静岡・山梨の鉄道巡り【1】(2008/08/10)

当時勤めていた会社の社長が年に一回くらいごくごくプライベートのバーベキューを開催していた。
自分にも声がかかったので参加することにしたのだが、カミさんは週末にかけて用事があったので、自分1人の参加である。
場所は湯河原らしいので車で現地に向かった。

20080809_133523

湯河原某所の海岸でめいめい肉を焼いて社員間のコミュニケーションの円滑化に貢献した。

 

で、夕方くらいに解散となった訳だが帰宅してもカミさんがいないので、そのまま周辺をドライブして明日の晩に帰宅することにした。
どこへ行こうかあれこれ思案を巡らせつつ、あてどなく静岡方面に車を走らせているうちに、ふと佐久間レールパークに行ってみたくなった。

 


2008/08/10

20080810_104040

どこで車中泊したのかは忘れてしまったが、10時半ごろ中部天竜駅に到着。
当時この駅に併設される形で佐久間レールパークという施設あった。ここに来た理由は、1にも2にもクモハ12を見たかったからである。

ちなみに数年後に閉園となり、現在ここに置かれていた車両は鉄道博物館やリニア・鉄道館などに移設されている。

20080810_105919

クモハ12というのはこの車両である。以前は鶴見線で運用にあたっていた数少ない旧型国電であった。

20年ほど前、まだ鶴見線で現役で走っていた頃に乗りに行った事があったが、その時に持参したカメラの調子が猛烈に悪く、ピンボケの写真になってしまうという悔しい出来事があった。
いつか再訪をと思っていたが、当時の自宅からは鶴見は遠く、結局再訪が叶わぬまま廃車となってしまったが、後にここに保存展示されているという情報を入手していた。

なのでいずれ行きたいと考えていたのだが、中部天竜はものすごく辺鄙な場所にある。なんでこんな所に作ったのだろう、と思うような山奥なのでなかなか足が向かないまま幾星霜。

湯河原からのアプローチも正直どうかと思うくらい離れているのだが、こういうのは勢いが大事。

20080810_105805

元々片運転台の車両なので、反対側は後付けの運転台が設けられている。その都合上、車両の両側の前面デザインが異なるという、面白いことになっている。

20080810_110053

車内はこんな感じで、正統派の旧型国電の作りである。

20080810_110145

運転台はこんな感じ。運転室内には入ることができなかったので窓越しに写してみた。

20080810_110221

一方、反対側に増設された運転室は室内の一画にこじんまりと設けられている。窓が一切ないので中がどのようになっているかは不明。なんかトイレみたいだ。

20080810_110235

そしてその運転室のすぐ背後に1人がけの座席がこじんまりと配置されている。ここは3人掛けの座席が置かれている場所なので、運転席は2名分のスペースに設けられているということになる。それにしても1人掛けの座席と言うのは物珍しい。両隣に座る人がいないある意味特等席だが、扉際に立つ人がいたら背中の圧迫感が凄そうであるw

 

そのほかの展示車両も順番に見て行った。一応、全ての展示車両は一枚ずつ写真には収めてきているが、あまり興味のない車両はコメントが付かないので省略。

20080810_105358

キハ11。キハ20系列が登場する一つ前の形式である。全体的な印象は似ているが、やや細面な印象になっている。晩年は茨城交通(現:ひたちなか海浜鉄道)で稼働していた車両で、廃車後、延々静岡まで移動してここで展示されることになった訳だが、ここが閉園となった折に再び関東まで旅をして今は大宮の鉄道博物館で展示されている。

20080810_110439

そしてクハ111。と言っても室内の写真のみだが。なぜ室内の写真を掲載しているかと言うと、新製当時の状態を良く残している(復元されている?)個体だったからである。この車両も当時は喫煙可能車両だった。シルバーメッキの灰皿が懐かしい。

非冷房車なので天井が高く扇風機が設けられている。昔は夏に電車に乗ったら窓を開ける(というか開いている)のが当たり前だった。窓からの通風と扇風機からの風があれば、冷房が無くてもまぁまぁ凌げた。とはいえ、髪型が崩れるとか雨の日に開けられないとか、といった不都合がないでもなかったが。

写真だと分かりづらいが、扇風機は乗客が操作できるように窓際にスイッチが設けられていた。当時はそれに疑問を抱くこともなかったが、考えてみたらそのスイッチの操作は乗客の判断に委ねるということだ。当然スイッチ近くの人が操作をする訳だが、その人が寒がりだったり暑がりだったらどうだろうか。周囲にいる人はその人に頼まないと操作が出来ないのだから、その人基準の判断で勝手に操作されたらたまったものではないだろう。それで揉めたりしなかったのか、なんて思うのは現代の思考だろうか。

20080810_110528

座席に面している窓は写真のように二段上昇式になっている。国鉄型電車の比較的初期の車両にこのタイプの窓が装着されているものが多かったが、このタイプの窓はその名のとおり、窓ガラスを全てガラス上部の戸袋にしまえるようになっていて全開にすることができた。

