金沢へ【1】(2006/02/24~02/25)
2006年は自分にとって人生の節目となった年である。3年にわたりお付き合いを続けてきたカミさんと入籍の運びとなったのだ。
まぁ、結婚を年貢の納め時などと揶揄する向きもあるが、末永く幸せにやっていきたいと言う決意を込めて役所へ行った。
・・・と、その話はこのエントリとは直接関係ないので割愛するが、入籍したことを金沢にいるお袋に報告したら、奥さんに会ってみたいから金沢に連れてきなさい、と言われた。
上記の一文においておかしいと思う箇所を1つ書きだし、その理由を答えなさい。
答:入籍したことを金沢にいるお袋に報告したら、奥さんに会ってみたいから金沢に連れてきなさい
理由:家族に会わせる前に入籍したのか、お前は。
正解!・・・わざとらしいのでこの辺にするが、まぁ、事情があったのだ。
両親は自分が小学生の頃に離婚しており、その際自分は父に引き取られた。なので自分はお袋と称しているものの既に親族の一員ではなくなっていたため、事前に顔合わせの場を設けることができなかったのだ。まぁ、後妻の方は顔合わせにすら来なかったのだが。
(なぜ「父」と「お袋」と表現に差があるのか、と言う理由についてはこちらを参照)
詳細は上記リンク先を参照いただければと思うが、離婚は完全に両親の都合によるものであり、自分にとって育ての親であるお袋にこれと言ったわだかまりはない。なので連絡を取ることを禁止していた父の目をかいくぐる形で時々連絡を入れつつ関係を絶たないようにしてきたのだが、離婚して数年後にお袋は金沢に住む男性と出会い、その人と再びのゴールインを果たして、再婚を機に金沢へ移住し家族3人新たな生活をスタートさせたことを知った。
その頃には自分も中学生になっていたので、大人の事情みたいなものもだいぶ分かるようになってきており、流石に今までのように連絡を取り合っていたら、新しい旦那が嫌がるだろうことくらいは容易に想像が出来た。
なのでこちらからの連絡は控えることにしたのだが、暫くしてお袋からまた連絡があった。お袋はその旦那さんに自分という存在があることを伝えたのだという。それを聞いた旦那はそれはそれ、これはこれ、とちゃんと自分の存在を認めてくれたというのだ。
認めてくれるだけでもありがたいのに、何年かに一度、たまには金沢へ遊びに来い、と呼んでくれたりもした。お言葉に甘えてこれまで何度かお世話にもなっている。最初はどう接するべきかだいぶ緊張したものだが、弟と一切分け隔てなく接してくれる懐の広い人で、そのうち自分にとって自宅にいる以上に快適な場所となっていったのだった。
そんな訳で自分にとって金沢は、ある種第二の故郷とでもいうべき場所であった。なので、結婚についても入籍して早々に報告の連絡を入れた。ただ、カミさんの家も含めた両家の様々な事情を考慮して、事後報告になってしまった、という次第だ。
ちなみに「旦那さん」だが、上述のとおりひとかたならぬお世話になっている人である。流石に「旦那さん」はよそよそしいので、このエントリでは「お父さん」と表現する。もちろん「父」とは別人なので誤解のないように。
1月に入籍を済ませた後、お袋と日程を調整して2月25、26日の両日での金沢行きが決まった。
金沢くらいの距離は車で行ってもよかったのだが、2月の北陸と言えば雪が心配である。自分は雪道の運転に不慣れなので今回は鉄道で行くことに。
かつて1人で金沢に行く時は、電車賃を安く抑えるために夜行急行の能登号をよく使っていた。だが、アレは座席列車である。以前関西方面を散策する折にムーンライトながらに乗ったら、もう二度と乗りたくない、とカミさんから不興を買ってしまったので、今回は奮発して寝台特急北陸に乗って行くことにした。
まぁ、それはいわゆる口実で、なんだかんだ言って自分が乗りたかった、と言うのが一番なのだがw
金沢へ向かうのに便利な北陸フリーきっぷという周遊券があったので、これを使うことにした。この切符は特急や新幹線も利用可能で、単に往復するだけでも通常料金より安いというお得な切符だ。
