一関遠征【3】(1990/08/01)

1990/08/01

今日は一関最終日。夕方の新幹線で埼玉に帰る。昼間、お袋がドライブに行こうというので、みんなで車に乗り込んで出発。

お袋が当時乗っていた車は4ナンバー仕様のスバルレックスだった。商用車登録なので、後ろの席は狭いなんてものじゃなかった。それに乗せられてどこに連れて行かれるのかと思ったら、ここだよ、と言われて山の中で降ろされた。

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そこは今しがた走ってきた国道がループして高度を稼いだ先にある、ループ橋が一望できる場所だった。
ここは陸前高田へ向かう国道343号線の笹ノ田大橋、という所らしい。

なんでも、つい最近開通したばかりの橋で、新しい観光名所になっているから、ということで連れてきてくれたのだった。自分がこういうものを見たら喜ぶのではないか、と考えてくれたのだろう。
だが、残念ながら、自分は橋にはあまり興味がなかったので、これを見てもあまり心が動かなかったが、そんな態度を出しては悪いと思って、無難に感動したような顔をしていた気がする。

 

で、ここでお昼ご飯。お袋が家で作ってくれたお弁当を弟と3人で食べる。
橋を眺めながら橋の横の土手でおにぎりをほおばる。なかなか斬新なランチだった。

お袋はこんな風に、家族でちょっとしたお出かけをして、そこでみんなでお弁当を広げて食べるような慎ましい日々を送ることを数年前にも期待していたのだろうか。

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橋で特に何をするでもなく、そのまま戻ってきたんだっけかな?もしかしたらデパートかなんかに行ってお土産の一つも買ったかもしれない。それからみんなにお礼を言って家を出発し、一ノ関でお袋、弟とも別れを告げた。

また、みんなに会いに来たいと思うが、次に訪れるのはいつだろうか。

 

さて、帰りは新幹線で戻る。当時の東北新幹線は団子っ鼻の200系が幅を利かせていた。国鉄民営化で東海道新幹線と東北新幹線が別の会社の路線となってしまったせいなのかは分からないが、東海道新幹線が100系をデビューさせた後も暫くはその状態だった。

なので、100系新幹線のシャープなフォルムと2階建て車両の連結はうらやましく思ったものである。

それから数年して東北新幹線にも100系新幹線と同じような形状の車両が増備された。ただし、形式は200系2000番台と言って、200系のままだった。

それはさておき、この2000番台も2階建て車両が連結されていた。当時は格段にシャープでかっこいい新幹線で、どうしてもそれに乗って帰りたかったので、時刻表で調べて18:52発のやまびこ54号の席を確保した。

席に荷物を降ろして早速列車内を散策した。2階建て車両の下の階はグリーン個室になっていて、1人用、2人用、4人用の個室が配置されていた。

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個室にはテレビが置かれている。どんな放送が視聴できたのかは知らないが、モニターの位置はどう考えても利用者に見てもらうつもりがあるようには見えない。こういう所がJRのセンスのないところだな、と思った。

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100系新幹線は4人用も壁と扉で仕切られた個室になっていたが、2000番台の4人用は半個室となっているなどの違いもあった。

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一方、2階建てではない車両のグリーン車は、従来の200系と同じトーンでまとめられていた。
まぁ、夜の東京方面行きだからこんなものなかも知れないが、とにかく空いていた。

200系には食堂車がない代わりにビュフェという軽食施設があった。この旅行から遡ること数年前、どうしても新幹線に乗ってみてたくて、友達となけなしのお金を出し合って大宮から上野まで乗ったことがあった。その時にこのビュフェでたこ焼きを食べた記憶がある。メニューの中で一番安い料理だったが、電子レンジで温められて出されるたこ焼きの値段にしては格段に高価なたこ焼きだった。

当時はビュフェも食堂車もお高くとまっていたので、気軽に利用できなかったので、高かったが良い経験だった。

そして、数時間の乗車で大宮に到着、今回の旅も終わった。
最後になんとしても撮影したかった2000番台の先頭車両は、、、

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案の定失敗した。

 


久しぶりにお袋と再会したことは、父には徹頭徹尾隠し通した。
離婚してからこれまでの間に、自分もそれなり成長したが、弟もいくらか背が伸びてやんちゃに拍車がかかっていた。ともかく、みんなの元気な姿を見られて何より安心した。

今度はいつ行けるだろうか。。。などと思ってたら、なんとこの年の10月に再訪することになった。
しかも父と一緒に。
どういう経緯でそういう話になったのかはもう思い出せないが、車で一関まで行って弟が合流して、3人で一関界隈を観光してきた。

その時はカメラを持って行っていなかったので、写真は撮らなかったのだが、観光が終わって弟をお袋に引き渡すとき、両親が久々の再会を果たした。自分と弟は車で待っているように言われ、両親がもう片方の車で一頻り会話をしていた。どんな会話をしたのかは分からないが、少しはわだかまりを解くことが出来たのだろうか。

元より父は人間関係にはとことんドライな人間なので、この時を最後に2人が顔を合わせることはなかったが、自分はカミさんとの結婚がきっかけで再び交流するようになった。これでいいんだよな。

Posted by gen_charly