と言っても全開にすると盛大に風が入り込むことになるので、実際はどちらか半分だけを開ける人が多かったような気がするが、自分はこの手の車両に乗車したら真っ先に全開にしていた。全開にするとオープンカーに乗っているかのような爽快感が味わえたのだ。
当時は冷房化される過程にあり、一編成の中に冷房車と非冷房車が混在していることがあった。冷房化が済むと大抵上部の窓を固定されてしまっていたので、全開にしたいがためにわざわざ非冷房車を選んで乗っていた。

あえて非冷房車を選ぶ人はあまりいなかったせいか、割と車内は空いていたような気がする。なので窓を全開していて咎められることは殆どなかったが、自分の周囲に座る人も少なかったような気がする。

 

少し考えたら分かりそうなものだが、100キロ近い速度で走る電車の窓がそんな具合に全開に出来たら、転落しやすくなるし、万一そうなったら死亡事故に至る危険性が高まる。実際学生が多く乗車する路線で不良連中が暴走族のそれを真似して箱乗りした結果、転落して死亡したり対向の列車に接触する、などと言う事故も時折耳にしていた。まぁそれは自業自得じゃないのかな、とも思うが。

とはいえ、転落する危険性は誰にでもあるわけだから、その後に製造された車両はガラスがすれ違うように、下段が上昇、上段が下降(または固定)というタイプに改められていった。戸袋を擁しなくて済むのでコスト低減にもつながったのだろう。

さらに時代が下ると1枚下降式になっていき、更にはその窓も固定式になっていく流れになったことは、ご存じの方も多いと思う。
個人的には味気なくなって残念ではあるがそれも時代の流れ。

 

他にも展示車両はあったが、まぁ、自分の思い出話なのでこんなところで。

20080810_111345

それから駅に立ち寄ってみたら丁度列車が入線してきた。105系によく似た形状だが、飯田線を走るものは119系と称し、飯田線スペシャルになっていた。

留置線にはこんな車両が停まっていた。

20080810_111214

これぞレールバス!
通常、バスの車体を流用して作られた線路走行が可能な車両は、軌陸車という鉄道も道路もどちらも走行できる仕組みを持つものが多いが、この車両はタイヤが撤去されて完全に鉄道専用となっていて物珍しい。
鉄道線用であるにもかかわらずウィンカーが残されていたり、運転席にハンドルが付いていたりとちぐはぐなところもある。というかハンドルが片側にしかついていないということは、反対方向に進む時はどうしていたのだろう。転車台なんてこのご時世殆どないし、延々バックオーライで進んでいる?

しかしこの車両も相当古い。既に道路で走っている姿は見かけなくなって久しい。
一般に鉄道車両の方が長持ちするが、車両構造以外にも鉄路の上なら長持ちする何かがあるのだろうか。

見学が済んで次にどこに行こうか考えて、浜松方面に下って未訪となっていた天竜浜名湖鉄道の車両を撮りに行ってみることにした。
天竜二俣駅がここから一番近いので、そこを目指す。

20080810_121218

天竜二俣駅に着いたら、駅前にブルートレインとディーゼルカーが置かれているのが見えた。

近くに行ってみると、ブルートレインはナハネ20だった。ナハネ20はいわゆるブルートレインの先駆けとなった、20系という形式に属する寝台車だ。

20080810_121559

寝台は3段寝台で現代の感覚でいえばかなり窮屈なものだが、新幹線もなかった当時、遠くへ向かう列車の主役は寝台列車だった。多くの人を夜のうちに運ぶためにはこうするしかなかったのだろう。

今は出張に行くと言っても飛行機か新幹線である。あっという間に現地に着いてしまうので事と次第によっては日帰りを求められることもある。味気ないったらありゃしない。
1泊とか2泊とかして出張先に移動して、現地に滞在してまた1泊とか2泊して帰ってくる、そんな牧歌的な時代にあこがれる。

20080810_121643

昼間は中段の寝台を畳んで座席に腰掛けて移動する。3段寝台だからこのシートも3人掛けとなるが、グループならいざ知らず見知らぬ他人に両隣を挟まれながら移動する気分と言うのはいかばかりであろうか。

20080810_121335

もう片方がキハ20であった。地元を走る八高線に乗る際にこの車両がやってきたらラッキーデーだった。
キハ40など、クロスシートでかつ新しい車両もあったのだが、キハ20系列は八高線ではレアキャラだったのだ。

何故ここで展示されているのか、企画モノなのか常設されているものなのかは忘れてしまった。

20080810_122957

ここでも駅のホームに上がってみたら丁度天浜線のTR2100形が入線してきた。

 

時間はまだ昼過ぎだ。折角だからもう少しあれこれ見て行きたい。と言うことで次に思いついたのは富士市内を走っている岳南鉄道を見に行くことだった。

Posted by gen_charly