三都物語【3】(2004/05/02)

野島断層保存館:


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保存館の周りは北淡震災記念公園として整備されていて、そのせいか公園の周囲でたまねぎなどを売る売店が軒を並べていてなんかたくましさを感じた。

それらを一瞥して保存館へと入館。

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入館料を払って順路に従って進む。実はこの時館内では殆ど写真に撮っていない。その理由は最早忘れてしまったが、撮影禁止と書かれていたか、書かれていなくて禁止だったらまずいと思って撮らなかったか。。。

 

建物の名前に冠されている野島断層は、1995年に発生した阪神淡路大震災で活動した断層である。ずれの変位量は高さ方向に数10センチ~1メートル、左右方向に1~2メートルほどで地上にも断層の露頭を生じさせた。

断層が活動した範囲のうち特に大きくずれた場所がこの辺りで、肉眼で目視できるほどの段差を生じた。だが、断層は野晒しにしておくとやがて風化してその痕跡を失ってしまうため、震災後に保存が行われ、それを展示するために作られたのがこの施設である。

 

阪神淡路大震災が発生した時、自分は高校3年だった。自分はそれまで大きな地震に接したことがなかった。埼玉のあたりではせいぜい年に1度くらい震度4程度の地震が起きる程度で、それすら珍しいイベントだったせいか家が揺れると家族がデカい!デカい!と騒いでいたような記憶がある。

小学生の頃、学校の図書室で学研のひみつシリーズのひとつである地震のひみつという本を読み、大地震が発生すると大きな被害が出たり、場合によっては人が死んだりする、と言うことを知った。それ以降大地震に漠然とした恐怖を感じるようになった。

その当時はそろそろ東海地震が起きるぞ、なんて言われていて(今も言われているが)あちこちで東海地震に対する備えを促すアナウンスを耳にしていたことを思い出す。東海地震は当時、予知可能な地震であるとされていて、その予兆が観測されたら速やかに緊急事態宣言が発令されることになっていた。

発令されたら付近の鉄道は運休、道路は通行止、仕事や学校はその時点で中断して自宅または安全な場所へと避難、各自万全の態勢で臨んで地震を安全にやり過ごす、と言うのが基本的な想定プランだった。
そう言えば静岡辺りの高速道路のサービスエリアには、トンネル内で地震が起こった時の対応や東海地震対策強化エリアを示す大きな看板が掲げられていたな。

そうしてずっと煽られていたので、いざ本当に東海地震が起こったらどんな大変なことになるのだろう、とずっと不安に感じていたのだが、その地震が起こる気配がない。するとだんだん怖さが薄らいでくる。今は建物も頑丈になっているし技術も進歩しているので、もう大地震なんか起こっても実際には大したことにならないのではないか、みたいな感情が心のどこかに芽生えつつあった。

 

そのころに発生したのが阪神淡路大震災だった。関東は揺れなかったので最初は大阪の方でなんか地震があったらしいね、くらいの感じだったが、テレビニュースでヘリなどから現地の様子が伝えられるようになってくると、途轍もない大災害が発生したらしいことが分かってきた。

大きなビルや高速道路が横倒しになり、街のあちこちから火の手が上がっている。本で読んだ関東大震災の古い写真と同じ酸鼻を極める光景がテレビに映し出され、神戸出身のテレビキャスターは倒壊したビルの前で涙を流している。それを見ていると、とんでもない災害が発生してしまったなとは思うのだが、自分にとってそれはテレビの向こう側の話でしかなくなんとも現実感がない。我が事のように心を痛めなければ不謹慎な気もするけどそれは自然に湧き出る感情ではない。この何とも言えない感情は高校生の自分にとってとても戸惑いを覚えるものだった。


壮絶な被害が出ているが知れば知るほど憂鬱な気分になってくる。だが地震発生のメカニズムや引き起こされる被害に凄く興味を持った。所詮野次馬根性だったのだろうが、その大震災を引き起こした地震と言うものがどのようなものであったのか知りたくなった。とは言っても最初はせいぜいテレビか新聞で興味のある情報を拾うくらいのものだったが。