行きは北陸号に乗るために寝台券を手配し、帰りは時間の都合で特急はくたかと上越新幹線で戻るコースとした。
寝台特急 北陸:
2006/02/24
北陸号が上野を出るのは23:03。この時間に合わせて自宅を出発し上野駅にやって来た。
ブルートレインに乗るのは久しぶりである。個室寝台が取れたらベストだったが残念ながら取れなかったので開放式のB寝台となった。
列車は定刻に出発。時間が遅かったこともあり、それぞれの寝台に収まったらカミさんはほどなく眠ってしまった。
自分は寝台列車なんて滅多に乗れないので、その乗車体験を少しでも堪能しようと思う方なのだが、カミさんは寝台列車に乗って寝ないでどうする、という考え方。合理的な考え方だと思うが、なんか風情がないねぇ。
寝台列車は非日常すぎて楽しい。車窓から見える東北線(宇都宮線)や京浜東北線のホームにはまだ沢山の人が列車を待っている。今日は金曜日なので、どこかで一杯やった帰りなのかもしれないし、残業の果て終電直前で家路を急ぐくたびれたサラリーマンかもしれない。あちら側は完全に日常、そしてこちらは非日常。普段ならあちら側にいるはずなのに今日はこちら側にいる。この優越感とでもいうべき感覚が何とも言えない。
そうして、金沢の近くまで起きていたかったのだが睡魔には勝てず、結局高崎辺りまでしか記憶がない。カミさんを風情がない、なんて言ってる割に不甲斐ない。。。
鬼嫁伝説!?:
2006/02/25
朝方に金沢に到着。眠い目をこすりながら下車。寝台列車に乗る非日常はとても好きなのだが、自分は列車が駅に停車するたびに音や揺れで目を覚ましてしまう性分なので、大抵、寝台列車に乗った翌日は睡眠不足になる。
ここから普通列車に乗り換えて、お袋と待ち合わせをしている駅で降りる。改札を出たところでお袋が待っていた。相変わらず小さいな。
カミさんの紹介もほどほどにして、まずは家に戻った。
家にはお父さんと弟もいて弟は仕事に出る支度をしていた。微妙なタイミングでの来訪だったかなと思いつつカミさんを軽く紹介。
弟はなんかそっけない受け答えをして、そそくさと仕事の準備を済ませて出かけて行ってしまった。相変わらずシャイなあんちくしょうだな。
お父さんは今日は休みとのこと。リビングのテレビからローカルニュースが流れている。ネタは地元密着の話題が多い。そうした番組を見ていると妙に懐かしい気持ちがこみあげてくる。
昔、岩手のばあちゃん家に行くと、テレビのチャンネルが3つくらいしかなかった。関東に住む自分にとってテレビと言えばNHKからテレ東まで7チャンネルが映るものという認識だったので、その少なさに戸惑ったものだ。しかも放送される曜日や時間が異なっていたり、関東では別々の局で放映されている番組が同じチャンネルで放送されていたり、逆に見たい番組が放送されていなかったりもする。
そのうえ、テレビCMも見たこともない地元企業の物が流れていたりする。百貨店などの地域の大資本はそれなりに動画を作り込んで流していたが、呉服店などの地元密着企業などはテロップのみの固定映像だったりした。これまた関東では固定画面のCMなんてまず見られなかったので、違和感が凄すぎて怖いな、と思ったほどだw
・・・まぁ、そういうことを思い出すのだ。そんなテレビを見ながらカミさんの人となりや近況などを報告する。お袋もお父さんも、ほう、ほう、と相槌を打って聞いている。
小一時間ほどそんな会話をしていたら、ふとお父さんが、ほんならドライブでも行こうか?と切り出した。と言っても行先は決まっていないらしく、お父さんとお袋があーでもない、こーでもない、と相談し始めた。が、結局決まらないままとりあえず出発、となった。
暫く車を進めていくうちに、お父さんが吉崎御坊行ってみるか?とお袋に持ち掛けた。
横で聞いていた自分が、吉崎御坊ってなに?と聞くと、鬼嫁伝説が有る所なんや、とお袋が答えた。鬼嫁!?
