ではなく、ナゴヤ球場正門前、と明記された切符が出てきた。
そのナゴヤ球場も、後に中日のホームグラウンドがナゴヤドームに移転したため、臨時駅も役割を終えて廃止されている。この切符も過去のものとなった。
ところで、名古屋といえばきしめんである。異論は認める。ただ、ホーム上で気軽に食べられる名古屋ローカルフーズの代表格であることは確かだ。少し前に読んだ何かの本に、ホームの立ち食いそば屋のきしめんがうまい、と書かれていたの見ていたので、食べに行ってみた。
鰹節がまぶされた正統派のきしめんは、金欠でロクなものを食べない旅を続けていた自分にとって滅法うまかった。
さて、そろそろ帰宅を始めなければならない時間だ。
出発時は名古屋から新幹線にしようと思っていたが、既に名古屋から新幹線に乗るためのお金が残っていなかった。そこで、静岡まで進んでから新幹線に乗ることにした。
既にフィルム残量も心もとないので、撮影もほどほどにして適当な列車に乗り込んだ。
最初に乗ったのは浜松行きの211系。ロングシートの電車は旅情もへったくれもない。と言っても、通勤通学で普段使いしている訳ではないので、ただ、いつも通りだな、という気持ちになっただけだが、そういう所で旅の終わりが近づいていることを自覚させられる。
自覚と言っても、ホームシックではない。もう終わりかぁ、という意味だ。
浜松に着くころには日もすっかり暮れてしまった。
ここで静岡行きに乗り換え。静岡には20時過ぎくらいに着いたと記憶している。
みどりの窓口で東京までの新幹線の切符を入手。少し時間があったので、ホームをぶらついてめぼしい列車の写真を撮影。写真は寝台特急あさかぜである。
で、新幹線の時間になったので、移動。
乗った新幹線は21:28発の東京行きこだま462号。東京に着くのは22:56である。
一昨年、神奈川方面の撮影の旅で終電を乗り逃して一泊警察署でお世話になるという大失態をしでかしているが、流石に今回はちゃんと終電を考慮している。今回の終着地は都内なのだ。
その終着地は中野である。父が職場の近くに家を借りていたので、今回はそこに泊って明日埼玉に戻るという寸法だ。
ちなみに当時の父は、その家の近所にあるスナックへ足しげく通っていた。元々酒が飲めないので、ほぼ付き合いみたいなものだが、アットホームなママさんがいる店で、自分もたまに連れて行ってもらっていた。行くと、ママがナポリタンとかの軽食を作ってくれたので、それを晩御飯代わりにしていた。
そこの常連とも仲良くしていたので、割としょっちゅう入り浸っていたような記憶がある。この日も家の方ではなくスナックに寄れ、と言われていた。
東京で新幹線を降りて、新宿まで中央線で進んでから、地下鉄に乗り継いで中野富士見町で下車。
無事帰って来れたことに安堵しつつ、駅からそのスナックへの道を歩く。
店の扉を開けると、みんなが「おかえりー!」と歓迎してくれた。時間はほぼ0時、そりゃみんな上機嫌な時間帯だ。
旅の思い出をあれこれ皆に話してほどなくお開きになった。
この旅が自分にとって初めての1人での遠出であった。色々行き当たりばったりに回ったが、トラブルに巻き込まれることもなく帰って来れたので、知らない街を訪ねることへの自信をつけることが出来た。一回り成長したね、と言われたい。