それから数年後にインターネットが普及して、ネットで検索すれば様々な情報が入手できるようになった。あれこれ深堀りして調べたりするなかでこの保存館のことを知り見に行ってみたいと思った。

 

ちょっと思い出話が長くなったので、話を旅の思い出に戻す。
断層の露頭展示エリアは奥の方に向かって100メートルくらい続く大きな建物だった。その露頭は上述のとおり数10センチほどの段差である。正直この程度の地面のずれが、あれほどまでに酸鼻を極める大災害に発展する物とはにわかに信じがたかった。

断層に並行する順路を進んでいくと生け垣がずれた場所があった。これは断層が横方向にどのくらいずれたのかが分かる痕跡となっている。

更に断層のトレンチがありその先で建物の外に出る。建物の外にはコンクリート製の一軒家が建っているが、この家の敷地内を断層が通り抜けている。

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塀の途中に断層によって割れてしまった所がありそれも保存されていた。なぜかこの塀だけ写真に残している。その家は内部も公開されていて室内に上がることが出来るようになっていた。この家の持ち主は地震後も暫くの間、建物を修繕して住み続けていたが、保存館を建設するにあたり、その展示物のひとつとしたいという打診を受けて譲渡したのだそうだ。

室内はダイニングキッチンに震災直後の様子が再現されていた。食器棚はあらぬ方向に倒れ、食器や家電が散乱する様子は震災直後の被害の生々しさを留めていた。

しかしこの家の家主は自宅の敷地に断層があるなんて知らなかっただろうし、まして、まさかそれが活動して大地震を引き起こすなんて夢にも思わなかっただろう。その心中は察してあまりある。

 

そうして順路を一周して見学を終えた。GW期間中であるせいか見学者が多く、館内は混雑していて断層をゆっくり見ることが出来なかったのが心残りだったが、長らく一度来てみたいと思っていた場所を見ルことが出来て実に有意義な時間だった。
カミさんがどのようなことを感じながらこの施設を見学したのかは分からない。自分の興味本位に付き合わされて飽き飽きしているかな、と思ったが、多少興味のありそうな顔で見学していた気がする。

ちなみに、この保存館は2013年の暮れに再訪している。撮影可能と掲示されているのを確認できたのであちこち撮影してきた。よろしかったらそちらもどうぞ。

 

再びチャリにまたがり岩屋港に戻る。淡路島の見どころは他には知らなかったのでそのまま神戸に戻ることにした。

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写真は岩屋港の目の前にあった小島。と言っても陸続きになっている。
名前はおのころ島という。漢字で書くと「自凝島」。正式には絵島と言うらしい。
おのころ島と言えば、古事記や日本書紀といった国生み神話の中で日本で一番最初に作られた島として登場する伝説の島である。最初にこの島が作られそれから日本列島が作られていった、と言うストーリーになっているのだが、その一番最初に作られた島がこの絵島だというのである。

淡路島は神話時代に日本列島の中で最初に作られた場所であるとされており、島内にこうした伝説にちなむ史跡が点在しているらしい。ただ点在させすぎたのか、おのころ島とされる島は島内に2カ所もあるのでどちらかはニセモノということになるw
さらに言えば、淡路島以外にも同様の名乗りを上げている場所がいくつかある。本物のおのころ島はどれなのだろうか。

 

帰りは岩屋港からバスに乗って明石海峡大橋を渡った。明石海峡大橋は初めて通ったが、かなり高い所を通過しておりその見晴らしは素晴らしいものがあった。

そして本土に渡りきるとその先ですぐ山にぶつかる。道路はまっすぐ山の中に突っ込んでいくが、そのトンネルのすぐ手前に高速舞子のバス停がある。そこでJRの舞子駅および山陽電鉄の舞子公園駅に接続しているので我々もそこで下車。

さて次に向かうは六甲山である。ほんと街へは行かないつもりだなw

Posted by gen_charly