日本における鬼嫁と言えば北斗晶が著名だが彼女はまだ存命である。伝説というからには過去の人物だろう。しかし伝説になる鬼嫁ってなんだ?どんな武勇伝をやらかした人なんだろうか?そもそも鬼嫁といってイメージするものは、乱暴に旦那をあしらう嫁(と尻に敷かれる旦那)だ。いやいや、そんな犬も食わないような話、伝説になるだろうか。百歩譲って伝説になったとしてもそれが観光名所になるだろうか。
そんなことが頭の中を瞬間的に駆け巡った。さっぱりイメージできないので、それってどんな伝説?と聞いてみたが、わーからん-、と返された。え?
車で1時間ばかり走ってお寺のようなところの駐車場に車が停まった。どうやら着いたらしい。
お寺は本願寺吉崎別院という。ここにどんな鬼嫁伝説があるというのか。なまはげみたいに突然鬼嫁に扮した人から脅かされたりしたら、リアクションに困って半笑いになってしまいそうだ。
期待と不安の入り混じった気持ちを抱えつつ車を降りる。そして階段を登って門をくぐると、程なくこの寺の由緒に関する案内板があった。それを目で追うと、嫁威(よめおどし)伝説と書かれた一文を発見。これか。
・・・ちょっとまて、“嫁威"じゃないか。どこにも“鬼嫁"なんて書いてない。
その伝説はまぁまぁ長い話なので乱暴にまとめると、この辺りに毎日寺に通う熱心で信心深い嫁がいたらしい。だが共に暮らす無宗教を是とする姑は、そんな無駄なことに時間を費やさずに家業の手伝いをしてほしいと考えていた。ある日、寺通いをやめさせるために、いつものように寺へ向かう嫁を待ち伏せして鬼の面をつけて脅かしたところ、それ見た嫁は恐怖におののいて自宅へと逃げ帰って行った。
首尾よく企みを果たした姑が帰途に付こうとしたところ、なぜかそのお面が外れなくなってしまった。このままでは自分が犯人だとバレてしまう。どうしてよいか途方に暮れていたところを、捜索していた嫁と息子に発見され、号泣しながら犯行を自供。息子の勧めに従い吉崎御坊の上人の前でこの悪事を懺悔したところそのお面が外れた、というストーリーである。
なお、この伝説については、上記のストーリーが寺の公式となっているが、他にも息子は既に先立っているという説、荊に引っかかって脅かしに失敗したという説、脅かしたけど嫁が驚かなかったという説、発見されたのではなく自ら自宅に戻って発覚したという説など、なんか諸説あるらしい。
現地でそれを読んだときには、有りがちな昔話だなぁくらいの感想しか持たなかったが、エントリを書きながらよくよく考えてみると、これって家業を疎かにしてでも熱心に寺参りをする人の方が正しくて、それを邪魔する人にはバチが当たる、と言っている訳で、いくら寺の宣伝とはいえ、そんな極端な話をされてもなぁ、と言う気がする。
こうした昔話の類は、背景設定が破綻していたりすることが往々にしてある。話を単純化するために仕方ない面もあるのだろうが、誰もツッコまなかったのかな、と言う気がしなくもない。自分はバチが当たる姑サイドにいるのだろうか。。。
とりあえず到着するまでの間ずっとモヤモヤしていた疑問は解消したが、新たなモヤモヤを抱えてしまった。まぁ、そのモヤモヤからあれこれ想像して悶々とするのがまた楽しかったりするのだがw
というか夫を脅(おびや)かすのが鬼嫁、姑に脅(おど)かされているのが嫁威、そこ間違えたらイカンだろ、お袋さんよぉ。。。
境内へと進むとお堂の中が見学できた。その途中にその時のお面とされるものが展示されていた。実話なのだろうか。
お堂の中の広間でお坊さんが説法を説いていた。その説法に耳を傾けることは自由らしかったので、4人してしばしそのお話を傾聴した。
お坊さんは柔らかな声で現世の苦悩を和らげる方法のようなお話をされていたが、いかんせん途中からなので、どういう話かはよく分からなかった。
境内を散策した後、吉崎御坊跡へ行った。御坊跡は園地になっていて、散策できるようになっている。その一角にこの別院および御坊を建立した蓮如上人の銅像が立っていた。
その園地は北潟湖に突き出た半島のようになっていて、北潟湖と海沿いの集落、そしてその向こうの日本海が一望できるなかなかのビュースポットだった。
正面のこんもりしている小山は鹿島の森、と言うそうだ。